僕達が将棋を指すということ
こんにちは、菜々河です
今日はSNSを見ていて思ったことを少し。
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かつては高スペックなPCや録音・録画環境、配信機材…諸々を揃えるのは大変で、動画投稿や配信活動は誰しも容易に出来るものでは無かった時代もあるかと思います。
しかし我々がテクノロジーを享受している令和のこの世では、Mirrativなどのアプリを使えばスマホ一台で配信出来るようになりました。良い時代ですね
敷居が低くなったことで、数え切れないくらいの動画投稿者が限られたパイを奪い合うようになった今日。
将棋界もその御多分に洩れず、無数の動画投稿者が毎日のように動画投稿・配信活動をするようになりました。
その中にはアマ強豪からプロ棋士や女流棋士…果てには永世名人まで居るのだから本当に良い時代です。見る側としては。
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対照的に、投稿者としては受難の時代になりました。
たったひとつのゲームに何百という動画投稿者がひしめき合い、強い人、トークが面白い人に埋もれて、何時間も掛けて収録・編集した動画も数十回しか再生されない。配信しても人が来ない。
そこでパッと辞められる人なら苦労は少ないですが、我々Vtuberは立ち絵を作成してくれた方への恩や所属するコミュニティとの繋がり、初期コストも結構なモノで諦めるのは簡単でない人が大半でしょう。
見てもらえなかろうと活動を続けていくと決めた時、惰性でも自分が楽しめたら良い、と割り切れたら良いのですが、何とかして見てもらおうと試行錯誤を繰り返すのは茨の道です。
僕はそこで「自分もアマ強豪になれば見てもらえる」「強くならなきゃ」と考えてしまい、自分の将棋の弱さと虚無感でコケちゃいました。浅かったですね
リアルでも色々ありましたが、何やかんやを乗り越えて僕は活動を続けています。「楽しいことだけやろう」「好きな時にやろう」と決めてからは実生活も配信活動も楽しいです。
ただ…活動スタンスなんて人それぞれなのですが、SNSを見ていると「強くならなきゃ」「将棋しんどい」という投稿が毎日のように目に入ります。
かつての自分を見ているようでちょっぴり辛いです。
そんな方々にこの声が届くか分かりませんが、将棋が強くなくても良いんですよ、と今の僕なら言っても良いかな…なんて思います。
「棋風」の定義は難しいですが、私は一人一人に棋風が存在すると思ってます。
永瀬先生は受け将棋、康光先生は丸太をぶん回している…的なアレです。
最近、菜々河一門を開いて、門下生の皆さんの棋譜を毎日見せていただくようになりました。
ほたるさんは綺麗な序盤から勝ち切る先攻逃げ切りかと思ってましたが、実は苦しい終盤の土俵際で真価を発揮する、ポケモンで言うと御三家タイプだったり。
雲雀さんは重厚な右矢倉と力強い受けを習得してみるみる成長していて、棋譜を見て成長を感じるのが私も嬉しいです。
さくらさんは駒を捨ててでも強引に寄せ切れる終盤の力強さがあるので、その強みを活かせる序盤作戦を習得し始めていたり。
さいさんは丁寧な序盤と攻め始めたら止まらない腕白さのギャップがあって見ていて面白い将棋です。
僕も含めて誰一人アマ強豪なんかではありません。
しかし、それぞれの将棋に愛されるだけの魅力があると、僕はこの活動で気付かされました。
それは配信者に限った話ではなく。
将棋道場で楽しそうに指している人達みんなが素敵だなぁと最近は感じています。
「ひらけ駒」と言う将棋漫画があるのですが、その漫画の登場人物は決して才能ある人達ばかりではありません。将棋が好きな人やそうでも無い人、優しい人やタチの悪い人、プロを目指す少年や夢破れて駒を手放した人。
果てには将棋を始めようか迷っている40代の男性まで描写されています。
盤上でも盤外でも、将棋は自由に指して良いんだと教えてくれる素敵な漫画です。特別な存在じゃなくても将棋指して良いんです。
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全ての人の将棋に個性があって、必ず魅力がある
そう考えているから、棋譜添削で褒めてばかり居たら怪しい洗脳教育を施しているかのように言われてしまったのですが。
私が伝えたいことはただ、自分の将棋を愛して楽しく指して欲しいなぁ、と言うことです。
もちろん反対意見はあるかと思いますが、何を言われようとこの思想は曲げられないですね。なので私は明日も門下生の将棋の個性を褒めて伸ばします
それではおやすみなさい