ライブ道中
indigo la Endのライブへ
数ヶ月前にチケットを取ったindigo la Endのライブを見に行く。到着するまでのnote。
indigo la Endが好きになったきっかけは、丁度一年前くらいにどうにもならない恋愛がつらすぎて、そんな感じの音楽を聴きたいと思ったから。
頭を悩ませていても、自分がindigo la Endの曲の主人公になったようで、救われたような気がした。良い時も、悪い時も、糠喜びも大損も、自分のそばにいた。
春、夏、秋、冬 そこには拭いようのない哀しみが散らばっていて、それを掬ってくれる感じがした。
チケットを取った12月はまだわたしの心の中はざわついていたような気がする。ここで死ぬほど投影した恋愛の、失恋の全てを出し切り、忘れてやる!なんてはりきっていた気がする。
引きずっている自分がいて、でも引きずったって仕方が無いことは十分すぎるほどわかっていて、そんな曖昧な気持ちを3月25日は正当化しながら、しっかり引きずった世界に入り込んでやると思っていた。
大体丁度一年前くらいに惨めな発狂案件があったわけだし。
なのに、知らない間にどうでもよくなった。(これは今までのような強がりでは無い。まじで。)
どうでも良くなったとわかった瞬間は、頭ではなく身体が教えてくれた。頭で思う、頭で言うどうでもいいは、当てにならない。
彼にまつわる何かを見聞きした時、SNSで見かけた時。今まで心臓がどくんと波打ったのに、なんと不動。
あとは街中で探す、いるわけがないのに、探していた。探さなくなった。
この気持ち悪い日常が無くなって、ほほう…終わったんだなと思った。
渦中にわたしがライブに行ったらもう涙ぼろぼろのただのメンヘラと化していたかもしれないが、きっと音楽を聴けるのだろうな。投影しない事もないけれど、あの恋愛をわたしの中で消化出来たことによって感じられる事は沢山ある。
かっこいい音楽聴きに行こう!カリスマをこの目で観てこよう!という健全な(?)目的でライブ会場へ向かっている。
恋愛の歌
恋愛の複雑な感情を叙情的に表現しているところに惹かれた。自分が渦中でもそうでなくても、とても良い。
歌詞に登場する「あなた」にいちいち同じ固有名詞を当てはめなくてもよくなって、気が付いた。Twitterにも書いたけれど。
恋愛の歌の「あなた」で思い浮かべた人は、恋する相手だなあ(だから何だって話だけど)
また辛い思いをしたいわけではないけれど、また「あなた」を別の固有名詞にして音楽を聴きたいなとも思う。性懲りも無く、泣いて笑って恋愛をしたいと思う。人間らしいや。
会場
会場の綺麗な喫煙所で一服。有難い。わくわくしてきた。ライブを見に行くことは、幾つになってもドキドキする。
学生時代はバンドグッズで全身を固めて、物販に始発で並んで、とかやっていた。デート前かってくらい眠れなかったしな。懐かしいな。流石にそれは無くなってしまったけれど。
楽しんでこよう。報告はきっと違う形で歌になるだろう。