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今日は皆のための満月です
皆のために自分を作り変えます。
皆のために自分の在り方を更新します。
皆のために自分のこれまでの態度を一新します。
皆と自分は全く同じ意味だからです。矛盾しません。
私の進歩は皆のためです。
皆のために私が率先してできる立場にいるからその通りします。
自分の役目を果たしたいからここにいさせてもらえています。
出来るからして行きます。
今日は皆のための満月です。
私が進むから皆も進みます。
上記みたいな文言を瞑想中に言っていました。で、有言実行じゃないですが、早速変化して驚いたことがありました。
それは何かというと、
「人に対してイメージを投影している」と言うのをなるほどね!と今までとは違った新規解釈で理解しました。
言葉で書くと簡単になってしまうのでこうなっていますけど、もっと自分の盲点を教えていただきました。
伝わるかはとりあえず置いておいて一旦書き出します。
▽ 自分由来の薄いベールを見ていた
誰でもいいですが、ある人を見た時に薄い透明の膜を介して見ていて、その透明の『ベールの方』を見ています。そのベールに意味を載せています。自分の相手に求めているイメージを載せています。これがいわゆる「イメージの投影」のことです。
これまでのぼくの使っていた解釈では、相手の行為とか態度とかから受け取った価値観について、それをいわゆる「イメージの投影」だと思って捉えていました。こう言う態度を取れる理由はこう言うイメージを投影しているからだ、などなどです。
が、新たに気がついたのは(教えていただけたのは)、そうじゃなくて(それももちろんあるかもしれないけれど)、そもそも相手を見ているようで見ていなかった、と言う盲点についてです。
で、何を見ていられていたのか?と言えば『透明な薄い膜(ベール)の方を見ていた』と言うことです。そのベールに意味を乗せていましたので、その意味を読み取っていました、と、こう言う仕組みなのです。
▽ 相手由来の薄いベールも見ている
相手も相手で自分は人からこう見られたいと言う、雰囲気というかオーラというかペルソナというかアイデンティティがありますよね。それを見せられるものだからそれを拾いつつ、自分なりに解釈をした見せられているものを見ています。相手の外枠にそう言うベールで覆ってそこに相手が自分自身を自己投影していますので、外からはまず相手由来のベールを見て、相手がしている自己投影の層を読み取っています。
▽ 「解釈が通っている」のはベールの中だけの事だった
ここまでの話で、まずは自己投影というのは全部内面の場での事だったのですよね、そう気づけました。こうも言えます、カプセルの中に人がいて見ているものは結局全部カプセルの中を見せられています。そのカプセルでの登場人物はいつも自分だけだよ、です。
なんとなく知っていましたが、はっきりと仕組みは知りませんでした。より正確な仕組みを知りましたよというお話です。
具体的には、
霊体につまりオーラ場に「あるイメージ」を置いといて、出会い頭にはまずそのプロフィールを読んでから私を見てください、と言うことです。
で、それがアイデンティファイの仕方なのでみんながそうしています。
ここからがこの記事で一番伝えたかったことなのですが、
みんながみんなそうしているからそれが当たり前体操になりすぎていて、実際には本当のところではそんなもの無い、って言うことですよね。意味づけの層のことです。
それを作って置いたから置いてあるだけなのです。
つまりどう言う意味かと言いますと、見せたい面を見せたいから「この角度で見ていいよ」と置いてあるのですが、それは実際不要です。
ありのままの真の自分の姿形を見えなくしているだけですよね。ここで述べている事は真の自分は光輝く魂だとかいっている話じゃなくて、何気ないいつもの自分、日曜日の休みの日の自分、飾らないでいられているリラックスできた自分のことです。素のこと。
素の相手を見ることを妨げるものが『イメージ』です。それをわざわざ置いとくのですよね。あるイメージを共有できて便利かもしれませんが、そのイメージを共有出来ていく代わりにお互いが強めてしまっています。気づくとそれって結構やばいポイントですよね。進化するほど素の自分になっていくのにも関わらず、イメージを強め合っていたり共有して依存しあっていたりするのは進化できていないことを現しています。
話を戻すと、
アイデンティティがどこに設置してあるのか?は多分オーラフィールドなのかもしれませんよね。まずは挨拶がわりにオーラ場をスキャンしていただいて自分の今の自己紹介(セルフイメージ)を相手に渡します。その後、目と目が合い、顔を見たりしてコミュニケートするみたいなことかなと感じます。
何はともあれ、そうであっても自分も自分のエネルギー場に自分の設定を置いていて、それを介して他の人々とか、行っていることとかを解釈しているのだろうな〜と感じました。
記憶の層は雲状になっているので頭からはみ出していると、何かで知っていましたが、セルフアイデンティティの層があり、それを介してやりとりしているとは思いつきませんでしたので、教えていただいて納得してびっくり〜と言うお話です。イメージを見ています。もっと言えばイメージしか見えていませんでした。
それで、なおかつ、そう言うことそろそろやめて見ませんか?と言う意味で教えられたのかもな〜と今感じます。なるほど、だって相手を直接見てないですからね。見せてもらえているのは全部自分の価値判断です。トリガーを引かれた自分の内面の実情です。カプセルの中だけで完結していますよね。
何かを見て何か感じるのは、全部自分の内面設定画面を見ていて感じているからです。その層に、何を見たくてどう感じたかったのかの筋書きをあらかじめ記入してあるから、それを見ることができて驚いたり感謝したり嘆いたり悲しんだりしているのですよね。
ぼくで言いますと、まずぼくの「こう見たい」「こう言う側面を見せてほしい」と言う願望ファイルがあり、それと照合してパスするものだけを参照出来ています。
これに気がついた時にかなり腑に落ちてしまったんですよね。さあどうしようか?
多分、好みはあってもいいんでしょうが、見たいものを無意識に絞りすぎていたのかも?
多分、完全に興味の薄いものを見るのは辛いのでそれは求められていません。まだ詳しくわかりません。今はそれに気づけただけで良しとしましょう。わかったら追記します。
皆が皆、イメージを生きていらっしゃっています。良くも悪くも。もちろんぼくも。
皆様はいかがですか?
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