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人は結構不思議な体験をしている 後編

精神世界とは

前記事でわたしの幼い頃の記憶を巡ったのですが、最近セラピスト仲間とこのような話になり、自分の幼い頃の思考が結構ぶっ飛んでいたように言われることで、もともと自分にはそのような資質が目立っていたのだと気づかせてもらったのです。

若い頃は不可思議な現象に出くわすことがなく、霊感体質でないことでスピリチュアルな世界には縁がないと思ってきました。興味がなかったわけではなく、霊感がある人がどこか特別で、ある意味羨ましく思った時もありました。

でもなぜかレイキの世界に関わる事になり、手を触れるだけの施術なら鈍感なわたしにも出来るかもしれないと思ったのですが、でも別にそこをこだわる必要はまったくなかったのです。

レイキを深めて行く中でスピリチュアルという物を正しく理解していきました。

スピリチュアルとよく混合される超常現象と言われるUFOも幽霊も、厳密には*オカルトという部類で、いわゆる精神世界(スピリチュアル)とは分野が違います。繋がっていないわけではないかもしれないのですが、ついにはいかがわしい宗教も一緒くたにしてスピリチュアルは胡散臭いと言い切ってしまうことは間違っていて、あくまでもスピリチュアルは心の世界の話であり、精神性を高めていく分野です。

霊感体質の有無と精神性は全く関係ない。

そして幼い頃のぶっ飛んだ思考記憶を思い起こしていくと、その孤独感は分離を実感していたように思います。そう思うとあながち鈍感でもなかったのか?

コースが語る分離とは、神のご意志から背を向け、一なる神の子が(何十億もしくは何百億個の意識へと?)分裂し、誰と交わる事もなく、何処までも一人の世界へ。(正しくは幻想)

コースはまだすべて制覇していないので、生まれる前の状態(中間世)がどのように語られているのか分からないのですが、(どうせ幻想だから特に重要ではないとは思うのですが、)肉体に閉じ込められた違和感と一人と言う孤独感を少なからず感じていたという事は、中間世では誰かと交信は出来ていたかもしれないなと思うのです。

よく輪廻転生の概念の中で『一度死んで神の国へ戻り、ソウルメイトのような人々と過ごし、また魂の成長のため課題をこなすべく地球に生まれることを選んだ』と言うのは、コースを理解していくと矛盾を感じるため、その中間世の部分、今はぽっかりと穴が空いた状態です。これからどんな気づきが得られるのか、楽しみな部分ではあります。

幼い頃、誰にも答えてもらえないと思っていた疑問は、イエスがコースで語ってくれていました。イエスがアメリカ人の女性ヘレン・ジャックマンさんの心に話しかけたのは1965年の10月でした。偶然にもわたしがこの世に誕生した年。当時50代半ばのヘレンさんの歳に、今わたしがこのコースに携わっています。素敵なただの偶然です。


スピリチュアルは精神性の話なのに、そこに興味を持つと変わり者扱いされてしまうことが未だにあります。

波動が〜とか、チャクラとかパワースポットとか、風の時代とか、どうしても余談で脱線していくからでしょうか。別にそれらも悪い話ではないし繋がっているのでしょうが、どこかふわふわしていて現実味がないのでしょうね。

スピリチュアルの真髄は現実よりももっと深い、真実を見定めて行くことだと思うのですが、『存在の意味』・『人はなぜ生きるのか』というと哲学的になるけど、頭の中で完結しようとするのではなく、そこに体験というものが備わっていくのがスピリチュアルなのかなと思います。

人生の中で真実から目をそむけられなくなる事が起こり、観念して真実を追求することになり、ただそれを語ろうとしているだけなのに、とにかく周りの人にはとりあえず心配されます。

そういえばわたし結婚式のスピーチで友人代表にそのことを暴露されました。二十歳の頃死後の世界とか仏教とかに興味を持って、そんな本ばかり読んでいたので、当時はとても心配していた・・・と。そのまま危ない宗教に入信するとか思われていたのでしょうか・・・無事にお嫁さんになったことを安堵したようです。(笑)

若い頃のことはただ興味本位でしたけど、結婚、育児の時期は遠のいていた世界、ここにきてレイキのマスターまで取ってしまったと言うと、友人たちは「スピ熱はおさまっていなかった!とうとう悟りを開いてしまったのね。もう下界には戻ってきてはくれないのね。」と泣かれました(笑)いや、全然下界だから!自我に苦しんで足掻いて煩悩だらけだから!

そんなこんなでスピリチュアルに携わるとやたら揶揄されます。むしろそこを知らずに過ごしていく事の方が心配だよ・・・と思ったりしますが、深く理解を進めると、それもまたその人のペースがあり、どうしても知る人は知る時に知るように出来ているし、どれだけ話しても気づかない時期は何をしても気づかないようになっている。

それは別に知ることが偉いとかではなく、ただ時期が決まっているだけで、知っているから霊性が高いと言うわけでもない。


ただ、人は結構不思議な体験をしている。(ここから本題。前振り長っ。てか本題短っ)

スピリチュアルに全く興味のないように見える人でも、こんな内緒話を聞かせてもらったりします。

「亡くなった親しい人(あるいは可愛がっていたペット)が、こんな風に伝えている気がする。」とか、

「普通では考えにくいんだけど、ある人と、なぜか濃い縁があると思う。どう思う?」とか、

気のせいや、思い過ごしと思っていても、どうしても頭から離れず、偶然と片付けられない体験や長い間抱えていた胸の内を、こっそり告白してくれる。

「この話初めて人に話した。きっと茶化さずに聴いてくれると思って、」と大事な想いの聞き役になることが意図せずにあります。

それはそれは、とても大切な想いなのです。

そこに気づいたのは、他の誰でもないその人自身。

そして、その想いを共有すると、また宝箱にひっそりと保管して、現実の社会に戻っていきます。(本当は幻想だけど)


*文中のコースとは『奇跡のコース』のことです。


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