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151匹を愛し過ぎたポケモントレーナーの話

【Roadroller Sound Studio】(@RBYYYYYYYYYYYYY)です。

先日、知り合いから「最新作のポケモン面白いよ」というお話を頂いた。

…が、私が「ソード&シールド」をプレイすることはおそらくないだろう。

ゲーマーとして、一人の人間として、今すぐに得られる経験を手放すのは非常にもったいないことだと自分でも分かっている。

それと同時に、私の中でゲームボーイの「ポケットモンスター赤・緑」を超える作品に出会うことがないということも。

まず最初に書いておくが、これからの話は「ポケットモンスター金・銀」以降の作品を否定するわけではない。
これはただただ、151匹のポケモンを愛し過ぎた哀れなポケモントレーナーの話。


1996年2月27日に発売されたゲームボーイ用ソフト「ポケットモンスター 赤・緑」。
今から約24年も前の話だ。

当時、私は小学生だった。
同級生は皆ポケモンを持っているのが当たり前という状況で、男子の間ではやはり赤が人気だったと思う。
私自身この世で一番好きな色は「緑」だし、好きなポケモンのタイプは「くさ」と「むし」なのだが、パッケージに描かれたリザードンのカッコよさは尋常じゃなかった。
きっとほとんどの少年がリザードンのあの立ち絵に、抗うことのできない何かに心を掴まれたことと思う。

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私が最初に選んだポケモンはもちろんヒトカゲだ。

しかし、ヒトカゲを選んだ少年には数々の試練が待ち受けている。

主人公(プレイヤー)はポケモントレーナーの頂点であるチャンピオンとなるため旅に出るのだが、チャンピオンになるには、ポケモンリーグへの出場条件であるジムバッジを8つ獲得しなくてはならない。
そのために各町のジムリーダー全員に勝利する必要があるのだが、ポケモンバトルにはそれぞれ弱点というものが存在する。

ここで「ポケットモンスター赤・緑」におけるジムリーダーのタイプを見て欲しい。

【ジムリーダー】
・タケシ…「いわ」タイプ
・カスミ…「みず」タイプ
・マチス…「でんき」タイプ
・エリカ…「くさ」タイプ
・キョウ…「どく」タイプ
・ナツメ…「エスパー」タイプ
・カツラ…「ほのお」タイプ
・サカキ…「じめん」タイプ

【ポケモンリーグ四天王】
・カンナ…「こおり」タイプ
・シバ…「かくとう」タイプ
・キクコ…「ゴースト」タイプ
・ワタル…「ドラゴン」タイプ

ご覧の通り「ほのお」タイプで有利に戦える相手は太字の「エリカ」と「カンナ」のみで、しかも赤・緑における「こおり」タイプのポケモンは同時に「みず」タイプも有しているのがほとんどであり「ほのお」タイプの攻撃はそこまで有効ではない(実質、愛称が良いのは「エリカ」のみなのだ)

難易度で表すのであれば、ヒトカゲは完全にハードモードということになるだろう。

しかし、最初は「ひっかく」ことしかできなかったヒトカゲがレベル9になって初めて覚えた「ひのこ」。

本当に嬉しかった。

初めてタケシに勝った時もずっと「ひのこ」で頑張ったよね、ヒトカゲ。
でも、あの時の勝利はポッポの「すなかけ」があったから。
イワークの攻撃が当たる、当たらないで一喜一憂していたことも全て鮮明に思い出すことができる。

あの時代、ヒトカゲとともに数々の困難と試練を乗り越えた少年たちは周りの男の子より少しだけ大人になった雰囲気があった。

余談になってしまうのだがここでもう一匹、私がポケモンを語る上で欠かせない存在がいる。

「キャタピー」という「むし」タイプのポケモンだ。

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私は小さい頃から動物が好きだったにもかかわらず、アレルギーやその他諸々の理由から犬や猫などのペットを飼うことができなかったので、虫や魚と共に過ごしてきた。

それゆえに虫ポケモンへの愛情は人一倍強く、初期段階で仲間になってくれるキャタピーは進化スピードが最も速い上にバタフリーに進化したら「ねんりき」というエスパータイプの技を覚える非常に頼もしい存在だったのだ。

物語中盤から終盤にかけて「ロケット団」という悪の組織と敵対することになるのだが、その際に相性の良い「どく」タイプのポケモンと戦う機会が多く、次々と悪を懲らしめていくバタフリーは私の中で正義のヒーローそのものだった。

またサポート役としても「ねむりごな」「しびれごな」という技で野生のポケモンを捕まえやすくしてくれたバタフリーは、ポケモン図鑑完成に多大なる貢献を果たしてくれた。

ある意味ヒトカゲ(リザードン)以上のパートナーだったのだ。

そしてゲーム発売から約1年後の1997年4月1日より、TVアニメの放送が開始されるが、そのアニメがさらにキャタピー(バタフリー)愛を強くさせた。

主人公サトシが初めて自分でゲットしたポケモンもキャタピーであり、初めてお別れをしたポケモンもバタフリーなのである。
第21話「バイバイバタフリー」における別れのシーンは、シリーズ史上屈指の名場面と呼び声が高く、今なお語り草となっている。

ここからさらに話が脱線してしまうが、書かせて欲しい。

2018年11月16日に発売された『ポケットモンスター Let's Go! ピカチュウ・Let's Go! イーブイ』では、手持ちのポケモンと一緒に歩くことが可能となったのだが、キャタピーが後ろを付いてきてくれた(しかもめっちゃ足遅い)時はあまりの愛しさに泣きそうになってしまった。

これこそ私が子どもの頃に夢見ていた景色だったのだ。

長くなってしまったが、約20年越しに私の夢を叶えてくれた企画者の方に感謝の言葉を伝えたい。


< 閑話休題 >


「ポケットモンスター赤・緑」の魅力を語る上で欠かせないアイテムがある。

そう、「通信ケーブル」だ。

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今は本当に便利な世の中となり、基本的に全ての通信がオンライン(無線)で行なえるようになった。
どこでも、誰とでも繋がれるようになったわけだ。

でも私が子どもの頃は違った。

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この約1.5メートルが友達との心の距離だったのだ。

ちなみに一日でも早くポケモン図鑑の完成に近づけたくて、リザードを交換する前にリザードンに進化させてしまったことは、今でもO君に謝りたいと思っている(笑)

また、父方の祖父母の家が徳島県にあり、当時は明石海峡大橋も開通していなかったため、毎年夏休みも冬休みもフェリーに乗って帰省していたのだが、私と同じ年くらいの男の子が隣でポケモンをしていたことがあった。

「ポケモン…してるん?」
「何色??」

あの頃の私にとってはとても勇気のいる言葉だったが、その少年は少しはにかんで「緑」と答えてくれ、私は大いに喜んだ。

私はずっとずっと「サンド」と「ロコン」が欲しかったのだ。
その少年も「アーボ」と「ガーディ」が欲しかったと喜んでくれた。

その後は到着時間までポケモンバトル三昧だ。

あの日、あの夏休みのフェリーは僕の中でのサントアンヌ号だった。


そして「劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」が、1998年7月18日に公開されることになる。

子どもながらに人一倍、自然や動物を愛していた私は、当時ある種の "厨二病" にかかっていたと思う。

1997年に公開されたジブリ映画「もののけ姫」とともに「ミュウツーの逆襲」はあの頃の僕の心には刺さり過ぎた。

その後、2019年5月3日に公開された「名探偵ピカチュウ」も、2019年7月12日に公開された「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」も劇場まで足を運んだが…私の心には何ひとつ響かなかった。

前者は登場するポケモン(特にフシギダネ)が可愛いという感想のみで、おそらく「ミュウツーの逆襲」を相当リスペクトしていることは伝わってくるのだが、ストーリーもミュウツーの扱いも私にとっては中途半端過ぎた。

厳しい言い方をするならば「ミュウツーの逆襲」を穢されてしまったような感覚すらあったのだ。

後者に関しては、物語の流れ等はほぼほぼ原作のままであったが、どうしても納得できない部分がある。

「アイツー」の存在を描かなかったことだ。

私は物語冒頭の部分に「ミュウツーの逆襲」で伝えたいモノが全て詰まっているとさえ考えている。

生命の尊さ。

人間の業。

自分自身の存在意義。

あの頃の私にとっては人前で涙を流すことがカッコ悪いことだと分かっていても、冒頭の幼きミュウツー達とのやり取りとその結末に涙を堪えることができなかった。

頭が痛くなるほど劇場で涙を流し、家に帰って親に心配されたこともよく憶えている。

このように、とても重い主題を抱えた作品が「ミュウツーの逆襲」であり、その大事な冒頭部分をカットしてしまったことは非常に残念だった。

この作品で現代の子ども達にそれらが伝わるのだろうかと。

私はこうして「ゲーム」「TVアニメ」「通信ケーブル」そして「ミュウツーの逆襲」によってポケモンという作品を完成させてしまったのである。

この151匹以上に愛情を持つことが出来なくなってしまったのだ。

さらにもうひとつ、大きな理由がある。

当時TVアニメの放送が始まる前から小学生のバイブル「コロコロコミック」にて、続編の「金・銀」が開発中だと発表されていた。

「ホウオウ」、「ドンファン」、「デンリュウ」…etc

少しずつ新しいポケモンの存在や舞台設定が明らかになっていくのだが、実際に発売された1999年11月21日までにかかった約2~3年の月日は私には長過ぎた。

新情報もちょい出しに次ぐちょい出しばかりで「赤・緑」を愛し過ぎた私にとっては、逆にそれらが腹ただしいとさえ思え、段々と興が削がれていったのである。

それでも時折聞こえてくるポケモンの情報だけはしっかり耳に入れていたが、新作が出るたびにどんどん複雑な仕様になっていくことも、さらに私の心をポケモンから遠ざけていった。

個体値、努力値、性格、ダイマックス、色違い…etc

「金・銀」以降もずっとプレイしてきた方はこれが当たり前で、そこまで苦労する仕様ではない(むしろやり込み要素としてありがたい)のかもしれないが、今の私にとっては未知の世界であり、到底入り込めない世界になってしまったと思っている。

"厳選" という言葉もよく耳にするが、その時出会ったポケモン、その時捕まえたポケモンと旅に出るのが「ポケットモンスター」の魅力であると私は思っているので、満足できない子が生まれた場合、その子達の扱いはどうなってしまうのかと胸が締め付けられる想いになる。

じゃあ、そういう風に自分だけが楽しめるようにすれば良いと思われるかもしれないが、私はポケモンブリーダーではない。

あの頃も今もポケモントレーナーでありたいのだ。

やるからには絶対に勝ちたい。

しかし、そのためには先ほど否定してきた仕様を理解し、作業をこなさなければならないのだろう。

それであれば、私はあの頃のままでいようと決めた。

「エスパー」タイプ(ミュウツー)が最強、
「むし」タイプが不遇な扱いを受けていても良いじゃないか。

ケンタロス、カビゴン、ラッキー、ガルーラ、フーディン、ゲンガー、マルマイン、スターミー、ダグトリオ…etc

当時夕方に放送されていた「ポケモンスタジアム」でみんな使っていたポケモンが強い世界で良いのだ。


改めて、この記事は「金・銀」以降の作品および、今現在「ソード&シールド」をアツく盛り上げて下さっている方々を否定するモノではない。

これはただただ過去の思い出にしがみ付く、時代に取り残された哀れなポケモントレーナーのお話。

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