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わたしの味って、なんだろう。
こんばんは〜!
今日も家事をしながらYouTube見たり、Podcast聞いたりしていたんですが、自分の中にある言葉にしきれない気持ちとか思いを上手に言語化している人たちがいて、スッキリした気持ちになりました!
これは常々気をつけようと思う事なんですが、そうは思っていても、何かをやる時つい自分を置いてけぼりにしちゃいがち。結構重要な事だと思うから意識はするんだけど、恐らくコンフォートゾーン抜けそうな辺りから忘れちゃうんだよな〜。
『上手くやろう、ちゃんとしよう』みたいな感じが出てきて、例えばいいね!の数を気にしたり周りの反応がどうだのって、自分の納得感ではなくいわゆる「みんなウケ」するようなところ目掛けて行っちゃうような。それがダメな事では無いんだけど、わたしの場合は最終的につまらなくなって辞めてしまうのでね〜〜。
ちょうど今日聞いたラジオでいい事言っていたんです。簡単に言えば、上記に書いた事の逆を行くような事。上手くやろうとしないとか、上手くやるならその道のプロやAIがいるとか。でもあなたのそのクセや味、雑味みたいなものは誰にも出せないじゃない?って。全然未完成で良いんだとも言っていました。何かを初めてやる時のあの初々しさとか瑞々しさって、実はすごく貴重なんだとも。
あとは、やっぱりある程度経験を積んで上手くなっていって最終的に行き着くのって、結局みんな似たり寄ったりな所。だからこそ、例えばプロに習ったりする時にも技術は習得しても、同時に消されてしまいがちな個性的な部分は死んでも守れ〜的な事も言っていました!たどたどしさすら、尊い!とその人は熱弁していました。
たしかにね〜〜、これを聞いていて赤ちゃんや子どもたちの存在がまさにそうだよな、と思いました。社会で生きていくにはまだ色々な事が形作られていないけれど、その形作られていない事こそ尊い!みたいな。だけどよく考えると、大人だからって社会で生きていくのに完璧かと言われたら全然そうじゃないし。大人と子どもで区別するからおかしな思い込みなんかが発生するんだろうな。大人もそんなに大したもんじゃないもんなって、自分をみて思うし!
さて、それを踏まえてわたしの味って何でしょうねえ〜〜。noteで言えば、それこそ上手に書こうとしなくて良いと自分に許可を出し続けたり、カテゴリ分けするのは難しくても書きたい事を書くとか、ちょっと怪しいと敬遠されがちな事も自分が書きたければ書くとか。それを続けていく中で、ジワジワ滲み出てくるものこそが、わたしの味なんだろうな〜。続けてみるのみか!仮に80歳で死ぬとして、まだ50年近くありますからね。ジワジワどころかドバドバ出てきそうな年数じゃん。
というわけで、今日もなんやかんやとここに書いて、明日も書いていこうかな〜という感じです!それでは今日はこの辺にしておきましょう〜。それでは、また明日っ👋🏽❣️
reina