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なぜ言語化できることが大切だと思うのか

なんてことのない自己紹介文にたくさんの反応をいただきました。
何かむず痒い気持ちもありますが、応援いただけたと思えば素直にうれしく思います。ありがとうございました。

さて、今回は、なぜ言語化できることが「大切なのか」ではなく、「大切だと思うのか」が大事なのかもしれないという話。


自分のことを考える

 私は人とコミュニケーションを取ること自体は不得意ではありません。仕事上で大きなトラブルになったことはありませんし、TPOを意識することもできます。ですが、ほとんどが受動的なコミュニケーションでした。相手が話せば、自分も応じる。何かアクションを起こせば、自分も反応する。思い返せば、「コミュニケーションの主導権」なるものを常に渡し続けるといったスタンスをとっていたのだと思います。なぜか。自分の言葉で話すことを避けてきたからです。

特定の誰かに興味・関心を持つことの苦手さ

 「自分は、誰かを楽しませることができない人間」だとずっと感じていました。何か目的があれば無難な対応をとることができます。だけど、それは定型文をコピペして話しているようなものです。卑下し過ぎかもしれませんが、ネガティブな思考のときは人間こうなりがちです。

 そうなると、今度は「人を避ける」ようになります。要は、必要最低限のコミュニケーションで過ごそうとするのです。ストレスコントロールができているように見えますが、寂しさを誤魔化しているだけです。現代には、一人でいられる理由を与えてくれるもので溢れていますから。

「人が好き」と気づかせてもらった言葉

 人を避けていると自然にこう思います。「私は、人が嫌いなんだ」と。発想としては自然です。ですが、行動は違いました。人の気配がする方へ、向かっていたのです。本当に人が嫌いなら取らない行動です。人の輪に入っては抜け、入っては抜けを繰り返します。希望と諦観を交互に味わうのです。そんな中、ある人から「あなたは人が好きだから、大丈夫」と言われました。なぜ、この人はこんなことを言えるのだろうか。そしてなぜ、自分は素直にその言葉を受け入れることができたのか。

自分の言葉とは何か

 借り物ではなく、誰かの代弁でもないこと。自分が感じたことを相手が共感できるように考え、一生懸命搾り取った言葉。そして、これを成すには避けては通れない道こそが、言語化だと思うのです。

 昨今はテキスト生成AIが旺盛で、自分で言葉を考える機会も減りつつあります。私も思考整理に使うことが増えてきました。この辺りの話は別の機会に書こうかなと思いますが、生成したテキストをそのまま記事にする、といった行為はおそらく言語化力を衰えさせるのでしょう。
 今の自分が持てる情報と感情だけで言葉を紡ぐトレーニングをしていく必要があるのだと思っています。

想いを言葉にする

 この文章を書いているときも、なるべく自分の言葉で書くように意識してみました。
 「言語化が大切な理由」はたくさんの方が述べています。でも、大切だと"思う"理由は人それぞれ。何かしらのストーリーがあり、感情があるはず。それを表現することが大切なんだと思います。

 ブログメインと言っていて、何故かエッセイ風になってしまいましたね。こういう文も結構好きなんです。今後もお付き合いいただけると嬉しいです。

それでは。


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