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口に出すと悲しみは次の悲しみを生むだろう#312
(おはようございます)
(こんにちは)
(こんばんは)
昨日の話なのですが、7月にある野外宿泊の下見に行ってきました。
当日に子どもたちが実際に歩く経路と安全確認が一つの目的で、自分たちも実際に歩いたのですが、あいにくの雨。(しかも、まぁまぁ強めの雨☔️)
傘はさしていましたが、合計で10km以上歩いたので、当然服も濡れるし、靴の中もびちょびちょ。
さらに自分は6月下旬ということで、気温を甘くみて半袖一枚で行った結果、寒くて震えまくるという何ともしんどい下見になりました。
(これは自業自得)
ただ、やっぱり実際に行ってみることでの気づきは多くあるし、イメージは行く前よりも解像度の高い形にはなるので、多くの収穫はあったと思います。
再来週の本番に向けて、しっかりと詰めていくつもりです。
さて、今日の記事のタイトルは、Mr.Childrenの「箒星」から持ってきています。
悲しみを口に出して言葉にすることで、また次の悲しみを生む連鎖反応ってなんとなくイメージできますよね。
人間って、何かに反応した結果として、次の思考や感情が生まれることがあるので、ワクワクする言葉が次のワクワクするイメージを呼ぶこともあるし、悲しみを表す言葉が、また違った悲しさのイメージを生んでしまうこともあるでしょう。
さて、この箒星の歌詞の中にこんなフレーズがあります。
心配事ばっかり見付けないで 慌てないで探してこう いつか必ず叶うと決め込んで 路頭に迷った祈り
まず、この歌詞の冒頭に共感する部分があります。
それは日々を忙しく過ごしていると、何かしらの心配事たちに頭の中を支配されがちだなということ。
心配事を見付けたくて見付けてるというよりは、気付かぬうちに自分自身が勝手に心配事ばかりに目が向いてるんじゃないかなって。
何かの本で読みましたが、人間は本能的にネガティヴなことばかりを考えてしまう傾向にあるようです。
それは生きぬくために人間が何万年以上もかけて備えてきた本能的な機能なので無くすことはできません。
でも、その心配事に支配されているんじゃないか?って疑いは自分自身にかけることはできますよね。
そして、ここからは先ほどの歌詞の後半の部分に関わることですが、心配事ばかりをたくさん見付けてしまうことで、自分の祈りや願いを頭の中に残しておくための余白が無くなってしまうと思います。
それが路頭に迷うごとく、日々の生活から祈りや願いを失ってしまう大きな原因になるんじゃないかって。
「こうなったらいいなぁ」という祈りや願いが何もない不安や心配事ばかりの毎日では、どう考えても充実感があるとは思えません。
(だからと言って、祈りや願いだらけの頭の中もそれはそれで弊害はありそうですが)
気付かぬうちに何かに支配されてしまって、1つの色しかない日常になってしまうことは避けられたらいいよね。
少しでも彩りを加えて日々を過ごしたいよね。
大きなものじゃなくていい。ほんの少しの願いや祈りでいい。それくらいのものを、まずは路頭に迷わせないように気をつけていけたらなぁと思います。
というところで、今日の記事は終わりです。