現実の共同創造の仕方 1
共同創造の仕方
『現実創造』とか『共同創造』と言うと難しく聞こえますが、ぼくはこういう感じで理解しています、と言うのをシェアします。
たまに以下の流れでイベントに参加していますよ。
アナウンスがピンと来て、承認するかどうか聞かれます。それで承認したら後はそれを忘れて楽しみにして待つだけです。
自分の人生の範囲で経験する必要のある出来事を、他の自己と協力してなす為に、メンバーを決定したり、日取りを決めたりを裏でしてくれています。
だから、参加非参加のアナウンスが来たらそれに答えれば、そのイベントなりに参加します。要は招待状ですね。
招待を受けて参加するのかどうかを決めれば後は待つだけで良いです。その後、そのスケジュールに沿った行為を参加者がそれぞれにしてみんなが合流してイベントを楽しみます。
メンバーが決まらんと配役が決まらんからね。みんながそれぞれ役を演じ合う。そこで自分の役割を受けて自己の学びをしていく。
(↑この文についての補足:ヒール役とかも決めてと言うか立候補して自分からお願いしてそういうロール/役割で参加したいという魂もいらっしゃる。自分を提供することで魂の学びができるからで、相手役が欲しい人が集まるから全員winwinになる。)
他のイベントで、配役不足で、後からお誘いが来ることもあります。
すごくこれだけです。
始めに来たというアナウンスですが、これはチャネリング的なのでうながしとか小さな会話みたいなものです。普段見落として無意識下で返答をする類の物なのですが、ぼくはチャネルが開くように開発しているので気が付けるというだけのことです。全部に気づいてはいません。気づけたものだけ気づいていますね。
そのイベントというものは自分の経験したいことなので人それぞれです。でもぼくが知る限りでは上記のアナウンスが来てうんぬんという流れから他の人たちと一緒に参加することが多いと感じています。
イベントはある日突然決まって参加するというものではなくて、メンバー集めからして説明会(?)みたいなのを霊的にして(ぼくはよく昼寝してるときに行ってるみたいです)それでスケジュールに沿って各自が心と体の準備をして、いざ参加日当日に参加して一定期間例えば半年間とか過ごします。
霊的なイベントなのでいる場所は自分の普段の家とか普段の日常とかですけど、心とか気持ちはそのイベントに常時接続してログイン状態な気がしています。大きなイベントは現実世界でたいていはブームになってリアルな普通の一般参加もにぎわいます。要はいろんな方が注目をしていてかつ参加しているということですね。それが例えば幕張メッセなどで物理的な催しになるかと言えばなりません。が、霊的なレベルで進行して寝ればそこに参加せざるを得ないような楽しいことです。
共同創造と言うと物理世界に実際に触れ合う形で何かを形成することだと思うかもしれませんが、そうする必要があればそうする程度のことで、普通は霊的な次元、つまり、寝た時に行ってる場所での開催だと思います。
本来であれば、死んでいるとき寝ているときが霊的な体(スピリット)なので、そこが普通で現実的な世界にログインするとき(眠りから覚めて起きているとき)というのが肉体レベル現実レベルの体でそこで体験できます。何を体験できるのかと言うと、遅い世界、一つ一つを大切に味わう世界だと思います。
速い世界、普通の世界、遅い世界と分けると、遅い世界はわざと遅くしてそこでしかしようがないことをするための場所だと思います。
話を戻すと、今論点としているのはここでいう普通の世界のことで、そこでイベントに参加するには、現実世界ではアナウンスが来てるよ、アナウンスが来たら参加非参加を自分で決めてるからその人生に分岐してるよ。必要なら参加して、不必要なら参加してないだけだよ。という話。
イベントと言うよりも『プロジェクト』と言う方がいい気もしますね。
あるプロジェクトに参加するかの招待(招令?)が霊的にピンと来てそれに参加するなら、おのずと無意識的にそれについて知っておくべきことをダウンロードして学んで(実際にyoutubeとかでも調べたりする)、前提知識を付けてタイムスケジュールに沿って招集されてそのプロジェクトなりに参加していく。
こういった流れと言うか仕組みがあります。
この説明はかなり個人的な具体的なアウトラインを示しました。
自分の幸せに含まれていない物は実現しないのと、自分の学習範囲に含まれていないものにはそもそもお呼びがかからないと思います。
あと、ぼくは自由人で無所属(つまり暇人)なのでなんか楽しそうなのあったら教えてね、と丸投げしているからいろいろと参加しているだけかもしれません。とふと感じます。
追記:上記に関連して
思ったから叶うのではなく、叶ったから思う。叶ったから行動できる。
なぜなら物理次元の方が遅いから。遅い方が先ではない。
ということだそうですね。
バシャール
以下バシャールの視点で一般的な説明をされていますが、分かりやすくていいと思いますね。[10:22]ぐらいからの廊下の話です。
こちらでも同じことを解説しています。良かったらどうぞ。
現実の共同創造とはぼくが言い換えると、他の方との霊的なコミュニケーションとガイド役としての立ち振る舞いを通して、人々の役に立ちたいとする思いを現実にすることです。多くの方は自己学習意欲が高くて自己を学び、表現することが生きがいで大好きなので、それを見させていただけるということが大好きなのでなんかあれば呼んでねというスタンスで待機しています。ということです。
そういう気持ちなので、一時的に自己を(ぼくを)貸与してその間、ハイヤーマインド的に(ぼくを)活用して良いよ。と言う感じです。そこにエゴを含むとコントロールが始まることを熟知しているのでエゴはなるべく99.999%薄めて一般的な視座でふるまいます。その人が最高のパフォーマンスを発揮できるように、一つの黄金期をいっしょに隣で作るかのような意図があります。