作家と編集者? ぼくの場合。

 インスタとフェイスブックでのブックカバーチャレンジというのを引き受けました。そこに付記しようと思ったのですが、読まれる機会も少ないのかもと思い、noteに残しておこうと思います。

 今回の文庫ブックカバーチャレンジを選んでいて、最初はノーテーマだったのです。文庫って難しいなぁ、と思いました。ハードカバーはなかなか捨てられないというのが良くも悪くもあると思います。ですが、文庫本は読み終わるとどこかにいってしまう。これは本当に捨てた記憶がないのに、どこかに消え入ってしまう気がするんです。ある日、もう一度読んでみようかな、と思って探しても、その本はどこかに紛れてしまっている。小さいというのもあると思うのですが、文庫はどこかで日用品のように生活にスッと入り込んでいて、井上陽水さんではありませんが、探す気がないときに、「あ、こんなところにあった」と見つかるものではないか、と思っています。

 初日の『マイ・ロスト・シティー』の訳者、村上春樹さん、『総理の夫』の原田マハさん、『ぼくだけが知っている』の吉野朔実さんと身近にあって、目についた文庫を写真に撮って上げてみたわけですが、気づくとそれぞれに自分なりの別の気持ちが作用していることに気づきました。それは自分が生身の先生方を見たことがある、という共通項で選んでなくもないな、ということです。

 ぼくは編集者という職業を30年以上やっているので、それなりに作家さんと会うことのある職業です(といっても編集者としては致命的な緊張しいで人見知りなので、少ない方と思われる)。ですが、今回挙げた先生方とは出会いというか、お目にかかった(後述しますが、村上春樹さんとはお目にかかったわけでは無いです)というか、実物(失礼ながら)を自分の目で見たことのある方を選んでいるのかも、と思ったのです。

 それで、4冊目は意識的に安西水丸さんにしました。『真夏の航海』(トールマン・カポーティー/著 安西水丸/訳 講談社文庫)です。 

 少し、おひとりおひとりのことに触れてみたいと思います。

 村上春樹さんを目撃したのはかれこれ10年くらい前になるのでしょうか? 天気は曇り空くらいだったと記憶しています。ぼくは打ち合わせを終えて、西麻布方面から、表参道駅に向かって歩いているところでした。天然パーマのロン毛を後ろで結んで、ジャケットを羽織っていたか、コートを着ていたか、何にしても、COMME des GARÇONS HOMME PLUSとかTAKAHIROMIYASHITATheSoloist.を着ている、派手ではないと思うけれど、それでも一般的なイメージのサラリーマンとは思えない、そして、何者だろう? と思わせるような格好だったんだと思います。

 根津美術館の横の坂道を降りてくる二人連れのランナーらしき人が足を止めました。今どきのランナーというスポーティな格好をしていらしたけれど、すぐに村上春樹さんだと思いました。ぼくのどこかが気にかかったのでしょう、村上春樹さんは仁王立ちをするみたいに身動ぎもせず、じっとぼくを見続けているのです。観察というか、ぼくはぼくの後ろ側まで見られている気さえしました。ありがちな、知人が後ろにいて、手を振るのを自分かと思って手を振ってしまう的に、ぼくの近くに村上春樹さんのお知り合いでもいるのかな、と思ってキョロキョロしてみましたが、近くに誰もいない。やっぱり、ぼくを見ているんだと思いました。一緒にいらっしゃった方は少しだけ先に歩いていました。その間1分くらいだったでしょうか、村上春樹さんはぼくを見て、やがて、お連れの方のほうへとゆっくりと走るでもなく、歩くでもない、歩く速度だけれど走る体の動きでぼくの前から去っていったのです。

 原田マハさんと会ったのは二度ともパリです。若干込み入った話と、第三者が出てくることなので、詳細は割愛しますが、ぼくはとても好きな方です。またお話ししたいなぁ。

 吉野朔実さんはすでに鬼籍に入られているので、なんとも残念です。ぼくは「anan」がまだファッションウィークリーだった頃の編集者で、漫画家さんが集まる飲み会でお目にかかり、連絡先を交換したので、すぐに「anan」で絵を描いていただいと思いました。すぐに喫茶店で待ち合わせをして、打ち合わせしました。そのとき、ぼくは思ったんですが、こんなに綺麗な方が世の中に存在するんだなぁ、と。ぼくにしてみると神々しいというか、触れてはいけないというような感覚といえばいいのいいのでしょうか。素敵な人でした。みんなでワイワイしているときには気づかなかったのですが。後日、ぼくの知人が同級生で同じ剣道部だったと知り、もっとお話ししたかったなぁ、と思いました。

 安西水丸さんはぼくにとって、永遠の憧れです。お亡くなりになったという知らせが来た日、一緒に飲みに行ったお店に行き、ひとりで水丸さんの好きだった〆張鶴「純」をほとんど一升あけて、泣いていました。連載の担当をさせていただいこともありますが、水丸さんとのお話だけで長い文章が書けてしまうくらい長いお付き合いをさせていただきました。本当に今でも憧れです。

 このシリーズ、おそらく最後になる実物シリーズがリリー・フランキーさんです。リリーさんとは最初は「anan」時代に取材をさせていただいたことから始まります。ぼくはリリーさんと同じ学年ですが、リリーさんは今だにひとつ下だと思っているようです(笑)。思い出は尽きないくらいあります。フランスまで取材旅行(かなりの時間ふたりきり)に行ったり、九州の筑豊〜北九州〜博多までの他誌の取材旅行を追っかけたり、とまあ、ぼくは勝手に公私混同していました。どんなときでもお付き合いいただけて、とてもありがたい存在だと思います。迷惑だったのかもしれないけれど(笑)。

『エコラム』は「POPEYE」の最長連載と思われます。その単行本化を編集させていただきました。「POPEYE」副編集長時代にリリーさんの連載を復活させたくて、連載も担当しました。何かあるたびに原稿をお願いしたり、写真を撮っていただいたりもしました。とにかく、リリーさんと会える時間が欲しかったんでしょうね(笑)。

 その後連載の担当をしていたときも含めて、原稿をいただくときはリリーさんの家に何泊もしました(笑)。それくらい好きで、その気持ちからだと思いますが、書籍もつくらせていただきました。

 まあ、オチはないのですのが、編集のある断片を書いてみました。インスタにあげようと思った短いものなので、もう少し話として詳しく書いてもいいのかもしれないです。特に、水丸さんとリリーさんはいろんなエピソードを書ける気がします。


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