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矛盾だらけの化けの皮

昔から化粧が好きだった。簡単に変身できる。可愛くなれる。派手になれる。自信が持てる。大好きなこと。

今日は何色のアイシャドウを付けよう、今日はどんなリップを塗ろう、そんな小さな意志決定はわたしを楽しませるとっておきのルーティンだ。

幼少期、ピアノの発表会で母の赤いリップを塗ると、ウキウキした。

学生時代、校則があって学校には化粧をしていけなかった。

でも

中学生の頃、容姿にコンプレックスを抱いていたが、ファッション雑誌(ギャル系)を読んでいた。家にいる時はメイク研究。当時流行りのつけまつげをして友達とプリクラを撮ったら、いじめられっ子のわたしが嘘みたいに綺麗になった。

眉毛もいじった。成績が良かったから何も怒られたことがなかった。

高校生の頃は、バレないようにカラコンしたり、リップを塗ったりした。休みの日は色んな友達にメイクの先生をした。とても喜んでくれたのが嬉しかった。派手なカラコンも自分が変われる武器だった。

大学生になって、髪を脱色して、もっと派手なカラコンをして、まつげエクステもしていた事があった。浮いていたけれど、自分に自信が持てた。

全部、楽しいから。そして、コンプレックスを隠して、自信を持てる気がしたから。

社会人になって、小綺麗に化粧をしているとやっぱり、自信が持てた。キラキラできた。

人の目を見て話せる。人が怖くない。化けの皮はそんな魔法のベールだった。

今、わたしはスッピンで1週間以上過ごしている。発狂しそうだ。霰粒腫という瞼の炎症。原因なんか、上司に言われた心無い言葉。体型の話。

体型は醜いかもしれないけれど、顔面をつよつよにしていれば、楽しかった。

体型を揶揄され、目が炎症を起こし、わたしは学生時代、化粧の出来なかった頃を思い出した。

何も自信が無い。見た目が普通よりもとてもわるい。そんな自分に戻った気がした。

そうしたらわたしの創作意欲は不思議な程に消滅し、人と連絡が取りにくくなって、人と話しもしにくくなった。

何が楽しいのかわからないまでになる。ひとつだめだと全てだめになる。思考は簡単には変わらない。緩和されているのに。

可愛い服も似合わない。シンプルでボーイッシュな服は飽きた。気分によって、化粧のように、今日はどんな服を着ようか。そんな小さな幸せも今やない。

見た目なんか気にすんなってよく言えたもんだ。人の目じゃない。わたしがわたしらしく生きるために、生きづらさを緩和するために、着飾ることが大事だった。わたしのための、自分を大切にする重要なひとつが欠けている。

化けの皮が剥がれている。

何をそんなこと、贅沢な悩み、関係ないんだ。わたしは頑固だし、でもこんな状態でもきちんと仕事をしているのだ。心はいっぱいいっぱいだ。

昔の心の病気が酷かった頃は、目が腫れていたとか体重が増えていたとかで外に出られなかった。結局手に入ったのは醜いやつれた身体と枯れ果てた心。

体重が増えても外に出られるようになったのは、それを可愛いと言ってくれた人がいたし、オシャレが楽しかったから。

わたしは可愛い女の子に相当なコンプレックスがあるのだろうな。可愛くなりたい。可愛くない。そんなつまらないことで死にたくなったりする時が今でもあるんだなと思った。

治ったら懲りずに化粧をするし、オシャレを楽しむのだろう。自分に似合うものを、ただ心地よく身につけていたいだけなんだ。

自分らしく、生きていきたいだけなんだ。化けの皮をかぶった自分が、武装した自分が、自分らしいんだ。

容姿端麗は望まないから、せめて、悪あがきをさせてくれ。おかしくなりそうだ。せめて、普通でいさせてくれ。


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