自分で言うのもおこがましいと言うか自慢っぽくなってしまうけど、僕は何かとみんなから期待をされることが多い。実際に何か結果を残したわけでもないのに、なぜか「なんでもできる」風に見られている。 「コミュ力高いね」と言われることもある。 それも僕から見てコミュ力お化けみたいな、みんなと仲良くできるような人から言われるのだからびっくりだ。 もしかしたら「うるせぇよ」って言うのをオブラートに包んで言っているだけかもしれない笑。 僕は人と話すことが好きだし、いろんな人と話をしてそ
僕を世界から隠すように、世界を僕から隠すように、街に霧がかかっている。湿気を吸って湿気を吐くような心地悪さを口の中で転がしながら、僕は自転車にまたがっていつも通りあの場所へ向かう。 すれ違う人はその3秒前になってやっと顔の判別がつくような状態だ。2、3歩前までがギリギリ見えるくらいでその先は何も見えない。だが不安は感じない。もうずっと昔からこうだ。半径1.5m以上外の世界には興味がない。そしてその領域の中に全てを詰め込んで周りと自分を分け隔てようとする。ただ、あの空だけ
こんにちは。今日はなんとなく感じてしまったことを書きます。 僕はやりたいことがあふれているのは良いことだと思っていました。周りの人がやりたいことや将来の夢がないって言うことに寂しさを感じていました。 でもちょっと思ってしまったんです。夢を追い続けること、夢を語ることはそんなに美しく、綺麗なものなのかと。 叶ってもいない、叶うかもわからない夢を追い続けるのは、もしかしたら「今」に期待していないだけなんじゃないのかと思うんです。 「今」何もできないから、未来に期
こんにちは、こんばんは。おはようの人はいないかな。上田です。今回は「瑞々しいって、なんだ?」という話題です。ではどうぞ。 皆さん瑞々しいって言葉使ったことありますか?聞いたことはあると思います。野菜とか果物とかに対してよく使われてますね。食レポの常套句です。 でもこの「瑞々しい」って言葉、人にも使いますよね。「若い」「元気がある」「生き生きとしている」みたいな感じで使いませんか? 「瑞々しい」を僕の尊敬する大先生(gで始まってeで終わるアルファベット6文字
嘘の対になる言葉は本当だったり真実だったりします。 でも実際には全部が全部そういうわけではありません。 嘘の反対は嘘じゃないってだけで、嘘じゃなければ全部本当ってわけではないんです。 嘘はついてないけど本当のことも言ってないっていうのはよくあります。 それは優しさかもしれないし、保身のためかもしれない。 どっちにしたって、嘘の反対が本当で、本当の反対が嘘だなんて、全部を白か黒かに分けないで欲しいんです。 そんなうまく割り切れるはずないんです。 そんな全てを切れる
誰しも文章を書くとその人特有のリズムが出るようです。僕もよく使う言葉であったり、言い回しも偏ってるなという気がしています。 このリズムは、生き方にも現れると思います。理由は簡単。文章とはいわば言葉なわけで、言葉は思考を反映しているからです。文章のリズム=言語のリズム=思考のリズムとなり、生き方は一瞬一瞬の選択・思考の集積だからです。 皆さんのリズムはどうでしょう。このリズムは、音楽的に言えば拍子のように一定である必要はありません。中国から伝わった日本の雅楽には