【8/17ライブ】企画約3年ぶり、バンド約4年ぶり
こんばんは。
8/17(土)に立川ハートビートでCDアルバム「一人、一頻り」発売記念イベントを企画しています。
明後日です。
私は企画というものをあまりやらないので約3年ぶりです。あまりやらない理由は後述します。そして約4年ぶりにバンドで歌います。ので、バンドと私、音楽の原点みたいなことを書きたくなりました。
RAYSAについて
私はシンガーソングライター、トラックメイカーという肩書きで今活動している。
アコースティックギターを持って初めてライブをしたのは2016年、そこから活動できなくなって、2019年からまたライブを始めた。2019年の秋頃にバンドを組んだ。︎︎︎︎︎︎☑︎PERHAPS MAYBE'Sってバンド。初ライブはコロナ禍に入ったばかりだった。2021年に早くも解散、音源を流しながら弾き語りも始めてソロ二刀流をしばらくやってきた。
しばらくやってきたし、RAYSAとしての活動もこれから続いていく。弾き語りも好きだ。でも、私は元々バンドに憧れて上京してきた人間だった。
不完全燃焼で自分のバンドが終わり、そこからはもう、ほかの人たちとステージに立つなんて、爆売れしてバックバンドが付くまでないんだろうなと思っていた。沢山の方々のお力添えのお陰で、私は久しぶりにバンドができます。
ありがとうございます。久しぶりのバンドということで、色々振り返って今後の展望を話したい。
ロックバンドに救われて
学生時代、家族も友達関係もあんまりだった。何となく誇れたものは、結果として11年間続けたことになるピアノと歌のテストでみんなの前で歌えば拍手が起こったことと何だかんだ上手いことやってきた勉強くらいだった。
可愛くない、醜い、モテない、自信が無いからコミュ力もない、人が怖い、家族もゴタゴタ。そんな生活を送るうちに自分が普通に生きて愛されることは不可能なんだって長いこと思ってきた。
簡単に言ったら寂しかったし常に孤独感があった。
それを救ったのが音楽、バンドだった。感情がメロディと音に乗って増幅する。言葉がより深みを増す。私はひたすらに自分が好きな音楽ばかり聴いていた。
最近再結成のニュースがあったAquaTimez、ギターを弾きたいと強く思ったBUMP OF CHICKEN、負けず嫌いの本来の自分を思い出させてくれた[Champagne](今は[Alexandros])。
10代の頃に特に好きだったバンドはいつまで経っても色褪せないし、同じようなハマり方はもうしないような気もする。
メロディや演奏は勿論だが、歌詞、言葉に惹かれた。こんなに自分の事を内面の葛藤を歌っていいのだと、代弁してくれるものがあるのだと感じた。
言葉を考えたり詩を書くことは割と好きで、歌も得意な方だった。たまたま父が弾かなくなったアコースティックギターがあることを知り、譲り受けた。多分Fコードで挫折したんじゃないかと思っている。必然的に弾き語りの作詞作曲やカバーの日々を過ごした。
1人だったから14歳の時の掲示物にはひとまず「シンガーソングライターになりたい」って書いた。バンドしたいは書かなかった。メンバーいないし。
こちらのYouTubeで色々話しています。
初めてのバンドと挫折の連続
上位10%以内レベルの高校に進学。ちょっと勉強できたのと家から通える学校でギター部という名の軽音部があったから行きたかった。
初めてバンドを組んだ。念願のバンド。シンガーソングライターになりたいと言いつつ、バンドがやりたくてやりたくて仕方がなかった。切磋琢磨できる環境、思いっきり青春時代を捧げるつもりであった。
がしかし挫折した。
部内での経験者は男子だけで、その人たちで勝手にバンドが組まれていた。私は初心者で、かつ女だからって相手にされなかった。余った人達でバンドを組んだ。悔しすぎた。女だからって馬鹿にされたくないと強く思った。
そしてなんでか当時はドラムをやってみたかった。なんでだろう。
ギターちょっと弾けたからボーカルギターに結局なったけど。
音楽の趣味とかやりたいこととかガン無視で組んだバンドだったからすり合わせが大変だった。ボーカロイドの曲が好きな人が多くて、当時そんなに好きになれなくて、こんなはずじゃなかったを覚えた。
上手く演奏もできなかったし、文化祭のオーディションも落ちた。あんまり乗り気じゃなかった着ぐるみとか着たのに舞台に立てなかった。
高校時代の後悔なんか死ぬほどある。
ただ、バンドが上手くいかなかったから家ではアコギで曲作りしていた。[Alexandros]のライブに行って感動しすぎて曲が書けた。大学生になったら絶対もっとプロ意識があるバンドやるぞーって思っていた。高校時代に「パーハップスメイビー」ってたぶんたぶんってオモロいなってバンド名かなってことだけは考えてた。
大学でも自分の実力のなさを思い知った。(今思うと承認欲求がすごかった)
歌は上手い方だからな…と歌のサークルに入ったら全然。
上手い人達とバンドやりたいなぁ…とバンドのサークルに入ったらコピーでやりたかったバンドはこの先輩がフロントじゃないと〜みたいなことを言われて結局やりたいバンドもできなかった。
外でバンドしようと思ってもメンバーも思い当たらないし、実力がないのもわかっていたから踏み出せなかったのも事実。こう言語化するとバンドに憧れてたのに自分がバンドやるビジョンが全くなかったなと今は思う。そして行動出来ていなかった。怖かったのだ。
シンガーソングライターとして舞台に立つ。そしてやたら高額なノルマを請求するぼったくりみたいなイベント運営に8万取られてバンドマン恐怖症になった。プライベートでの諸々が重なり、音楽が出来なくなった。私の第一章はここで終わりって感じ。
ちなみにこのバンドマンに「コンスタントに企画やらな」と言われるがままに従い、当時繋がりも実力もなく集客はおろか出演者もなかなか捕まらずに8万支払うことになったのがトラウマだった。
企画をあんまりやらなかった理由は、やはり怖かったからだった。
︎︎︎︎︎︎☑︎PERHAPS MAYBE's
暗黒の中で時は流れて2019年。サークルの同期から久々にライブ出演のオファーを貰った。またシンガーソングライターRaysa(この時はこの表記だった)聴きたいと言ってもらえて嬉しかった。
そこからの繋がりでライブするようになって、弾き語りガンガンやった。高円寺で転がった青春。がむしゃらに歌った。
前述したサークルの同期がバンドに誘ってくれた。演者仲間からベースを紹介してもらって、共演者をサポートギターに加えて、やっとこさRaysa初のバンド︎︎︎︎︎︎☑︎PERHAPS MAYBE's結成。
ワクワクした。音源作ってMV出して、どこまで行けるんだろって。ギター2本、ベース、ドラム、私の憧れたバンドは大体そんな編成だったから、色々チャレンジできるんだろうなと期待に胸をふくらませた。
突如コロナ禍になる。ライブがなんだか思うようにできない。サポートギターに子供が産まれて急にスタジオに来なくなった。ベースと方向性の妥協点が見つからなかった。
急に3ピースになった。
私ギターソロなんかまともに弾いたことないんだけど!って感情。ソロもちょっと頑張ってたけどメンバーからは「ソロにしなくてもいいんじゃない?」
あれ、私こういう音楽がやりたかったんだっけ?パンクバンドみたいなノリを続ける中で次第によくわからなくなってきて、ギタリストも思うように見つからなくて、バンドもうやめたって思った。
好きな音が出せないならバンドしてなくてもいい。だけど弾き語りだけもなんか違ったから、DTM始めて色んな音出そう。ひとりバンドみたいなことやればいいやって思った。ぼっちざろっくってか(観るのやめたから怒られそう)
そんなこんなで今のスタイルRAYSA(弾き語りするよ、トラックも流しながら歌うよ)誕生。
バンドでRAYSAの音楽を聴きたい の声
そんな感じであっという間にバンドは解散してしまった。
その後で出逢った人たちが割と「バンドで見たいなぁ」と仰ってくれた。
そりゃやれるものならバンドしてたわよ、なんて思いながらいつかできるといいですね〜売れたら観れるかもね〜とか言って流してきた。
弾き語りアルバムのリリースが決まり、YouTube収録でキーボード(8/17で弾いてもらう淳太さん)と合わせたオリジナル曲、人が増えたらこんなに進化するんだって超原始的な感想を抱いた。その場にいたふじくんプロデューサーから「バンドで聴きたい」、いややりたいっすよ〜〜なーんてやり取りをして、割と直ぐに、サポートの皆様をお迎えしてバンド形式でライブしましょうとなった。
あんなにバンドメンバーを見つけるのに苦戦していたのに(勿論サポートという立場ではあるけど)、メンバーがとてもすんなりと決まったのは紛れもなく私ではなく周りの、各方面に対して本当にありがとうございます。という気持ちです。
CDリリース
バンドへの思いは語った。
CDリリースも。綺麗にプレスされたCDを出すのは初めてだ。
最近ライブ会場で初めて会う方が買ってくれることも多く、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
買ってくれた人たちが感想を話してくれるのも嬉しい。
やはり私は良い音楽を作って届けるのが性に合っていると思う。不器用だから、すぐに適切な、最適な言葉を出すことが苦手だったから。
今は番組MCなどもやらせていただいて、よく喋るけれどね、実はじっくり派でした。
良い音楽をやっていきます。それだけじゃなくて、人間として私が目の前の人達にできることを、精一杯やりたいのです。
演者さんの紹介や宣伝もやるし、どのお客様にも負けないくらいに楽しんでやろうと思っています。
台風が来てしまいますがギリギリ回避できますように。
8/17は立川でお会いしましょう。
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