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浪漫の箱【第3話】

↓第2話




写真のお姉さんを指差した瞬間、両親の顔が固まった気がした。

ほんの数秒の沈黙の後、母が口を開いた。

「…初美さんだわ。あんたが2歳の時に亡くなったの。この写真はあんたが生まれてからおばあちゃん家に遊びに来ていた時だね。」

「え、何歳で?」

「35歳よ。」

全然お姉さんじゃなかった。だが見た目は年齢よりも断然若々しい。

今生きていれば50歳。今の父より少し上くらいか。

ちなみに父は現在47歳、母は44歳である。

「何か病気で?」

「…心臓発作だったかな?年の瀬くらいにこたつで眠るように亡くなってたみたいで。まだまだこれからって時に…気の毒だったわ。」

「初美さんも親戚…」

「親戚…というか…。」

「ほいほい!もう遅いから。寝なさい!」

母が言いかけたところで、それまで黙っていた父に邪魔され結局聞けなかった。

あの写真を見せた瞬間のピンと張り詰めた空気。

彼女の話をする時の母の引きつった笑顔。

話をぶった切った父の少し焦ったような声色。

この世にいない人のことに触れたというのもあったかもしれない。

ただ、いくらそうだとしても引っかかる。

何よりも違和感満載シャツのことが頭にチラついて、その夜はなかなか寝つけなかった。


ということで僕は何か知っているかもしれないと再度あの人物と会うことにした。

――


翌日僕は住宅街の中にひっそりある昔ながらの喫茶店にいた。

おっちゃんには不登校になった経緯を説明してある。

ここなら知っている人に会わないだろうと彼なりに配慮してくれたのだろう。

普段はガサツだけど、そういうところがモテるのか。


カランカラン

「おー貴宏!しばらくぶりやな。農協行っとって遅くなったわ。どうやリラックスできちょっか?」

作業着姿の日高三郎が入口から元気よく入店してきた。

「はい。とても快適でございます。」

「何じゃそら!すんませーん!ブラックコーヒーを1つとおまえは?」

「同じで…。」

「じゃあ2つお願い!おっ!ケーキもあっど。おっ季節のケーキか!今はぶどうか梨かね?」

「りんごのタルトです。アップルパイもオススメですよ。」

店員が丁寧に教えてくれる。

「ほーぉ。りんごね!りんごうめぇがね!いるか?」

「…いいです。」

「あっそ。じゃあおいはナポリタンで!コーヒーは一緒に持ってきてくれい!」

頼まないのかよ。

あきらかに店員が苦笑いしている。他の客もチラチラこちらを見ている。

頼むから喫茶店で大きな声出さないでくれ。

恥ずかしいのでなるべく手短に済まそうと決意した。

僕は数枚の中と例の写真を机に置き、おっちゃんに見せた。

写真の中の初美さんは色黒で薄化粧だけど顔立ちがくっきりしていて、本当に美人だ。

これが美人薄命ってやつなのか。

「この…写真の女性なんですが、ご存じな…」


言い終わる前に写真を手から奪われた。

おっちゃんは目をカッと見開き、食い入るように見つめている。

まるで長年想いを寄せていた人と再会したかのような。


―初美さんだったのか。

目の前の醤油せんべいは写真を穴が空くんじゃないかってくらい見つめている。

運ばれてきたナポリタンやコーヒーにも手を付けない。

時折愛おしそうに撫でている。

何の時間なのだろうと思いながらコーヒーをすする。

相変わらず愛人の写真に釘付けなおっちゃん。

店内に流れているのは陽気でおしゃれなボサノバ。

パンポプテンポプン。

笑ってはいけない時に笑いたくなる時ほど苦痛なものはない。

ぐつつっと喉の奥から変な音が出る。

陽気に流れるボサノバがさらに攻撃してくる。

僕は皮膚をつまんだり歯を食いしばったり咳をして誤魔化した。


「は、初美じゃ…。初美ぃ…。」

「えっ。」

顔を上げると、あの強気なおっちゃんが背中を丸めて写真を眺めながら嗚咽を漏らしている。

「ひっ…えぐっ…。」

「どうしましたかっ。」

僕は早口で聞いてすぐに手元のグラスに目線を写した。

「なぁ…貴宏ぉ…こん写真見てくれ…」

「…はい。」

だが、遅かった。顔を上げた瞬間、涙と鼻水でくしゃくしゃの醤油濡れせんべいがいた。


「…ぐっ!!ぶっふ!!」

僕は盛大に吹き出してしまった。


バァァァン!!!

「…なぁぁーん笑っとるんか!!あぁ!?」


おっちゃんが茹でダコの如く顔を真っ赤にさせながら机を叩く。

「いや…いや…げっ!げっほ!ちょっと風邪気味で…我慢して…」

「あぁん!?なんち!?」

怒られているのにこのミスマッチな状況である。

「…っ!ぐ、すみ…ませ…っ!げぇっほ!」

完全にツボにハマってしまった。

「…っつぐ!ちょっ…トイレ…行ってきます…。ぐっ…ぷ。」


――


30分後。

「す、すみませんでした。先ほどは。げほっ。」

「おぅ。おいも怒鳴って悪かった。店員から注意されて次騒いだら出てくださいっち言われた。体調は?」

注文の時は優しかった店員が遠くから睨んでいる。僕は申し訳ない気持ちでいっぱいで頭を下げた。

「大丈夫です。」

「さて。こん写真の女、初美はおいの妹じゃ。」

「そうだったんですか。」

確かに言われてみれば、2人とも顔立ちがくっきりしているところは似ているかもしれない。

まさか兄妹だったとは。だから泣いてい…


「そいで、おいと…その…うん。そういう関係やった。」


「んげっへぇ!!」

危うくコーヒーを吹き出しそうになった。

「実の兄妹で。そういう関係になったんはたしかおいが28歳で初美が18歳。おいが30で結婚してからもしばらく続いた。」

瞬きが止まらない。頭の中に炭酸飲料を注がれている感覚だ。

「えっえっ。待って…。さ、三郎おじさんは今いくつなんですか。」

「60じゃ。初美はおいが45の時、35歳で殺された。」

「そっか。殺さ…」


殺された?


「母からは心臓発作って…」

「はっ!もうないからな。遺体は。」

「ないって。お墓には?」

「食った。」

「は?」

嫌な汗が背中を伝う。

彼が焼き肉の時の写真を指差しながら静かに言った。


「こん焼き肉の時の肉はソーセージ以外、初美の肉じゃ。」


――


あれからどう帰ったのか分からない。

『あのシャツは初美のお気に入りのワンピースで作ったんや。おいの嫁がな。見せしめっちゅーやっちゃな。だからおまえをおいの向かい側に座らせたのかもな。』

『初美さんを殺したのは誰ですか?アキおばちゃん?』

『知りたいか?後悔しても知らんど。』

『…そのために来ましたから。』

『じゃあ……』

真実を知った瞬間、僕は「えっえっ!何で何で!?」と繰り返し泣き叫びながら、おっちゃんがまだ手をつけていなかったナポリタンを奪ってひたすら食べた。

おっちゃんは「食え食え。」と優しい目で見守っていた。

喫茶店は出禁となった。


――


夕食後、僕が荷物をまとめているとノックの音が聞こえた。

「貴宏、帰って来たの。」

「う、うん。」

「どうしたの?青ざめて。その荷物どうしたの!?」

「あっと…。」

喫茶店でのおっちゃんとの会話が頭をよぎる。

『初美を殺したのは、おいのカミさんと美奈子さん。』

母が人を殺した?

『初美は宏くんともそういう関係やったんや。』

父も不倫してた?


『嫁が初美を羽交い締めにして、美奈子さんが無理矢理初美の口の中に牛乳を入れた。あいつは重度の乳製品アレルギーやったからな。』


情報多すぎて脳みそ1個じゃ足りないよ。


「…かひろ…っと、ねぇ!聞いてるの?」

ハッと我に返った。

「あ…おばあちゃん家。」

と言う名の現場に行く。

「あぁ、おばあちゃん家に泊まりに行くのね。そうね。部屋に籠もってばかりじゃあれだし、いい気晴らしになると思うわ。」

「あの…さ。変なこと聞いていい?亅

「なーに?さっきから変よ。」

「この町には変な風習とかあった?人を生贄にしたり。」

「…はい!?なーに言ってんの。」

「あ!三郎さんに変なこと吹き込まれたんでしょう。あの人ね、面白いけどちょっと変わった人だから。後、変なサイト見過ぎよ。」

「だ、だよねー。」

母が去った後、ベッドに寝転がりしばらくボーッとした。

とりあえず今の状況を整理してみよう。現在、おっちゃんは60歳。


『いまは繋がっとらんが30年前くらいに貰ったやつじゃ。』


あの手紙は初美さんが20歳くらいの時に書いた手紙なのだろうが彼女は何を思いながら書いたのだろうか。

一緒に燃やされたいくらい大切な内容だったのは確かだ。

まさか約15年後に殺されるとは思ってもいなかっただろうな。

―本妻たちの手によって。

こんな汚らしい空間にいたくない。早く出たい。

僕は窓を開けて外の空気を吸い込んだ。

絶対おっちゃんの悪い嘘だ。そうだと言ってくれ。


そして出発の朝がやって来た。歩いて40分くらいの距離だが。

さすがに荷物が多いため、仕事に向かう父に送って行ってもらうことにした。

「ほい行くど。荷物はこんくらいか?先に車乗せとくから。」

そう言いながら父は先に車の方へ向かった。僕も最終チェックが終わったので靴を履こうとしていると

「ねぇ、貴宏。ちょっといい?」

母に呼び止められた。

「ん?」

「最近、三郎さんとよく会ってるみたいだけどその…あまり迷惑かけないのよ。あちらのご都合もあるんだから。」

「分かった…。」

「はい!これおばあちゃんに食べてくださいって渡して。よろしくお願いします伝えてて。」

「うん。じゃあいってきます。」

手土産を受け取り、入口前に停まっている父の車に乗り込んだ。

「いってらっしゃい。」

笑顔で手を振りながら見送っている母の目は笑っていなかった。


―続く―




↓第4話


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