心の内奥は=ワンネスだった話
↓前回の記事の復習ですが、
『現実』は現象世界を舞台に物質層で物事が動かされ、それにオーバーラップさせて非物質的な各種の内面のやり取りが行われているだけ。
なんですが、もともと現象世界には自分でつけた意味以外には意味が付いてないという事実は以前お伝えしました。(↓参照)
吸う酸素に意味を見ていないとか、落ちてる小石、落ち葉、枯草にいちいち意味を付けていませんよね。あるならあるだけです。歩いているアリとかにも気づかずに、気づいたときにだけ現れます。現象なんですね。現象性があってそれがこれなんです。この世界、現実だと思っているその世界が現象世界だという観点です。
現実だとしている観点から正しく出た。これは現象世界でした。
出たり入ったりをスムーズに移行できている。
自由に行き来できるようになった。
と、言えます。
どうしても宇宙は根源的に抽象の世界なので、具象と言うのもそういうタイプの重いタイプの抽象性だ、という事です。核心部はこれですね。どっちにしても抽象なのです。
今回のお話では、さらに進んで、内面の世界、抽象の世界、ワンネスの世界を見て行きます。
心の内奥=即ワンネス
外の世界を見る目、
そこにオーバーラップさせた内面の世界を見る目、
それを眺めている軸の視点
とありますが、前回はそこまでのお話でしたよね。
それで各視点では、
行動(物質化)をすればいいだけのレイヤー
思い描けたりヴィジョン化(つまりそのことを非物質化と呼ぶ)まですればいいだけのレイヤー
感じとればいいだけのレイヤー(フィーリングすればいいだけのレイヤー)
だけでした、という盲点に気が付けたお話でした。
で、これらすべては実際には『抽象概念を具象と言う抽象』に置き換えて見せる化しているんだよ、という事です。伝わってますか?
全部が全部抽象世界のことで、抽象世界のごくはじっこで具象というスペースがあるから、そこで具象化させていますけど、やっぱり結局はそれも抽象成分だから、気づくまで気づけなかったり、ここに在るのに見えなかったり、感じとれなかったり、聞き取れなかったりするわけでした。気づいたときにここにあったんだと、はたと気づきます。面白いですね。
全部抽象です。
具象は周波数帯の区分け整理上では具象という知覚範囲に収まるけれど、やっぱり結局は抽象性なのでした。
なぜこんなことをくどくど書くのかと言いますと、次の理由からです。
具象性が薄まって行くほどにワンネスが顔をのぞかせてくるから。です。
ここでいうワンネスだという意味は、本当の意味でのワンネスのことです。つまり、
一つのスピリットしかいません。とか、一つの無限しかありません。とかのことです。それを真面目にそう感じていますよ、その意味が腑に落ち着いていますよ、でもそれはごく当たり前な事ですよ。だから特に騒ぎ立てませんが、しみじみと驚くと言いますか、へぇ~~~すごいなぁ~~~となるという事です。
一つの連続したあまりにもスケール大な、規格外のものがいて、その顔の一つが自分で在ったり、他の存在であるという視座です。
ワンネスと聞いて一番よくある勘違いがあって、それはぼくも勘違いしてましたが、個が無数に寄り集まってワンネスを形成しているという筋道です。それは違ってます。
正しくは、元から非分離の大きいワンネス体があり、その内面世界で、あまりに無数の諸顔群がたっくさんいて、その個々に自由意志が与えられていますので、各種様々な意見が出せています。その中に、上に書いた勘違いをベースにしたワンネス観もあり、それでいいのですね。ワンネス観はいくつあっても別に構わないからです。本当は今書いた一つの非分離の総体にたくさんの諸顔が無数にあって自分をそれぞれが見て気づいている、感じています。で、物質性のある現象の世界で分離していると演じています。夢の中です。
で、なぜいまさら、こういう話をしたのかと言いますと、次につなげたいからです。やっとお出まし、本日のメインディッシュのご登場です!
心の内奥=即ワンネス[2]
今度また別記事でも取り上げますが、
内奥って言うのは即ワンネスのことで、内奥と呼んでいるものが個々に無数に存在するわけじゃないと言いますか、内奥は一つしかないという事なのです。
この記事で最も伝えたかったことがこちらです。
内奥は全員共通です。
それは人間だけじゃありませんよ。すべての意識のことです。それがどう表現されていようとも、その内奥は全部同じものです。一つのスピリットしかいませんと言うことです。その単一のスピリットの内奥が今まさに自分の内奥と一致している、同一のものだという発想です。それで構わないのです。
ワンネスの本当の意味はこちらなのでした。
↑あっさりと書けばこういう事なのですが、これに気づかされるまでに結構かかりました。認識をシフトチェンジしなければなりませんよね。
(ピンポイントで重要な部分だけ書くと、
内奥は2個とか3個とかある訳じゃなくて、一人にひとつづつ与えられていませんよ。内奥と言うものは気づきの範疇にあるようなことなので、一つしかありません。内奥は個々に付く部品とかパーツじゃなくて総体だという価値観です。内奥の方がでっかくて広くて包み込まれていると見ても間違いではありません。
もっと別の言い方でいうと、
1. 物質を心の中(非物質領域)に持って行けないように、心の中心(内奥領域)にも物質は持って行けませんよね。つまり、物質のように1個2個と数えられる世界じゃないという話です。全部が数珠つなぎの世界又は波動領域です。
2. または、非物質の世界で感じ取るもの達を、心の内奥の世界に見つけることは出来ないので、内奥の世界は非物質の世界でもないという話なのです。ルールが違います。内奥の世界は内奥の世界なのでそこでは全然別のルールがあります。それは何かと言いますと、全員共通です、同じものの共有です、というルール、一つの無限性です。この事がうまく伝われば幸いです。)
ところで、
体外で感じられている一体性もワンネス経験としては素晴らしいと思いますが、それは見る論点/価値観をずらしていて、自分と異なった存在達がいると言うモチーフをベースにして初めてとらえられる発想です。それはそれで美しくて良いと思いますが、実際のワンネスと言うのは単発的偶発的な物でもなくて、常にそうである、という真実のことをここでは通常のワンネスだと言っているのですね。
ワンネスは当たり前なんです。
そしてそれが具体的にどういう位置関係で、どういう構造で成り立っているのか?自分に備わっているのか?と言うのをここでは言及させていただいています。
内奥の真実
内奥というのは心の奥のことを指して言うのですが、自分軸に一致してそこで感じ取れるフィーリングの中にあって、でもそれ自体を感じ取れないものです。
内奥と言う場所が新たに心の中にあるんだという解釈だと探しても探しても見つけられなくて途中であきらめるかもしれませんね。場所ではないと感じます。理解の中にあると言えば済むでしょうか?
知っている感じ、すでにわかる感覚、言われないでも理解しているけれど、言葉で解釈したり、イメージで解釈したりできないから「わからない」と結論付けているだけの事なのです。
言葉とか、イメージ(ヴィジョン化)というのはだいぶ低次といいますか、周波数帯が異なっています。そのツールはそのツールが役立つ領域だけのためのツールなので、高次元の内奥をつかみ取るためには単純にエラーですね。
(その理由は冒頭で書きましたように、面白いことに言葉もヴィジョン化も具象化成分だからですね。そのツールは抽象概念を具体的にする方向に矢印が向いています。なので、具象化すればするほどにワンネスの視座、観点から遠ざかるのは当たり前です。もちろんいい悪いじゃありませんけどね。)
高次元の正しいつかみ方は、以前も少しお話させていただきましたけど、理解とか、分かっている感覚、誰に言われずとも知っているんだけれど、言葉に置き換えようとしてもうまく表現できないから自分はまだまだなんだと誤った視座で結論付けてしまっているような、より抽象的な範囲の事なのです。
高次元を抽出するためには、意識をマッチさせて抽象を抽象のままにしておける正しい気の持ち方を持つ必要があります。
理解ではなんとなくわかっているのですが、言葉とかではあやふやでも別に構いません。
抽象で構いません。
むしろ、確固としてきたら意識が低次にアクセスできた証拠なので、むしろ高次から離れて行きましたよと、伝えてきてくれているだけでしたよね。
ひじょ~に単純明快なシステムなのです。それでいいという事でした。
わかる感覚、共鳴共振力を信じてほしいと思います。内奥に一致すればいいだけですね。自分の中にそれは既に存在します。
自分の内奥一番深い所に意識を向けます。意識を一致させます。
そしてなおかつ、何も感じられなければそれでいいよ、と言う結果です。わかりやすいシグナルがある訳じゃないので期待して待たないで欲しいと思います。むしろ、何もなさ、の周りのただ自分の体温を感じ取っていればそれで十分です。
そういうことを半年も続けていれば、徐々に内奥とは何か?どういうことなのか?が腑に落ちてくると思います。
もっと変な話を書くと、体温の事なのですが、淡いホログラム上のドーナツがあってそのドーナツの穴のように穴が内奥で特に何もなくて、その周りに感覚で感じ取れるもの(体温ぬくもり)があります。感じ取れているものにひたり安心して、感じ取れないもの(穴の中)に入る。ちょっと違いますがぼくはそんなイメージですね。
自分自身で在れている時の居心地の良さ、または、心地よさ、気持ちよさ、自分のぬくもり、感謝、ありがたさ、静かな喜びに包まれてひたり、今のこのあるがままの自分にただくつろいでいます。そのまま焦点をヴォイドに向けています。このことが深瞑想と呼んでいるもののことです。気がつくと寝落ちしてます。