3次元的な選択肢が無いと気づいた話【新月のテスト】
今回の話は、個人的な結構久々の重大な気づきの話です。
↓前回書かせていただいた記事↓の続編としてぜひシェアしたいです。
↑こちらは短いのでまだ見てない方は目を通しておいてくだい。
お蔵入りした記事
ぼくの今回(24.12.1)の新月はテスト期間でした。その時に記事を書いていたのですが、お蔵入りさせてました。まずはそちらを載せます。お蔵入りしていた理由はぼくがどうなるか?経過を観察しながら待っていたからです。
その後、本題である気づきの話につなげます。
=ここから============================
絶賛 新月のテスト期間中です!
明日あさっては新月です。皆様いかがお過ごしですか?
ぼくはただいま絶賛 新月のテスト期間中 です。しかも人生に2回しかない特大のが来ました。
ぼくはいま、いろいろ整ってきていて、やることが整理されてきていて、やることが少なくて時間がいい意味で余りだしてきていました。心のゆとり期間ですね。静かな待ち時間です。
その時に、いきなり先ほど姉から電話が来て父が倒れたという事でした。お父さんの訃報です。まだ生きていますが昏睡でもう眼は覚まさないという話です。
父との間柄は悪くなく、むしろ良かったんじゃないかな?あと、親孝行的な物をしっかりやり遂げていた完遂感もあったので、悲しさはありませんでした。
それで、どうしたものかと思案していました。
ですが、これをテストだと受け入れることにしました(ちょうどぴたり新月だからです)。詳細は省きますが、いろいろな角度からとらえてみて、自分だけがわかるテスト期間中です。
住んでいる距離が遠いから出来る選択ともいえます。
どういう心理テストですか?
それはここまで学んできたすべてを実施できるかを問うテストにしました。
と言うのも正解は無いと言いますか、人の数だけ正解があると、さんざん自分で書かせていただいて来たからですね。
そして、宇宙の仕組みをぼくのガイド達とフィリップから学ばせていただいてきましたので、ここがちょうどの分岐点だと自認して、自分がどちらに進めるのかを実際にやってみたい、と感じました。
パラレルワールド的に言うのであれば、ぼくの現実の中心人物はぼくだけで、ぼくの決定がその後のぼくのパラレルを決定すると、思ったからです。それを今実際に試してみましょう。そういう段階に入ってきました。
まず第一に、一番大きいテーマである、パラダイムシフトを取り上げます。
このままパラダイム4のままいけるのかどうかですね。パラダイム4だと、父の訃報は単純に祝福となります。父と母は3次元でしたので、肉体から去ると言うのは次元上昇です。母もつい数年前に亡くしています。
で、今初めて自分の父と母にチャネリングをしてみたと言いますか、分からないから聞いてみたのですが、
ぼく「3次元から卒業おめでとう!これであってる?」すかさず「あってるよ!」と来ました。そして5次元には届かなくて4次元だと聞こえました。(※ぼくの理解に合わせてくれている都合でそういう次元を言います。)
合ってるのかな?実感は無いのでよく知りませんが、そう聞こえたので良しとしましょう。
ぼくは自分のチャネリング能力の精度はよくわかっているつもりです。ですが、父と母っぽく無くて子供の様でしたので、戻ったのか?別の存在か?何なのか不明です。ですが、ハイアーは笑顔で微笑んでいるいつものOKのパターンなので良しとしましょう。
と、言う、新月に来た特大のテストについての話でした。今もまだその渦中にいるのですけどね。
ここ最近で学んだことを
・全部振り返り、
・全部実際に試して、
・全部を確認して、
・刻印出来たらそれは素晴らしいことだろうなと感じます。
なんか自分で書いていてやる気が出てきました。
悲しんでいません。しかし、抑圧もしていません。まだ気づいてない何か(気持ちのもや)はありそうですけどね。
むしろ、今まで学んだ通りを実践できるのであれば、この状況の中でも喜びを感じとれると思います。そう出来なきゃいけないという話じゃないので、むしろ悲しむならばとことん出し切ればいいのですけどね。それも学んでいますので。
しかし例えば、お葬式にいるのにマイペースないつもと変わらない3歳児みたいなことも、可能と言えば可能ですよね。そっちです。観点がまったく違う方を選べるのかどうかですね。
ぼくは今、パラダイムシフトするのです!
専攻し続けたいからです!!
ぼくならできる!
確かにそうです。すんっ
焦らずともそうなっていきます。それが普通です。ぼくのノーマルは今そちらだからです。(やってみたい)
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=ここまで============================
この記事の趣旨は、父の訃報をテストとして扱いたいという宣言を自分に課したというシステムです。と言いますのも、少し書きましたが、いろいろ整っていてタイムスケジュールがシンクロしてちょうどのところで「はい来た!」と目の前にピタッと来たからです。こういうわかりやすい時は常にテストだと認識できます。これまでも満月と新月はテストになりやすい節目として扱って来ていたので、それもわかりやすかった要因です。
ですが、いつもと違ったのはテーマが重いと言う所でした。
それだけ、今回の自分はパラダイムシフトを取り上げているのだと、認識しました。この現実のスピリットはぼくの他にいません。だから父もぼくと同じスピリットだという認識ですね。だからテストしてみています。
以上が前置きです。
3次元的な選択肢が無いと気づいた話
こちらが本題です。
上記の通り、お父さんが今も植物状態になっています。長年スピを学んできたぼくからすると、もう答えは明らかで問題はないのですが、新たに出てきた問題がありまして、それは、残された人たちのそれぞれの反応です。
現在も3次元意識として生きていらっしゃる方と話をする機会があり、その時に「どういう選択肢が(今のぼくに)ありますか?」をことごとく言って受け取るをしていて、気が付けたのですが、
「3次元意識での選択肢はもう今のぼくの選択肢じゃない!」
と気が付けました!!!!
こちらをちゃんと説明します。
ぼくはいろいろ学んできたので、3次元的な発想で暮らしている方と会えば仲良く暮らせるだろう、とか、神対応できるから大丈夫だろうという、そういう甘い考えをどこかに持っていました。理解力もあるし、ノウハウもあるし、心理もわかっているし、全部を認めればいいだけだから上手く行くはずだ、のようにですね。確かにそういう面もあります。でもここで言わんとしているのは、別のことに気が付けたという話です。
「どういう選択肢がありますか?」と言い、提示された選択肢を試しにしてみたところ、いろいろ感じとってみるうちにわかったことがありまして、それは、3次元的な発想(=選択肢)がぼくの中にはもう残っていなかった!ということでした。こちらが驚きでした。
上手くできるとかできないとか言う以前に、もうその必要を感じないので選択肢に上らないから、できないという訳です。3次元的なノルマ的な選択肢が無いという発想じたいしていなかったことに気が付けました。
それがわかると急に、怖さが消えて、気持ちが落ち着いてきました。なぜかと言うと、元から選択肢がないのですからね。
選択肢があるのでしたら、頑張ってそれを達成すればいいかもしれませんが、そもそも選択肢が残されていませんでしたので、スタートラインさえ切れません。これがわかり恐怖心が消えました。3次元存在達の中でうまくやらなければいけない恐怖心、またつまらない繰り返しをうまく立ち回らないといけないと思う残念感です。そういうネガティブさが根から消えました。
選択肢がないことがわかると本当に気持ちが楽に落ち着きました。恐怖感が消えました。今から3次元存在達と仲良く暮らしていけるというその選択肢はもうもとから備わっていません。
この書き方は誤解が生まれるつっけんどんな書き方ですね。何を言わんとしているのか整理しましょう。
[核心部] 3次元の選択肢は3次元固有のもの
子供に出来て大人に出来ないことがあるように。その逆も真で。
大人に出来て子供に出来ないことがあるように。
ご老人に出来てご老人に出来ないことがあるのもまた、わかります。
「出来ません」と言うのは「自分の選択肢ではないからできなくていい」、という話なのですよね。する気もみじんも無くていいです。
手が不自由な方に変なノルマは課しません。
出来なくても別に構わないです。
なのに、自分の中で以前出来ていたから今もまだできるだろう、という考え方があって、それにおびえていたのです。本当の気持ちではやりたくなかったからです。
こうとも言えます、互換性がある面もあるのかもしれませんが、
3次元の人の選択肢は5次元の人の選択肢ではありません。
3次元の存在には、6次元の選択肢はありません。
7次元の存在には、3次元の選択肢はありません。
3次元の存在には、12次元の選択肢はありません。
15次元の存在には、3次元の選択肢はありません。
領域オーバーしていません。3次元のノルマは3次元の中で完遂します。
相手が何を言ってこようが、自分の選択肢ではないので気にも留めなくていいという事です。自分の選択肢ならばこのページを読む方なら必然として、自分の選択肢をちゃんとすることぐらい出来て当然ですよね。
自分の選択肢を自分の代わりに人にさせて、その反応を見たいとする人が中には結構いらしゃるかもと言う事です。
これがようやくわかって、一気に気持ちが楽になりました。
3次元の存在は3次元の者同士でチームを組んでやればいいのです。ぼくが関与できる切り口がありませんでした。考え方もモチベもまるっきり違かったからですね。前提条件が違い過ぎました。
ある人の選択肢はその人の選択肢であって、ぼくの選択肢ではない、というお話です。実際に試してみてすぐにわかりました。3次元の人と会話するのさえ、ぼくの選択肢ではないです。話がまともにかみ合わず、通じ合いませんからね。前提が違い過ぎています。
向こうが、12次元とかに意識を合わせられたときに「こんにちは」と話すことならできます。穏やかで今に満ちていて喜んでいて、満足していて、争っていない時です。人はすぐに高次元になれます。個人的に赤ちゃんは高次元だと思うからです。
ぼくが3次元に合わせるのは、1年に1回までにします。
ちょうどタイムリーなバシャールの話
この理解を導くために以下の動画がタイムリーで役に立ちました。
それと、罪悪感を感じたので、それも実際にはどういうことなんだろうとフィリップの説明を読みながら深ぼっていました。
感想
今回は身内ネタと言いますか、個人的なテストの話を前編後編の2個同時に載せた形になりました。お蔵入りさせていた記事は当時の心境ではこの先どうなるか予測がつかなくて、人の死にざまをテストとして扱うとするのはいささか野暮だったかもしれないと、公開しませんでした。
それでも今結局公開したのは、その後の気づきが大きかったからです。その気づきの説明をするためにひっぱり出させていただいたという事です。
あと、新月のテストのふるまいとしてこれほどちゃんとできたのも珍しいので、公開してシェアしておくことにしました。お父さんの訃報ですからね。そうそうない話です。
後から感じたのは、お尻を切り上げて行くタイミングだったのかもなぁ~という発想です。3を切り捨て、ちゃんと次に持ち越さずに捨てれるかを見たかったのです。👏👏👏
新月のテスト自体はぼくが完了するまで続くのかもしれません。そこはまだ未知数ですが、やり切りたいかもなぁ~という印象です。
ちなみに、お父さんのいまある状態に喜んでいませんよ。きっかけとかトリガーはそちらでも、実際には自分の内面に目を向けさせていただいて、今ここに在れているかとか、それでも本当は今をどう過ごしたいのか?本音とか方向性を見極めて、やって行きたいな~という内容です。要はまだテスト中なのでなにもわかっていませんということです。
一つ分かるのは、距離が十分取れているからちゃんとできているんだろうな~という所です。一緒に住んでいたり、電車で1時間で通える距離だとしたら、実際に会って見てもっと深刻さをダイレクトにつかんでしまうのだろうな、と感じます。
ぼくは心が弱いと言いますか、むしろそういうチャンスをことごとく蹴って、むしろ離れて来た方向に進んできた節があります。一言でいうと『耐性0』です。感受性極振りです。
喜び主体、どうすれば幸せに生きれるかをずっと選んできました。だから結論として、次元上昇するという事になるんですが、残る立場、次元上昇しない立場の言い分を理解できない節がまだあります。
それもそれで、「ぼくの選択肢はこっちなので、そっちはぼくの選択肢じゃない」の一言に集約できます。
こういう視座もあります。
自分が個別性を持ちながら全面をカバーしなくていいように、一つのスピリットが分担してるかのように、ぼくの代わりに誰かがしといてくれています。その方にその役を頼んだし、任せるのです。一任します。
だからその人の主張やわだかまりも認められていて、任せるから(任命)あなたならできると、だから相手への敬意とか敬える気持ちが出せるのだろうと思います。
トータルなセルフだけが今ここにいますからね。
だからこそ、自分も自分のすること、したいこと、自分が任された範囲、それはつまり立候補できた部分のことなんですけど、それを全力で完遂したいわけです。おたがいにまかせている、お互いに認め合っているからできます。一つのスピリットですからね。そういう視点もできます、という話です。
ぼくがぼくの範囲をやらないで誰がやるの?って言う、自分で決めれた範囲や立候補できた範囲の責任者はぼくです。施行者、決定者、実演者はぼくしかいないからぼくしかできません。
ぼくは道をつける役割がしたいです。
人にない選択肢を求めることが止みました。
自分にない選択肢を認めて、その選択肢に対する責任がそもそも無いとわかりました。
今の自分でちょうどよくなりました。
選択肢がないんだ!そして、、、選択肢があるんだ!
これが新月のテストで得られた、結構大きめなぼくの理解です。