人はつじつまを合わす様に 形にはまってく#307
(おはようございます)
(こんにちは)
(こんばんは)
病み上がりという言葉がこれほどピッタリなタイミングはないでしょうね。
木〜金曜日には、ある程度に体調が回復していたこともあり、家でできる仕事を進め始めましたが、なんとなくエンジンはまだかかりません。
そんな中、自宅療養中で外には出られない状況なので、仕事の合間に読書した本から「悩み」について考えてみました。
「悩みにどう向き合うか」
これが一つのテーマになっている本です。
またこれをブッダの考えを使って克服していくことも書かれています。
割と自分自身はポジティブな方であると自覚してはいるのですが、やはり悩むこともありますし、自分の感情の振れが大きくなり、怒りや嫉妬などの感情を抱くこともしばしばです。
この感情の振れが大きいと、様々なところでマイナスの影響が出ます。
ここに関しては、何とかしたいなと思っていたところでもあってタイムリーな内容でした。
さて、本の最初にも書かれていますが、まず大前提として押さえておかなきゃいけないことは、悩みはあって当たり前ということ。
そして、満たされなさや生きづらさを、そもそも生きていく上であるものだと認めること。
認めることによって、やっと解決への思考が一歩進むということです。
この一連の思考の流れは、「悩みについて理解する」とも言えます。
悩みがあることが当たり前となったところで、やっと悩みの正体に目を向けることができます。
悩みの正体ですが、悩みは執着(手放せない心)だと言われています。
さらに「心の反応」がこれを作り出している。
つまり全ての悩みは「心の反応」から始まるということ。
では、何がその「心の反応」を作り出しているかというと、「求める心」(人間の持つ欲求)です。
特に現代の私たちにとって切実な欲求が、「承認欲」です。
自分を認めてほしい、注目してほしい、愛してほしい、評価してほしい、、、
こんな欲求で外の世界に反応すると
「周りは期待に応えてくれない人間ばかり!」
と不満や物足りなさを感じてしまいます。
他人の小さなことが目について不満を感じてしまう悩みの正体は、「もっと自分を認めてほしい!」という承認欲だったりするようです。
この辺りは、自分にも思い当たる節がかなりあって、自分の承認欲に気づかずに、何もアクションを起こそうとしない周りの人や環境ばかりを責めていた時期に今なら気づくことができます。
さて、この厄介な承認欲をどうすればいいか?というと、シンプルにそれを素直に認めるしかないんですね。
「これは自分の承認欲が起こしてるんだ」
こう素直に受け入れてしまうことで、不思議なことに不満が収まっていくことがあるようですし、それを作り出していた正体が分かるだけで、ずいぶんラクになります。
やはり原因が分からないからこそ余計に苦しんでしまうパターンもありますからね。
「この悩みは、自分の欲求が作り出していたものだ」と認めるのは勇気がいることですが、その理由が分からないままだと苦悩はいつまでも続きます。
ここで勘違いしてはいけないと自分が思ったことは、自分の欲求が作り出した悩みだと認めることが、自分を責めることとイコールではないということ。
むしろ、乗り越えるために、1つ正しく理解することができたとポジティブに捉えればよいと思います。
読んだ本の内容からこのようなポジティブなとを考えましたが、さっきも書いた通り、自分も何もかもを誰かのせいにばかりしていて、結果的にその悩みが解決することはなく、余計に自分を苦しめ続けてきた過去があります。
「自分は何も悪くない」
一旦、その考えが固定化されてしまうと、
つじつまを合わせるように、何かと人や環境を責める形にはまっていきます。
なぜそうなったか分析すると、不満を撒き散らす人ばかりのその環境を当たり前だと思い込んで、そこから抜け出そうとしてなかったことも大きいのかなと。
今、冷静に振り返ってみると、結局は自分の問題でした。
自分の悩みが「求める心」が作り出していると、常に認められるようになるには、まだまだ時間がかかりそうですが、正しく理解するための大切な一歩目と、この記事を書いたことをきっかけに心に刻み込みたいと思います。
というところで、今日の記事は終わりです。
それでは、ご機嫌スイッチを入れての1日を✨
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