見出し画像

5月4日(水)公立小学校における教科担任制への不安#82

みなさん、おはようございます。(こんにちは。)(こんばんは。)

GWはいかがお過ごしでしょうか?

自分はどこにもお出かけできないので、少しばかり拗ねてます笑。

まぁ、娘が小さいので仕方がないといえば仕方がないのですが、旅行に行ったり、キャンプしてBBQしたり、ライブに行ったりしているツイートを見ると正直羨ましくて仕方がありません。

それでも、お出かけしてる人も渋滞があったり、人混みがすごかったりして、疲れる部分もあるので、その辺りは想像力を働かせて多面的に見ることで、おうち時間の良さに目を向けようと思います。

さて、今日の記事は久しぶりに教育関連の記事です。

毎日noteを更新してるんですが、基本的に書きたいことを書いてるので、そこまでアクセスが多いわけではありません。

ただ、その中で教育関連の記事は他の記事の2倍くらい伸びるんですよね笑

教師をはじめ、教育関連の人に多くフォローされてるので当たり前と言えば当たり前ですが。

では、さっそく内容に入っていきますが、今日の記事のタイトルは、

公立小学校における教科担任制への不安

です。

教科担任制は、もう導入が決定してるので、今さら反対してもしょうがないのですが、やはり導入・実施していく上での不安やリスクは自分なりにしっかりと言語化しておくことが必要かなと思いましたので。

※教科担任制のデメリット・メリットで紹介してるblogも多くあって、被る部分も出てくるとは思います。

さて、教科担任性とは何か?

ざっくり言うと、教科ごとに教える先生が変わる中学や高校方式のスタイルです。

今まで小学校の先生は、音楽などいくつかの教科を除いて、ほとんどの教科を担任の先生がひとりで教えるというスタイルでした。

(低学年は全教科ですね)

しかし、多忙化による教材研究の負担軽減高い専門性の中での教科指導などを目的に、小学校でも教科担任制を導入するというカタチになったようです。(高学年をメインに)

今、目的については簡単に書きましたが、

本当に教員の負担を減らしてくれるのか?

そして高い専門性のもとに教科指導は行われるのでしょうか?


自分は教科担任制の良さもある程度は認めつつ、小学校の文化に中・高のシステムをそのまま下ろすには、マインドセットの転換も含めて準備が足りてないし、安直に考えすぎてると思っています。

つまり、今のままでは目的は達成される可能性が低いということです。


これを2つのポイントに絞ってこの記事には書いていきます。

その2つのポイントは、

①時間割を組むのが難しい割に弊害が多い

②専門性の担保が不確実



まずは①の

時間割を組むのが難しい割に弊害が多い

です。

教科担任制になることで、時間割を組むのがバチクソに難しくなるのは、ご存知の方が多いのではないでしょうか。

そもそも年間のそれぞれの教科の時数は違います。また体育や理科、音楽、図工などの特別教室を使うことも考慮しておかなければならないし、初任者の先生は校内での研修も毎週あるので、そのあたりも考えると時間割を組むのがかなり難しいです。

しかも、できた時間割はキツキツ状態。

ただ、教務主任の先生は、この時間割を組む3〜4月はマジで地獄すぎて気の毒です。


話を戻しますね。

こんなに大変なのに、できたキツキツ時間割は弊害が多いんです。

これだけキツキツで時間割を組むと何が起きるのか?

まずそれぞれの教科の担当が、それぞれのクラスに入れる回数が決まっているので、時数の確保、そして授業が遅れてしまわないようにと、事情があっても簡単に休みづらくなってしまいます。

また、担当の先生がコロナなどにかかってしまって長期間学校に行けなくなると、その教科だけが著しく遅れてしまうだけでなく、キツキツで組んでいるために補填のしづらさも出てきます。

もちろん今までのスタイルでも、担任が休んで授業が遅れたのは同じかもしれませんが、教科担任制になることで使える時間と裁量が減るので、授業進度の調整も遥かに難しくなります。

また、小学校では、運動会の表現の練習や音楽会の練習、特別活動系の行事、プール学習など学年全体が集まって行う時間がいくつもあります。

これはそれぞれのクラスの都合を合わせて、その集まれる時間をつくるのですが、教科担任制になることで、これが難しくなってきます。

教科担任制をやりながら、これを維持していくには、むしろ負担が増えることも懸念されます。

やはりキツキツにつくったシステムでは、余白がなくてイレギュラーに対応できませんよね。

他にもあります。

例えば、いじめ問題などの指導で、急を要する場合のことも考えておかないといけません。

何が起きるか分からないVUCAの時代だからこそ、もっと余白をもってシステムを構築していくことが求められると自分は考えています。


次に②の

専門性の担保が不確実

です。

中・高に習って、教科担任制では専門性の高い教科教育を行いたいようですが、新たに人員が配置されるわけではありません。

現在いるメンバーで教科を分担するだけです。

一応、書いておきますね。

それで専門性の担保できますかね?

なぜ、そんなことを言うかというと、そもそもいるメンバーだけで教科担任性を行うことが、まず付け焼き刃すぎるんです。

中・高は、それぞれの教科に大学で専門的な教科教育を学んできた人がいるんですが、小学校はどうでしょう?

教科ごとに平等になるような人事が教育委員会の人事課は行っていますか?

おそらく答えはNOです。

(何も人事課を責めたいわけではありません。)

十中八九、教科に偏りはあるでしょうし、そもそも専門教科という概念すらないパターンもあります。

それに持続性はあるのでしょうか?

例えば、せっかく一年かけて学んでも次の年には違う教科の担当になることだってあり得るでしょう。

すると、せっかくのその教科での指導経験が無駄とは言いませんが、十分に生かされません。

数年かけて同じ教科を担当することで、専門性は高まるのではないでしょうか?

話は少し変わりますが、もしかしたらその担当教科の決め方だって学年に任されてしまうことがあるでしょう。

すると、声の大きい先生が自分勝手に決めてしまって、理科や体育など準備に時間がかかる授業を若手に押し付ける不幸だって生まれるかもしれません。(その教科が好きな人にあたればよいですが)

さて、ここまでマイナスなことばかりを書いてしまったのですが、決まってしまった以上、ただ嘆くだけだと愚痴や不満に終わるので、どうしたらこの教科担任制が効果的になるか?それも次回の記事で提案しようと思います。

(実現性は度外視で書きますね笑)


というわけで、今日の記事はここまで。

読んでいただき、ありがとうございました。











いいなと思ったら応援しよう!