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デュアリティの構造

次に、デュアリティの構造を解説していく。
『リアリティーを新たな切り口から経験してみたいので、「条件」というツールを使ってみたい!』
現実の見え方を決める方法として、(分離の口実として、捉え方として、切り口として)必要になるのが『条件』。
もし、条件が一個もなければ、分離のしようがないので一つの世界観で見る。それは無条件である「全てはすべて/私」。
ここからの章ではデュアリティというものが何なのかを紐解く。


分離するための手順の獲得方法


自分が持っている条件リストのチェックボックスにチェックマークが1000でも2000でも3万でもつけていて、それをさらに増やそうとしている。

そのリストの中にある、埋められそうな空欄のチェックボックスを見つけるといても立ってもいられなくなって、チェックボックスを埋めたいと願う。

チェックボックスにチェックマークがたくさんついているほど、つまり、様々な条件をたくさん満たしているほど、自己評価を高められていると思っている。

たくさんの条件を持てば持つほど、進化している気がするし、周りからの評価基準も当然のようにそうである。周りとの「比較」も条件の一つ。

条件リストの幾億万種類の条件を自分のものとし、条件について知り、条件をマスターし、条件を得る条件を満たすことを工夫したい。

一言でまとめると、条件リストの全部の空欄をチェックマークで埋めたい。

条件はツール。リアリティをきれいに切り分けるナイフツール


デュアリティは主に分離の視座を用いている領域ともいえる。
適切に分離するためにはツールの助けが必要。

ある条件を得ると、その条件というツールを使った視座から見た分離の世界をかんたんに経験することができる。
ある条件を獲得すると、その条件を通して見えた世界観は、その条件の使用者全員で共通の合意が作られる。なので、とても便利。※1

生まれてから1から個人的に独自の条件を作らなくても、すでにある社会通念上の条件をピックアップすれば、その条件が見せることのできる切り口での世界観を使用者も経験(ログイン)することが可能。すでにある輪(話)に入っていける。連載マンガやシリーズドラマを途中から見始める感じ。

比喩として、「恨み」という条件を取り入れた場合、恨みとはいったいどういうもので、どう感じ、どう行動し、どう考えるのかというのを自分で経験することになる。

さらに、映画、ドラマ、マンガを見て恨み方、恨まれ方を学んだり、親や兄弟や上司、同僚と演じあってみたりしつつこの仮想現実で結果を得たいと願う。「条件名=恨み」とはどういうものなのかを聞いた話ではなくて、自分の中から経験から導き出せるものを欲したという感じ。

今度は逆に「条件名=恨み」というものを取り入れない場合、恨むということが本や話では聞いたことがあっても自分で経験したことがないので一向にわからない。恨みというものについて様々に学んでもわからない。全部が愛に感じてしまい、恨みからくる憎んだりといった経験が作れなくなる。誰かを恨むということ全般がわからないままになる。「恨みって何?ちんぷんかんぷん」状態。

また、恨みと妬みの間をいくようなまだ言語化/概念化されていない知性を得ようとする場合。それはまだモヤッとしていてうまく言葉にすることができない感覚を持つ。

なので、今手札に持つあらゆる条件というカードの中から今の状況にピンときそうな様々な条件をピックアップしつつ、吟味し、どれともそぐわない場合にはその現実に新たに名前をつけることでそれを固定化する。概念化する。

一番いい例がオレオレ詐欺などの新しいワードで言われる現象のこと。普通は「詐欺」といった大きなワードで区切るようなものを、その状況により当てはまる小さなワードで目印をつけることで認識しやすくなり、その現象を経験したい大勢の存在の役に立つことになる。
「条件名=オレオレ詐欺」という現象をインプット/ログインしやすくなった。

(ちなみに、詐欺はだめなこと、という教えられた善悪概念では「条件名=詐欺はだめ」という条件を得て、そこから見えた世界を認識しているということ。逆に、詐欺という知性を獲得したい時には詐欺はOKという条件も必要になる。という感じ。)

アセンション、ワンダラー、令和などなど上げればきりがない新規ワード群も新しい概念という分離の概念である。

※1 プログラミング分野で言うところの、関数、スニペット、ライブラリ、API、モジュール、プラグイン等だと思う。条件を関数と読み替えても同じことを指していると思う。ちゃんと動く一式をみんなで構築してみんなで使っている。結局のところ、関数を呼び出して使用しているだけだと思う。

まだ名前のついていない条件(概念)


若いときには体が健康であるのが当たり前なので意識しないが、歳を取ると病気が当たり前みたいになって、健康であると逆に謙遜するようになる現象がある。

歳を取ると病気が勲章みたいになる。持病が話題の筆頭になる。年をとっても健康であるときには羨望やらを見越して空気を読んで「いやいや私なんかは。。。」といい、健康であることがさも触れてはならない話題のような感じになる。

こういった現象にはまだ名前がついていない。まだ名前がついていない現象は短い名称で呼べないので「あの時感じたああいう感じ」という知性を言葉で伝えようとする。

しかし、これに短い呼び名が付けばそれを誰もがわかる『条件』として利用可能になる。(ちょっと前にあったのが、かまってちゃんとか、承認欲求とか、若者のスラングだけれど、条件に名前をつけた一例。条件によって無形のその現象を簡単に識別できるようになる。)

どれが条件か?


『条件』は分離するためのツールなので、分離の意識上の全ては『条件』だと言える。ポジティブな条件もネガティブな条件も同様にある。

言葉を覚えることも、数字を使うことも『条件』と言える。生まれてくるすべての人が、1から独自の言葉や数字に置き換わるものを作らないで済むので、とても便利であると同時に、その言葉や数字を使う文化(価値観や世界観)にログインしたことになる。

条件=概念なので、概念を覚えることは条件を自己の現実に導入したということ。ツールは使うものなので一度獲得できたツール=概念を使った人生を演出する。

上記のように条件を増やしたくて減らすことはしたくないので、どんどん条件が集まる。どんどん分離していく。

条件という手札が増えたので、今まで気づけなかったことに気がつけるようになる。経験を様々な条件による切り口で眺め、一つの経験からそれまで以上のより多くの可能性に気がつくようになる。つまり、多様化する。

条件の中身 (無限の多様性を示せる仕組み)


具体的な条件とはどれなのか?というのは、ほぼすべてのことなので多すぎて言い表せない。なのでラベルを列挙する。個々のラベリングの中身までは到底言い表せることができないほど膨大だけど、例えればウィキペディアやなんかで調べて出てくるものはみんな条件の中の一つ。

要は、大元の無から便宜上分離させ、識別するに至った全ては分離したものであるという感じ。ルールや定義を付けることで見かけ上多様化に成功した。
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○ 名称や意味を与えて分離を決める


名前 ラベル シンボル 比喩 カテゴライズ ..

○ ルール・テーマ・仕組みを定めて分離を決める


ルール 初期設定 個性 個人設定 常識設定 価値観設定 世界観設定 物語設定 認識範囲設定 意識設定 興味 文化 文明 規格 ..
テーマ 目的 刷り込み 歴史 シナリオ イベント 立場 任務 仕事 課題 ..
仕組み 構造 環境 気候 生態 系 界 層 相 密度 次元 物理 属性 タイムライン 順序 ゲーム サイズ 規模 統計 色 ダイナミクス 運行 変態 ..

○ 思考・感情・感覚システムの反応で分離を決める


思考 概念 言葉 理屈 理論 学問 哲学 心理学 科学 解釈 比較 判断 観念 主客 空想 展望 願望 基準 指標 前提 定義 特性 癖 ループ 目標 理想 理念 計算 フィルター イメージ コンセプト 明瞭化 手本 正誤 ..
感情 出来事と感情を関連付ける 感情に重み付けをする 感情連鎖 怒り 悲しみ 喜び 感動 ..
感覚 触わる 見える 味 匂い 音 体感 性 時空間認識 エネルギー感覚 平衡感覚 角度 回転 速度 温度 湿度 感度 高度 濃度 質量 重力 衝突 粘度 柔らかさ 輝き 刺激 アート ..
..etc
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(思いつくままに書いたので分け方とかは微妙らしい。オブジェクト指向などすでにある学術的な分類方法を使ったほうが正しい。)
この一覧の見方はたとえば、

・「初期設定」であれば、じぶんは男で何歳でどこに住んでいる、という初期設定を決めると、それにそう価値観で現実を切り分けたり、自己投影できるようになる。

・「生態」であれば、水生植物と水生動物は水の中で生息し、陸生植物と陸生生物は陸で生活すると決めれば、その区分で今目の前に生えている草をその観点から眺めることができるようになる。

・「感情に重み付けをする」であれば、嬉しいときが良く↑て悲しいときがだめ↓みたいな設定にしておくことで、それを条件に感情を抑制できるようになる。

などのようにしている。が普通はそういった発想を用いず、無意識に暮らしている。
今度は逆に、条件がなくなるとどうなるのかも示すと、

・もし「認識範囲設定」という条件が無くなると、一般常識の話をするときの合意ができなくなる。ある人は宇宙規模での話しかせず、ある人は個人的な内輪の話しかしない場合では、一般常識の話に認識範囲を絞って話をする必要がある場合にそれができなくなる。認識範囲設定により焦点の絞り具合を定義しないと、公共のルールなどを作れなくなる。

・もし「理念」という条件がなくなると、目指すべきお手本がなくなってしまうことで、文化は崩落する。その余波で不正というものの定義もできなくなる。

などのような当たり前のことを小難しく説明していると言うだけのこと。

無条件とは?

すべての条件を破棄(初期化)し、条件が一切なくなった場合にはもともとの『無条件』がある。

無条件ぽいものと言う意味で言う「無条件さ」は条件の一つなので、「条件名=無条件さ」を求めるのも条件リストに数あるチェックボックスの中の一つ。

しかし、実在の性質を示した『無条件であるという事実』は条件ではないので条件にはなりえない。

『無条件』はまっさらな状態でもともと備わっているたぐいのもの、取り外しや変更ができないもの。

無条件の愛とは


『存在しているだけですべての願いがかなっていること』を無条件の愛という。存在しているというただそれだけのことで、すべての願いがすでに叶っているという感じ。ぼくはそう教えてもらいました。

あと今知ったのは、愛の属性の一つに『無条件さ』というものがあり、その一側面を指して無条件の愛を感じるとか言っていると思っていたけれど、そうではなくて、『無条件』それ自体が『愛』なんだなあともかんじた。

「条件の無さ」「一つも条件がないという事実」それ自体が愛であるというのは、とても重要な視点の切り替えだとかんじた。「無条件の愛」ではなくて、『無条件性』という愛。


無限性の『条件』とは?


無限性の『条件』とは、もともと非分離な全体性だけが在るところに対し、適切な条件設定を加えることで分離させて捉えやすくすること。特徴、個性の領域。

認知できるかできないかだけで言うと、

条件が在ると分離は認識できる。条件が在ると非分離は認識できなくなる。
条件が無いと分離は認識できなくなる。条件が無いと非分離は認識できる。

具体的な条件は、上記「条件の中身」を参照↑。
条件がないからこそ、非分離を認知できるという発想の切り替えがおもしろいところ。上記の条件の中身で取り上げたような条件があれば、非分離の認知は難しくなる。不可分な全体性の極一部にしかスポットを当てないことで、それを認知しているというトータルな仕組みを見なければ、分離しているという構造はつかめない、みたいな発想が面白いと思う。

無限性というものは一定の調和した規則に従ったものであると思う。それを一言で秩序という。

秩序なくしてはカオスしか生まれない。カオスとは、本当にとりとめもない何の脈絡もなく、何かをベースにしてその上に何かを構築することのできないという感じ。良いサンプルとしては、できの悪いAI画像がそれを表す。
自然界に目を向けてみると、フィボナッチ数列というものやフラクタルというものがあちこちにあって、調和している。美しいと感じる。温かいと感じる。

無秩序に制作開始すると、すぐにどん詰まりになるのは何かを制作できる人共通の悩みだ。

宇宙は大きさや小ささも含め全てのスケーリングにおいてある決まった共通の指標で制作された。

それが無限性である。

今しがた説明を受けた無限性はまだわかりにくいのかもしれません。
しかし、何かを元に何かを制作するという種類の無限性において、基音となる、ベースが常になりひびいいているということ。
それを一緒に感じてみませんか?



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