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津野米咲・赤い公園の音楽 42. 私

オリジナルを作り始めて3曲目にできた曲ですね。1、2曲目は音源化してないので、実質、最も古い曲です。どうしてもこのアルバムに入れたかった。今の自分たちがこの曲を鳴らしたらどうなるか知りたかった。

赤い公園オフィシャルサイト  - 『猛烈リトミック』特設サイト

 上記は2014年の9月24日に発売された2枚目のフルアルバム『猛烈リトミック』の6曲目に収録された「私」についての津野さんのコメントです。 実際には「私」は2011年3月に発売されたインディ盤の『ブレーメンとあるく』に収録されているので、”今の自分たち”と昔の赤い公園の演奏を実際に比較する事が可能です。
 『ブレーメンとあるく』に収録されていてその後メジャー盤向けに再録された曲は他に「副流煙」と「よなよな」がありますが、メジャー盤は2012年発売なのでインディ盤の発表からさほど時間が経っていない上に新旧共に津野さんのセルフプロデュースという事で差異は比較的小さいのですが、「私」に関しては約3年の時間をおいての再録であること、さらに大きな要素としてはプロデューサーとして島津央さんを迎えている事で全体的な変化が大きいように思えます。

佐藤千明  ー Vocal
津野米咲  ー Guitar/Backing Vocal/Keyboards/Percussion
藤本ひかり ー Bass/Backing Vocal
歌川菜穂  ー Drums/Backing Vocal
作詞/作曲: 津野米咲
プロデューサー: 島津央


1.  「私」の特徴

2と6の和音

 サビの激しい部分が印象的なので気が付きにくいですが、曲自体はDメジャーの津野さん好みのワルツです。 G-D-E、F♯-D-Eを繰り返すギターですが、Eの音が3和音の外の音の役割を果たしており、それぞれG6、D2(G+9)という如何にも津野さんらしい和音なのですが、このパターンが”オリジナルを作り始めて3曲目”の冒頭から現れる事に改めて感心してしまいます。

サビを予告するベース

 Aメロの繰り返しの一小節前からベースが入ってきますが、このフレーズはボーカルがサビで歌うメロディそのままです。 この音型はいろいろと形を変えて全曲に渡ってギターやベースに現れます。

「私」 Aメロ
「私」 サビの部分

サビのフレーズの執拗な繰り返し

 3度目のサビではコーラスがボーカルを追っかける形で基本同じメロディを繰り返します(譜例)。  また、ベースは小節の3拍目から同じフレーズを弾き始めたりするので、三本の線が絡み合うようにサビのメロディを繰り返す部分は圧巻です。
 「私」は"わたし"と発音されますが、追っかけコーラスは"あたし"と歌われているように聞こえます。

転調した後のサビ

半音上げ

 3度目のサビの部分で所謂”半音上げ”の転調が行われます。 特に凝った作曲技術が不要な割に効果が大きいので、J-POPでは非常に良く使われる転調パターンですが、リリースされている赤い公園の音源で”半音上げ”が使われるのは実はこれが初めてです。

2.  インディ盤との違い

テンポ

 どちらの録音もクリックに合わせた演奏では無いようですが、メジャー盤のBPM約115に対してインディ版は110前後で聴感上もゆったりと感じます。 ワルツのイメージが強いのもインディ盤です。

ギター、ベースのフレーズ

 同じように再録された「副流煙」、「よなよな」と同じく、ボーカルのメロディは勿論、ギターやベースのフレーズもごく一部を除いてほぼ完全に同一です。 違いが大きく目立つのは2度目のサビの裏のクリアトーンのギターで、インディ盤はコードのストローク、メジャー盤は対旋律の役割も果たすアルペジオになっています。

せき立てるようなリズム 

 メジャー盤ではAメロは常にゆったりした響きですが、インディ盤では2度目のAメロの裏で歌川さんが八分音符の忙し無いリズムを(おそらくクローズドハイハットで)叩いています。 あまり目立ちませんが、非常に印象的な部分です。

”私”の読み

 メジャー盤では一貫して”わたし”ですが、インディ盤で佐藤さんは一度だけ”あたし”と歌っているように聞こえます。 最後のサビのおっかけコーラスはインディもメジャーもすべて”あたし”のように聞こえます。

半音あげ

 これはインディ盤にはありません。 先にメジャー盤を聞いて転調に慣れていた自分は初めてインディ盤を聴いた際に階段を踏み外したように感じました。 ただ、繰り返し聴いていると段々こちらの方が赤い公園らしいような気もして来ます。 これはいずれにせよ非常に大きな差ですので、もう少し考えてみたいと思います。

 半音あげが無い場合、この曲の最高音はDなのですが、これは『ランドリーで漂白を』までにリリースされた曲の中では最高に高い音です。 後のインタビューで佐藤さんはこのDも非常に苦しかったと振り返っていますが、活動休止期間中の練習で高域はかなり余裕が出て来たようで、実際により高い音が使われるようになって来ます。 このように考えると、インディ盤録音当時は半音あげをしたくても出来なかったのでは?と思われますが(ギターのフレーズは開放弦が多用されているので、特殊チューニングをしない限り全体を半音下げることは難しかったのではと思います)、果たしてどうでしょう?  あくまで個人的な想像ですが、当時本当に音楽の流れとして半音あげが重要であると津野さんが感じていれば、何らかの方法で実現するか、実現出来るようになるまで録音を控えるか、どちらかの選択をしていたように思えてなりません。 もし当時から半音上がる響きが津野さんの中で鳴っていたなら、それをしない場合は演奏する度に"階段を踏み外す"ような気分になっていたのではないでしょうか。

佐藤 「〈私〉の、Aメロ、サビにいく前がすごく素朴で、その素朴な歌い方が嫌だったんです。でも、これはこういう曲だよってみんなが言ってくれて、これでいいんだなと思えたんです。あと、この曲はレコーディングしたのが2回目なんです」

津野 「昔の自主制作盤 『ブレーメンとあるく』にも入ってて」

佐藤 「当時の自分は、 今よりも全然へたくそで出せないキーがあって、無理にノドでガーッて歌ってた声の汚さがそのときは嫌だと思ってたんです。でも今回歌ったら、そのキーはきれいに出ちゃったんですけど、これはきれいに出す曲じゃないよなと思えたんですよね。へたくそにしろ何にしろ、そのときにしか歌えない歌ってあるんだって、この曲には教えてもらえたので、私の中では大事なポイントになってます。結局、最後に転調するから高いキーが出なくて汚くなっちゃったんですけど(笑)」

2ndアルバム『猛烈リトミック』インタビュー CDJournal 2014年9月24日

 個人的にはこの転調は再録音にあたって初めて思いついた(あるいはプロデューサーさんにアイデア貰った)ように思えます。  『猛烈リトミック』が強くJ-POPを意識して作られた事はご本人も何度も証言しているので、このJ-POPの典型のような転調を過去の曲でこのタイミングで試してみた、のではないでしょうか。 もう一つ、初期の津野さんは”綺麗に歌えてしまう”事に対して若干否定的な感情を持っていたようで、あえて難しいメロディや音域を佐藤さんに歌ってもらっていたような部分があります。 上に引用したインタビューで”インディ盤では綺麗に歌えなかったところは今回は満足行くように歌えたけど、最後に転調しちゃうから結局最後は綺麗に歌えなかった”とも語っていますので、そのような会話が二人の間にあったのでは?と想像しています。