津野米咲・赤い公園の音楽 19. 風が知ってる ー 届いていない人たちに届けるために
赤い公園3枚目のシングル『風が知ってる・ひつじ屋さん』は, 『公園デビュー』発売から半年後の2014年2月12日に発売されました。 「風が知ってる」はアニメ『とある飛空士への恋歌』エンディングテーマとして作られ、また、初めて外部プロデューサー(亀田誠治さん)を迎えた作品です。 過去にもテレビ番組やドラマ等で赤い公園の曲が採用された例はありますが、タイアップ前提で書き下ろされたのはこの曲と「ひつじ屋さん」が初めてのはずです。
おそらくテレビCM向けのプロモーション映像が作られており(私は当時それをYoutubeで見ました)、印象的なサビだけが使われていて、その部分だけを聴くと前作までとは全く印象の違う音楽になっているので驚いた記憶があります。 また、そこで歌われている”凍てついている心も必ず溶ける、誰かに疎まれても大丈夫”という内容の歌詞も、それまでの赤い公園の曲と比較して非常にストレートに伝わってくる内容であり、上記に引用したインタビューで語られている”守るべきものは守りながら、しっかりと届くように変化して行く”という決意がそのまま表明されているかのような曲でもあります。 ”凍てついている心”の持ち主は津野さん自身でしょう。 そして、”誰かに疎まれる”は後に「Yo-Ho」の中でも出て来るモチーフです。
一方で、全曲を初めて聴いた時は、Aメロが長調と短調の間をさまよっていたり、Bメロで一瞬変拍子かと思うようなリズム展開や転調があったり、一応ギターソロと思われる間奏部ではコード進行を無視したオスティナートがあり、その裏でメロディだけ聴くとまるで演歌のようにも聞こえるギターのメロディの繰り返しがあったり、全体としては如何にも赤い公園らしい作品であると感じました。
佐藤千明 ー Vocal
津野米咲 ー Guitar / Backing Vocal / Keyboard
藤本ひかり ー Bass
歌川菜穂 ー Drums
プロデュース 亀田誠治 (風が知ってる)、津野米咲(ひつじ屋さん)
旧体制の最後のライブ(熱唱祭り)では、配信シングルを含む全シングルの中でこの曲とCanvasだけが演奏されず(後に発売されたベスト盤『赤飯』には両曲とも収録されています)多少驚きました。 一方で、新体制最初のライブであるビバラロック(2018年5月)ではこの曲が一曲目に選ばれました(新ボーカルの正体はライブ開始時点でも隠されており、この曲の間石野さんには照明が当たらなかったので、聴衆は誰が歌っているのか全く分からないままこの曲を聞きました)。 この選択にはいろいろな事情があったと思いますが(当時の石野さんの歌い方に最も合っていた、とか)、再出発の記念すべき一曲目に選ぶだけの自信と愛着のある曲である事は間違いないと思います。 新体制になり”今度こそ赤い公園の音楽をしっかりと聴衆に届ける”、という決意の表明かもしれません。
1. 「風が知ってる」の特徴
アレンジ
この曲は珍しくコーラスが全く入っていません。 全曲通して歌っているのは佐藤さんだけで、これがたった一人で強い風に打たれているような姿を想像させます。
また、この曲はデモ(自作およびバンドデモ双方)版ではギターが入っておらず、最終形でギターが弾いているメロディはシンセサイザーで演奏されていたそうです(次項でインタビューを引用しています)。
結果として、全曲を通してギターはボーカルの対旋律やオスティナートを短音で弾いている部分が多く、コードを弾いている部分がほとんどありません。 下記ビデオはギターのパートをシンセの音色に置き換えてみた物です(ちょっとCD音源のギターの音色に引きずられていますが、実際はもっと歪んでいない音だったかも知れません)。
構成
C minor →E ♭minor→E♭ major , BPM 115 (揺らぎ無し)
イントロ(Aメロのバックのパターン)→Bメロ(あるいはブリッジ)→サビ→Aメロ→ギターソロ→Bメロ(あるいはブリッジ)→サビ→アウトロ(Aメロのバックのパターン)
全曲のコメント入り動画は下記をご覧ください。
Bメロ(あるいはブリッジ)の部分で♭が6個(E♭マイナー)という当時の赤い公園にしては非常に珍しいキーが使われており、ボーカルも最高音はGに到達するので、簡単なキーにするには半音下げてBマイナーから開始すればシャープ2個、フラット1個(Dマイナー)、シャープ2個(Dメジャー)で済む上に最高音もF♯になって佐藤さんとしても余裕のある音域に入ったと思うのですが、これはおそらく、ピアノで作曲する際は出来るだけ白鍵盤で作りたいという津野さんの癖が現れたもののように思えます。 半音下げると全体的にはすっきりしますが、印象的なピアノのオスティナートが黒鍵だらけになってしまうので、これを嫌ったのではないでしょうか。
明暗の間をゆらぐ ー 曖昧な調性
Aメロのメロディーは調性を確定する三度の音(ミの音)避けるようにつくられており、一方でバックのピアノは繰り返す度に三度の音がナチュラルしたり(メジャーになる)、フラットしたり(マイナーになる)する為、全体を通して明るいのか暗いのか分からない音楽になっています。 これは基本的に「塊」で全曲を通して使われているテクニックと共通しています。
明暗の間をゆらぐ ー 調性設計
AメロのCマイナーはサビでは平行調(同じフラット3個)であるEフラットメジャーに転調します。 本来、暗い調性から一気に明るい音楽に到達するには、Cマイナーの同主調であるCメジャーに転調したほうがより効果的と思いますが、この曲はAメロの時点で既にCマイナーとCメジャーの間を曖昧に行ったり来たりしているので、サビをCメジャーにしてしまうと、あまり効果があがりません。 曖昧さは無くなったが、さほど明るくなったようには感じられないという結果になってしまうと思います。
この曲では、Bメロ(あるいはブリッジ)でCマイナーの平行調のEフラットメジャーの同主調であるEフラットマイナーに転調する事により、Aメロよりも更に暗い(深く沈んだ)調性に移行します。 そこで歌われるのはは2段階分けて沈んでいくようなメロディであり、到達したところはこの曲の中で一番暗い部分です。
そしてそこから同主調のEフラットメジャーに転調する事により、一挙に霧が晴れて暖かい光が差し込んでくるような絶大な効果をあげています。
オスティナートの積み重ねによる精緻なリズム
この曲は全体を通して同じリズムやフレーズの繰り返しが非常に多く、特にAメロはボーカル以外の全ての楽器がオスティナートを演奏していると言っても過言ではないと思います。 それぞれは単純なフレーズなのですが、それが積み重なる事によって精緻なリズムが生まれています。
対してサビはリズム的な反復はありますがフレーズの反復はリズム隊にはありません。 一方で、ギターだけはところどころでフレーズの反復を含むオスティナートを奏でています。
下記ビデオは各パートのオスティナートの積み重ねがどのようなリズム的効果を上げているかを示すものです。
拍子
上述のように、Bメロ(ブリッジ)の部分は5拍のフレーズが2回繰り返され、一瞬変拍子のように響きますが実際は六拍子の中でフレーズの開始位置がずれる為にそのように響くトリックです。 一方で、ギターソロに入る直前は一拍分の全休止が挿入されていて、この曲の中ではここだけが変拍子になっています。
2. プロデューサーを迎えて
上記インタビューにあるように、自作のデモ→バンドでアレンジを練ってデモを作成→プロデューサーが手を加える→再度でバンドで合わせて完成、 というプロセスで「風が知ってる」は作成されたようで、以降外部のプロデューサーを迎える場合は基本的にこのプロセスで曲が完成されたようです。
この曲では、亀田さんの役割は上記のような楽器の入れ替え、ボーカルを歪ませる事で全体の音の印象を変えて行く言った部分が中心だったようで曲の構成やメロディ・コード進行にまで踏み込むものではなかったように思われます。
しかし、この曲が収録された新アルバム『猛烈リトミック』 発売後のインタビューを読むと、プロデューサーのアレンジその他に対する貢献度はこの後徐々に大きくなっていくようです。
3. 津野さんの意図
自分に与えるルールの中での作曲プロセス
幼い頃に音楽教室で”(それまでに教わったルールに違反しているから)ドとシを一緒に鳴らしちゃダメ”と言われて教室を辞めてしまった津野さんですが、実はルールや決まり事は厳しい方が好き、とインタビューで発言しています。 特に、音楽については何もない所からゼロベースで作るのは苦手であり、なんらかのお題を与えられたほうがやり易い、とも。 この時点で既に津野さんはSMAPに「JOY!!」を提供していますが、これは”SMAPが歌って聴衆が喜ぶ曲”という具体的なお題がある為、苦心はしたがやり易い仕事であったようです。 初めての書き下ろしであるこの曲は上記のようにアニメの内容に沿った歌詞・曲にする事を明確に意識して作成されており、その点で津野さんにとってもある種の安心感を持って進められたのではないでしょうか。 そして、”より届きやすい音楽”を作って行く事を目標とした作詞作曲プロセスは、特にサビを全部作り直し、その結果が一聴して聴き手を引き付ける強い音楽になったという点で大成功であったと思います。 また、同時に外部プロデューサーとの共同作業を開始した事も非常に良いタイミングだったのでしょう。
ライブとCD音源の関係性
赤い公園はこの曲で初めてライブで同期再生を使います。 キーボードやグロッケンシュピール等の所謂上物は基本CD音源に使われたデータをライブで再生、それに同期する形で生演奏を行う訳ですが(同期再生される音源のリズム(クリック)を歌川さんがヘッドフォンで聴き、それにテンポを合わせてドラムを演奏、バンドは歌川さんのテンポに合わせて演奏する)、バンドとしてその結果には満足であったようです。 この後から旧体制の最後までと、石野さん加入後の数回のライブではほぼ全曲がこの形式で行われています。
津野さん・赤い公園というバンドはCD音源とライブ演奏の差を可能な限り小さくする事に大きな拘りがあったようで、「風が知ってる」で同期演奏の効果を確認した後、曲のアレンジは引き算型から足し算型に変わっていきます。 一方で、新体制の本格始動後はごく一部の例外を除いて同期の使用を止めてしまいますが、それに従ってCD音源のアレンジもまた『公園デビュー』の頃のようなシンプルなバンドサウンド(引き算型)に戻っていくのです。
届いていない人たちに届ける
津野さん自身の”届けたい”という強い思いに基づく作詞作曲方法の変化、その上で行われた亀田さんのプロデュースは、この曲を、赤い公園のエッセンスを強烈に残しながらも今までの響きとは全く違う音楽に変貌させる事に成功しています。 薄明の世界を潜り抜けたこの曲のサビは、はっきりと明るく、暖かく、肯定的に響きます。 赤い公園の音楽が、このように響いた事はこれまでありませんでした。