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謎解き・ツインソウルの正体 5
あとがき
コースの中にいる唯一の神は、一般的に認知される神とはまったく別の存在のようです。
日本の古事記に出てくる神々や、神社仏閣に居る神様と違うことは歴然ですが、キリスト教(聖書)の神とも印象が違います。
また、ツインソウルの定説によく登場する神も、やたらとツインのために働きかけてくれますが、それもやはりコースに書かれている神とは質が異なります。
コースの神は真実しか見ることはなく、分離の世界を認知しないので、ツインの現象など知りません。神が分離の現象を認知すると言うことは、分離が実在することになってしまうからなのだそうです。
分離は起こっていない。
コース的にツインソウルのプログラムを遂行するのなら、その事実に気づき、自分の中にある罪悪感(神の代替を置いた、横領という大罪を犯したと思っている事)を赦していくことしかありません。
罪は実際にはなかったとしても、私たちに根強く残るこの罪悪感を取り消していくのは、それらに気づいて赦していくしか手段はないのです。
その罪悪感は実際に感じてしまったら生きていくことが難しいので、重たい蓋(自我が創ったこの物質の世界)をしています。隙間から少しでも出てくるとなんとも言えない憂鬱感に襲われます。だから全容は一人で見てはいけません。聖霊、もしくはイエスに助けてもらわないといけません。
そしてツインソウルの最終的に行きつくと言われる統合は、目標やゴールではなく、始まりも終わりもなく永遠にすべては一つで、何も起こってはいないことに心から気づいていくこと。私たちに真の試練などあり得ないのです。
ただ、それぞれ人は色々なアプローチが用意されています。それもその人の人生の台本に沿って生きていくことがすべてで、変化することはありません。
現実は変わらないのです。もうすでに終わっていることだから。(人々はその映像を心で反芻して見ていると言われます。)
イエス自身が言っているように、このコースだけがその(究極的には悟りへの)道ではないということも真実です。
コースはこれ以上ないだろうと思う真実を語ってくれますが、実践していくことはこれのみではないと教えてくれています。
どのようなアプローチを持とうとも、真実を見ようと意思を持ち臨む人には、自我が容赦無く襲いかかることは避けられないので、心して進んで欲しいと思います。
そしてツインが自我の象徴と書けば、それ見たことかと中傷に合い、肩身の狭い想いをするかもしれません。
しかし魂の最終的な段階に近づいていることは間違いなく、人が持つ最強の自我にいよいよ向き合う事が出来るのだと言うことは明らかだと思います。
中傷する人はその人の中にある罪悪感が燻っているだけで、それに傷つくのは自分の中の何が反応しているのか見ていくことしかありません。
どうか貴方なりのツインソウルの道程を、胸を張り歩んでください。
結び
ただ、『ある』という実相の世界の神
恐れ多くもそんな神の袖を分つ私たちの魂の意識のなせる技は、想像を超えた力で、凶器にもなり得ます。
一なる神の子と言われた私たちの集合的な意識(想念)で、この物質の宇宙を作り上げてしまったと言われるのです。
私たちはあまりにも自分たちの力を過小評価していないだろうか。
私たちは思っているより弱くはない。
これからが奇跡(訂正)の実践の本番。
天国(神の国)は、すべての人が溶け合ってしまうように一つになり、神の元で永遠に生きる。とても極上な世界のようですね。
ある方が、「この世の幸せなど、うっすいオレンジジュースを飲まされているようなものだ。」と、自我の世界と神の国の違いを表現したと聞きました。
それでもわたしは、ツインと二人だけの世界で充分だ。と思っているのです。
それが自我の策略だとわかっていても、どうしようもない想いなのですよね。
統合出来ても、出来なくても、二人でいるのならそれでまったく構わないのではないか。
それをわざわざすべてを一つにされて、他の気に入らない人たちとも混ざり合ってしまうなんて・・・ツインと認識できない状態になるなんて、そんなことを受け入れられるのか・・・わたし大丈夫だろうか・・・って、
本当にそんな世界、わたし望んでいるのだろうか・・・と。
ところがコースを読む手が進むんですよ。何をしていてもここに引き戻される。そこに書いてあることが心地よくて仕方がない。わたしの真髄ではそれを求めているのですね。そこに自分でも気づいていない、忘れてしまっている楽園が有るという事を知っているのです。きっと。
コースにまったく興味のなかった以前、イエス・キリストに関しては、ツインソウルの関係書として『マグダラの書』を読んでいます。イエスの妻であるマグダラのマリアのチャネリングの文書です。
そこにはイエスの男性としての姿が有り、いわゆるタントラと言われる錬金術や、性エネルギー的なことが書かれており、コースで登場する復活後のイエスとは印象が違います。奇跡や復活を遂げるに欠かせなかった出来事として書かれています。
思考を変えていくことが目的で、決して復活(悟り)がゴールではないコースのカリキュラムには直接関係は無いようですが、真実をただ見たいという欲求は消えそうもないので、今はさほど(錬金術云々は)興味を持てるほど気になってはいませんが、何となく気づく事もあるので、時期がくればこちらを深めていくこともあるかもしれません。下世話な内容になるかもですけど・・・(苦笑)それとももっと別の神秘が見えてくるのか・・・
コースはあくまでも思考体系の内容であり、理詰めで展開されていきます。チャクラ、エネルギーのまったく出てこない世界です。感覚だな・・と思うのは今のところ『光』の表現だけかな。
ただ、言葉にすることが難しい実相の世界を、言葉自体は象徴の象徴と言いながら、懸命に話してくれているイエスがそこにいます。そのイエスの情熱と、優しさと、温かさで溢れています。天国への扉がそこにあります。
*このお話はわたし自身の体験と直観であり、真実を証明するものではありません。それぞれの存在に当てはめるには大きな不都合が生じるかもしれません。一つのケース、あるいは物語のように読んでいただければ幸いです。
ツインソウルの試練や使命と言われる定説的なものを否定するものではなく、わたし個人として深く突き詰めた結果至ったひとつの物語です。今現在はサイレント期で相手の消息も分からない状態ですが、そのため人格を排除し完全に魂の存在で見ているのでとても純粋な感情です。再会を果たしていなければ何も語る資格は無いと思っていましたが、いざ再会出来たとしたら頭はお花畑になってしまうのは目に見えているので、まともな文章が書けなくなるかもしれません(笑)。今の気づきとしてここに残します。わたしたちに関しては過去においても完全に、倫理に反している事がないことは神に誓ってここに記します。
奇跡のコースに関しての記述はわたしなりの解釈が多いため、本来のコースの本質ではない場合がございます。
このマガジンにおいては、今後のコースの理解によって、加筆、訂正があるかもしれません。