浪漫の箱【第8話】
↓第7話
平成3年12月1日。
不倫が発覚してからは怒涛の展開だった。
当事者同士を踏まえた話し合いは祖母宅で行われ、その場には日高夫妻もいた。
なぜならば同時期におっちゃんの不倫もバレたからだ。
アキおばちゃんの同級生より
『三郎くんと初美ちゃんがインター近くのモーテルの道(そこから先は民家はなくホテルのみ)に入ったんやけど!』
という密告があり、その人と共に尾行していたところ父との不倫現場も発覚してしまった。
僕は当時2歳であり、祖母が絶対に大人たちの戦場に近づけまいと嫌がる僕を何とか外に連れ出しそうだ。
――
バシッ!
「まさか宏くんにも手を出しとったとは!しかも同じ場所っち正気か!?」
正座をさせられていた初美さんをアキおばちゃんが平手打ちする。
「本当最低よ初美さん!私を騙していたんですか!しかも実のお兄さんとも…。」
母は怒りと悲しみの入り混じった表情で初美さんを睨みつけた。
「……。」
初美さんは終始俯いていた。
「黙っとらんで何か言え!うちらに言うべきことがまずあるやろが!!」
そしてやっと口を開いた。
「…私と三郎兄さんは約20年、宏くんとは2年前からそういう関係でした。」
場の空気が一気に乾燥し、ヒビ割れた。
父は鈍器で頭を殴られたような衝撃が走ったという。
『まだ続いていた』と。
「はっ…あああ!?にっにじゅっ!うちと結婚する前から…はあぁ!?うちが子どもができんくて悩んでた時も!おいお前らぁぁ!!」
アキおばさんはなかなか子どもができないことに悩み、病院で検査したところ不妊症と診断されたそうだ。
「も、申し訳ありませんでした!本当に申し訳ありませんでした!!」
父は土下座をして謝ることしかできなかった。
その姿はまるでダンゴムシのようだったという。
「も、もう何がなんだか。頭が痛いわ…。やだぁ…うっうぅ…。」
「ごめんな美奈子さん。よそから嫁いできた身とは言え、日高家の嫁として本当に本当に情けねぇ…。」
不倫された者同士の頭上に悲しみの雨が降り始めた中、突如バンッと雷に似た音が鳴る。
これまで口を閉ざしていたおっちゃんが台を叩き、同じく口を閉ざしていた父に掴みかかってきたのだ。
「お、おいやってな!!初耳やったど!!宏くん!!初美をそそのかしたんか!!」
「ち、違います!!」
「お前のせいや!!全ては!!お前があん時親父さんらに告げ口せんけりゃ…」
「黙らんか三郎!!今はそういう話はどうでもよか!!きっしょい争い!」
「…あの、私たちは離婚しませんから。ねぇあなた。貴宏のためにも。」
「なっ!?」
「うちもせん!!その代わり初美、お前は早くこん町から出ていけ。そいで二度とうちらの前に現れるな。」
「何を言っとるんか!!」
「あんたら愛知に親戚がおるんやろ?そっちに引っ越せ。とにかく九州から出ていけ。費用は出すわ。なぁ、三郎。」
続けてアキおばさんが話を続ける。
「今の日高の家にはうちらが住むからよ。」
「はぁ!?今住んどるとこはよ!?」
「あー。弟夫婦が丁度家探しをしとったとこでな。子どもももうすぐ小学生になるし譲る方向で話しとったんよ。あんたらの不倫が分かってからな!!勝手に話を進めとってごめんなさいね。」
「あぁ!?嫁いできた身のくせに…もうやっとられん!!勝手に決めやがって!お前とは何が何でも別れ…」
そこで初美さんが割って入った。
「止めて兄さん。分かりました。年内に出ていきます。今後2人、いや皆さんには二度と近づきません。」
「言ったね!」
「はい、誓います。この度は誠に申し訳ありませんでした。」
「じゃあ、誓約書。三郎から書いて。」
「…ッチ!!便所!!」
おっちゃんは込み上げてくる涙を必死に抑えながら立った。
「仕方ないなぁ。じゃあ宏くんから。」
「分かりました。」
そして数日後、初美さんは消えた。
――
その夜、夢を見た。
「ばぁーば!だんごむしいた!まるくなったよ!」
僕は祖母と手を繋いで歩いていた。上からのアングルだったため、子ども視点だったのか。
「着いたでぇ~。」
祖母の家の前だった。
ガララッ
「ただいまぁ〜。」
「あーら貴ちゃん、スミちゃんも。おかえりぃ。」
父と母、アキおばさんがいた。
「美奈子さん、話し合い終わったかい?」
祖母がコソッと母に訪ねる。
「はい。何とか。」
「東京のご両親に何とお詫びしていいのか…。本当にバカ息子が。」
「いえいえ、離婚はしませんから。これからもよろしくお願いします。」
「ごめんなさい…。」
「大丈夫ですか?お義母さんは座っててください。お茶淹れますね。初美さん、一緒に手伝ってくれません?」
「え…う、はい。」
「美奈子さん…はっちゃん。ありがとねぇ。アキちゃんもお疲れ様。」
初美さんが少々戸惑いながらも母の後をついてキッチンのある部屋へ向かった。
「お義母さーん、貴宏に牛乳を飲ませたいのですが貰っていいですか?」
「あぁ、よかよ。」
「ありがとうございまーす。」
そこからキッチンへ場面が変わる。母と初美さんがお茶の用意をしているようだ。
「…お茶っ葉取ってくださる?」
「…うん。」
………………………。
2人の間に長いこと沈黙の時間が流れ、ようやく初美さんが口を開いた。
「あ、あのさ美奈子ちゃん!本当にごめ…」
「…初美さん。私、お姉さんができたみたいで嬉しかったんです。今まで優しくしてくれて、貴宏を可愛がってくれてありがとうございました。」
「そげなこと言われる資格ないわ。」
「初美さんなら新居地でもやっていけますよ。あ、茶柱!見てください!」
「本当や〜。始めて見たわ〜。」
初美さんの表情がようやく緩む。
「フフ。やっと笑ってくれた。あなたのその眩しい笑顔が大好きで大っ嫌いでした。」
「え?ちょっ。アキさんいつの間に後ろに!?」
初美さんはアキおばちゃんに後ろから羽交い締めされていた。
「黙れ動くなアバズレが。口開けろ。」
僕のために用意していたキャラ物のコップに入った牛乳を無理流し込む。
「離し…がぼ!ぐがはっ…コボブォ!」
「アキさんアキさん、もっとしっかり抑えて抑えて。」
「美奈子さんもしっかり。震えちょっが…!」
「べぇげぇほ!うぇお!!あっ…ぐ…っ…熱…ぐっ!!ヒューッヒューッ………。」
「死んだか?」
「蕁麻疹は…お腹くらいであまり出てないですね。アキさん、みんなは外に?」
「うん。みんなで外で貴ちゃんと遊ぶように誘導した。ぐずり出したから丁度よかったわ。」
「どうしましょう…。これ。」
「裏口からとりあえず日高ん家に運ぶど。スーツケースは?」
「あります。」
「じゃあ入れよか。」
「ですね。硬直が始まる前に急いで入れましょう。骨折ってでもいいから早く。関節をこうして…。」
バキッバキッ…
「うーん。入らない…。あ、解体しましょう。」
「ここで!?」
「さすがに無理よね。フフ。みんなが帰ってきちゃうわね。フハハ。でも…2人がこの女の肉を嫌嫌ながら食べてる姿想像したら笑えてきた。」
「…食べさせるんか!?」
「そうですよー。夏に焼き肉でもしません?いいなぁ焼き肉〜。ただの肉の塊になったあの女でも受け入れてくれるかなぁ。」
「あ…。」
アキおばちゃんと目が合った。
「あら、貴宏。どうしたの?」
母はいつものような優しい眼差しで僕を見つめている。
「おちっこぉ…あれ?そのおにんぎょさん、こあれちったの?」
スーツケースの中には父と母、祖母、おっちゃん、アキおばちゃんの人形が乱雑に入れられていた。
そして母が初美さんにすり替わっており、口から牛乳を垂らしながら何かを言おうとしている。
「わ…」
――
「!」
目覚めると汗だくになっていた。すごく怖かったが奇妙な夢だった。
タオルで軽く拭いてシーブリリーズをつけようとしたら中身がドバっと出てズボンに溢れた。
もうすぐ冬が来るというのに体はスプラッシュマリン。
教室から逃げ出したあの日から時が止まっているようだ。
徐々に白くなる布地を見つめる。
頭に浮かんだのはおっちゃんから受け取った修正液で塗りたくられた手紙。
教室から逃げた罪悪感と達成感。
そして、これからのこと―。
「貴ちゃん、おはよう。ご飯できちょるよ。」
「おはようございます…。あ、母に電話していいですか?」
ほぼワンコールで出た。
『もしもし、貴宏?元気でやってる?』
『う、うん。何とか。』
久しぶりな上あの話を聞いた後に始めて会話するため、少し緊張しているのが分かる。
『それならよかった。』
「あの…さ。学校の件やけど。」
『うん?』
「年が明けたら…保健室登校から始めてみてもいい?」
僕はゆっくり前へ進むことを選んだ。
いつ死ぬか分からないし、この際がむしゃらに好きなように生きてやる。
―続く―