7月6日(水)「ただいま」ってあと何回言える?#146
みなさん、おはようございます。(こんにちは。)(こんばんは。)
長崎滞在3日目になりました。
朝はエニタイムでしっかりトレーニング。
昨日のリベンジを果たすことができました。(キー🔑は忘れない!笑)
今日は朝食後に母の兄、つまり叔父のところに行ってきました。
2年半ぶりに会いましたが、元気そうで安心しました。(一時期、体調崩してたと聞いていたので)
話題は、他愛もない話でしたがここ数年できなかったことができてよかったです。
で、午後からは車にチャイルドシートの設置と溝の減ったタイヤの交換!
(車で博多まで迎えにいくので)
そのタイヤ交換の帰りに、ふと思い立って海に寄ってきました。
そこで波の音に癒されたので、せっかくならばその癒しの音を届けたいと思って、その岩場でTwitterのspaceをやりました。
(聴いてくださった方々ありがとうございます)
波の音はこちらのツイートから↓
さて、そのspaceでも話した話なのですが、実家に帰ってきて大きな気づきが2つありました。
その2つは、
①数値化したら限りあるものに気づく
②当たり前は当たり前じゃない
ってことです。
今日は、この気づきをnoteの記事にします。
まずは、
数値化したら限りあるものに気づく
の話です。
自分は今まで基本的には、お盆と正月の年に2回帰省してたんですね。
ただコロナがあったので今回は2年半ぶり。
毎回、家に着く度に「ただいま」と、家を出る度に「いってきます」を必ず言ってたんです。
しかし、自分の母は既に70歳を超えてます。
ということは、年齢的に今後いつ何があってもおかしくないんです。
ま、それは仕方ないことですよね。誰もが生まれたら最後は死ぬ運命ですので。
そうすると、さっきの「ただいま」も「いってきます」も実は有限なことに気づきますし、年に2回しか帰らないということは、「ただいま」と「いってきます」も、それぞれ年に2回だけしか言えない計算になります。
母があと10年生きたとしても、合計20回しか言えないし、それは毎年2回帰省できた上での話です。
この2年半のようにコロナ等で帰れない時期があれば、その絶対数はさらに減りますし、もし帰れたとしてもその数が今後減っていくことを止めることはできません。
母が何らかの病気になってしまって5年しか生きられなかったら数はさらに減ります。
(※長生きしてほしいのは大前提で書いてます)
そうすると、「あと何回『ただいま』を言えるのかな?」とか、「この『いってきます』が最後になる可能性もあるよな」と自然に考えちゃうんです。
当たり前ですが、「ただいま」は誰かが自分を迎えてくれるからこそ発せられる言葉だし、「いってきます」は誰かが自分送り出してくれるからこそ発せられる言葉。
そうすると、どこかのタイミングで「ただいま」を2度と言えなくなる日が来るし、その前の「いってきます」が最後の「いってきます」になってしまう日が必ず来るわけです。
少し寂しくなるから目を背けたくなるけれど、こうやってちゃんと数値化することで、二度とは取り戻せない貴重で大切な言葉だと気づきます。
すると、2つ目になりますが、
「当たり前」って思ってたのに、実は「当たり前じゃなかった」
という気づきが生まれます。
これは「ただいま」と「いってきます」に限らず、母と一緒に過ごす時間で考えても同じことが言えますね。
そうすると、今までの捉え方が一変して、「この時間をもっと大切にしなきゃな」とか、「もっと優しくしなきゃな」とかに考えがシフトするんですよね。
そんなことを考えて、ただ考えるだけじゃなくて実際にアクションに繋げようと思った三日目になりました。
とにかく今の気持ちを言語化しときたくてnoteにしました。(書いてよかったです。)
当たり前に思ってたことが、実は当たり前じゃなくて有限なことって、この記事を読んでくれてるみんなにもあるはず!
そんな時は、少しの寂しさは覚悟で、敢えて数値化してみて!
絶対に考えてみてよかった!って思うよ。
というわけで、今日の記事はここまで!
お読みいただき、ありがとうございます💪
さて、こちらのnoteですが、本日で連続146日更新中です。
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