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『アラサーちゃん』達は「幸せになりたい」のでなく「幸せに見られたい」 ~アラサーちゃん連載終了予告に関する考察~

アラサーちゃん最新巻を読んだ。

あまりにみんな
「どうやったら人に幸せに見られるか」
に注力していた。

例えば年収一千万円以上の男と結婚したがるのは、お金が沢山欲しいからではなく、「その方が幸せに見られるから」。

ゆるふわちゃんは「『34歳で彼氏なし』というステータスはヤバい」という理由で、年収330万円の文系くんと別れられずにいる。

好きだからくっつく、嫌いだから離れる……ではなく、「幸せに見られるか否か」で、行動が決まっていく。

■「幸せか」じゃなくて「幸せに見られるか」を考えて生きた時代

別に、好きだからくっつく、嫌いだから離れることが、最も良いとは限らない。

感情をベースに行動するのが一番いいとも限らない。

(感情なんてものすごく移り変わりやすいものだし、真の感情を見極めるのは本当に難しいことだから。)

でも、「周囲に幸せに見られるか否か」、つまり、いわゆる「見栄を張る」なり「トレンドを追う」なり、そういう、自分の思い切り外側にあるものを基準にした場合、外側の世界に合わせて自分もブレるから、大変だなあと思う。

これが季節ごとに入れ替えるのが簡単な、ファッションとか、本棚ならまだしも、
結婚相手となると……。

(オラオラ君って、2011年頃はともかく、今見るとダサくない?)

■アラサーちゃん連載終了予告の理由がかっこいい

さて、アラサーちゃん最新刊の巻末インタビューを読んだところ、作者の峰なゆかさんは
「自分がアラサーじゃなくなったら(=35歳になったら)連載を終了する」
と決めているらしい。

後から知ったのだが、「アラサーちゃん」の連載は、彼女が30歳以前の時から7年間
続いているらしい。そう思うとすごい。

こんな大人気コンテンツを、こんな理由で終わらせるのは随分潔いなと思うが、大英断だと思う。

「アラサーちゃん」というコンテンツ事態の枠組みが、古くなりつつあるからだ。

■「アラサーちゃん」の枠組み自体が古くなった

「アラサー」という語は流行語となったのち定番化したから、古いとは思わないけど、
「ゆるふわ」も「オラオラ」も結構な死語になっていると思う。

何より、
自分や他人をカテゴリ化して(つまり「自分はゆるふわだ」とか「彼はオラオラだ」とか)、そのカテゴリへのハマり具合やズレ具合に言及したりする行為自体が、古くなっている。

「カテゴリにとらわれても無益だ」という情報も浸透してきている。

そのかわり、今は「本当に好きなこと」とか「幸せ」とか「周りの目を気にしない」いう言説が主流になっていると思う。

(↑この書き方からも分かると思うけど、私は「本当に好きなこと」とか「幸せ」とか「周りの目を気にしない」とかいう言説すらも「トレンド」「流行」だと思っていて、変わらぬ真実だとは思っていない)

別に「峰なゆかの思考回路がオワコンだ」と言いたいわけでは全くない。むしろ「アラサーちゃん」は巻を追うごとにどんどんキレキレになっているし、最新刊でアラサーちゃんの家族が出てきた際の「この親にしてこの子あり」的な圧倒的リアリティには舌を巻いた。

峰さんは、「アラサーちゃん」を終えても、きっともっと素敵なコンテンツを作ってくれると思う。

峰さん自身が「『アラサーちゃん』のフォーマットは7年間でその役目を終えた」と、一番分かっているんだと思う。だから掲載紙の都合などではなく自分のタイミングで幕引きするんだと思う。

「アラサー」なり「ゆるふわ」なり、自分の立ち位置を自分で決めながら、そのことで悩む、つまり、自分で自分を型にはめながらそこでもがく……というやりかたは、誤解を恐れずザックリ言うと、00年代、サブカルが表舞台を席巻したあの時期特有のものだったんだろうなあ。


渋澤怜(@RayShibusawa

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