好きな人と好きなモノがガンガン寄ってくる! 超楽しい人生に過ごすためのたったひとつの簡単なやり方
渋澤怜は今ライヴが超楽しいって話。
家でライヴの練習しても全然楽しくない。
私がやるのは朗読だから、(楽器持って歌うならまだサマになるものの)家でブツブツ変な言葉を芝居がかった調子で呟いたり叫んだりすると
「ハテ、一体、私は何をしてるんだろう…?」
という気分になり超落ち込む。基本的にライヴ前日か当日しか練習しない(だからうまくなるために鬼のようにライヴ日程を入れている)。
今日言いたいことを、今日書き殴って、台本を作り、「今日はきっとこういう人が来るだろうなあ」と想像しながら練習して、初めて、先ほどの落ち込みが消え、ワクワクすることが出来る。徹底的に一人相撲の小説とは、やり口が全然違うのだ。
そしてライヴを迎えると、超楽しい。
好かれるか嫌われるかだけなのだ。なんて単純な人間関係。利害も無い。性別も無い。
そりゃあ、ステージを降りたら、出演枠を埋めたいイベンターや、とりあえずお友達を増やしたい演者、それから稀に気持ち悪い男が寄ってくるが、(そして彼らは「私のライヴを良いと思ったから」話しかけに来るとは必ずしも限らず、やはりどうしても利害や性欲が絡んでしまうのだ)
でも、ステージにいる私の声を、目を輝かせて聞いている客がいるとしたら、それは完全に利害が無い行為でしょ。超純粋でしょ。
実はステージから客の顔はめちゃめちゃ見えます。少なくともインディーズのちっさいステージのショボい照明ならね。
ステージに立ちながら、「ああ私は好かれるか嫌われるかしたかったのだなあ」と、心の底から思う。小説だって全く同じ思いで書いてたけど、好かれるか嫌われる速度が、ライヴは圧倒的に速い。だから、浅くて速い言葉をたくさん使う。
紙やネットの上で読まれることに照準して鍛えてきた言葉は、えてして重すぎて、ライヴで口にするとキチガイか色情狂に見えてしまうことがある。別にそれでもいいんだけど、「安っぽいメンヘラ」と思われたら単に興冷めされちゃうでしょ。
この辺は、非常に気に入っているツイートなのですが、やはり女体の声と身体で発信すると政治的な意味も発生してしまうしフロアに私以上のブスがいると非常にやりにくい(だいたいいる)。
ところで、文字で発信された方がダメージが重い言葉というのも確実にある。
冗談の範疇の「死ね」「殺す」は、口頭よりLINEで食らった方が重く響く。残るから。
「LINEいじめは陰湿」みたいな新聞の見出し的見解は大いに眉唾だが(「ネットは顔が見えないから陰湿」とか「ネットは本心が現れて陰湿」とかみんな嘘だったでしょ?)、口頭のノリを不用意にネットに持ってくると予想以上の切れ味を放つかも。無論、逆もまたしかり。
「俺の気持ちを考えてくれ」と言う奴は、大体、私の気持ちを考えない。が、「お前のために言ってるんだ」という偽善を発することも無い。
ガキな分、嘘をつかない。(つけない)
「顔をつなぐ」という言葉が嫌いだ。「顔を繋ぐ」行為で繋げる程度の顔なんか繋ぐ必要無えよ。「相互フォロー」と同じくらいキモい。(フォローは一方的にするもんだよ、相互したいならフェイスブックやれよ)
好きなモノに「好き」と言い、嫌いなモノに「嫌い」と言うと、周りに好きなモノと好きな人がガンガン寄ってきて最高だぜ? 試してみ。
そして言う時は出来るだけデカい声で言うのが吉。すごい勢いで好かれたり嫌われたりして誠に効率がよろしい。本もすげえ売れてます、ライヴ物販で。(ネット通販なんて月1,2冊しか出ないのに。なんてこった!)
私は、有名になりたいのでも、売れたいのでもなくて、ただ好きなモノと好きな人を周りに増やしていきたいだけなのだ。有名も売れるも全部その手段でしょ。
■■で!! 次のデカい声大会はこちらー!!■■
2016.11.01(火) 「BARペガサスvol.174 古郡翔馬×安田ボンバーpre.」@高円寺club LINER OPEN16:45 START17:00(渋澤の出番は20時以降です) チャージ1,000(drink別) 2D1,000 飲み放題2,000
ずっとずっとずっと見て憧れて勇気を貰っていたライヴハウスという場所に、バンドマンという存在に、ついに同じステージに立てます。なので、恩返し(という名の仕返し)をします。
「だからサブカルクソ無職バンドマンのセフレなんか止めとけって言ったんだよ」から始まる最新小説は渋澤怜のライヴ物販、あるいは通販で買えます。(通販の場合はお名前住所を、DMかこちらまでどうぞ info@rayshibusawa.her.jp)
じゃねばい!
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