【 よろこぶ 】 空中游泳#3
1日でどれくらいうれしいことがあるだろうか。
目覚めて生きてたら、うれしい。家族もみんな生きてたら、うれしい。そこからはじまる。娘が起こしてくれると尚のこと、うれしい。
体の調子がいいのが、うれしい。顔を洗って肌の調子がいいのが、うれしい。朝ごはん用意してもらえて、うれしい。猫がかまってくれるのも、うれしい。娘が遊んでくれるのも、うれしい。嫁さんが文句も言わずに好きにさせてくれているの、うれしい。みんなが見送ってくれるの、うれしい。
時間が自由なのも、うれしい。車があるの、うれしい。好きなときに出て、好きな道を選び、好きな音楽を聴いて、好きなアトリエへ向かう。うれしい。
この調子でいくと、すごい量になりそうだから、この辺でやめておこう。
うれしいことはいっぱいある。反面、いやだなーと思うことに目を向ければ、それはそれである。だけど、わざわざいやだなーに時間を割きたくないからしない。あるものは、ある。それだけだ。
いやだなーが浮かんだら、以前はいちいち分析したり検証したりしてたけど、今はごにょごにょと考えずに「うんうん、そうだねー、いいよー、ゆるしてあげる」といった調子で流している。
うれしいことが1日にいっぱいある方がいいし、いやなこともキーキー言わずにゆるしてやれば、そんな余裕をかませた自分にうれしくなるから。
視野、目を向けるもの、見方、で生活は一瞬で様変わりする。無理かなーみたいな方を見れば無理を見つけることになる。なんかあるかなーだと、なんかある。
画家になって、そこがすごく変化した。これも、うれしい。
息子も娘もガンガン見つけていく。そして、たのしんでいるし、あそんでいるし、キラキラしている。それがなんだっていい。
つまんなーいもあけすけに言う。つまんないから。つまんないよりたのしいを求めているから、たのしいことを探し出す。ちょっとすれば、もうたのしんでいる。
子供たちは先生だ。動物も、植物も、菌も、なにもかも。もう先生だらけ。
知識や教養ほど、これらのシンプルな幸福を邪魔するものはない。ただ、そうしてりゃいいから。元来、理屈の入る隙間なんてないのだ。
大人と言われる人たちが、みんなこの調子になったら機嫌のいい世の中になるだろうなぁ。とっ散らかってて、おもしろいだろうなぁ。
なかなかできないよーって時は「うんうん、そうだねー、できないよねー、いいよー、ゆるしてあげる」って自分に言ってあげればいい。できないという罪悪感にまみれて生きるより、よっぽどいい。
最近、絶望感で充満しそうな出来事が起こったのだけど、ビックリするほどケロッとしてて、なんでかなーと思って、ちょっと生活を振り返ったら、こういうことかって納得したので書いてみた。
なんだか、人様の文章が読めなくなってきた訳が掴めてきたな。書いてみてよかった。うれしい。
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