古都京都
下の娘と二人で京都旅行をした。
何年振りだろう。10年は軽く経っていると思う。
前回もその娘とだった。
不登校で中学の修学旅行に行かなかった娘に、京都を堪能して欲しいと、嵐山、清水寺、金閣寺などメジャーな場所を忙しく観光した。
今回は、大人になった娘がおしゃれなカフェや美味しい居酒屋を探して連れて行ってくれて、観光もその流れで無理なく回れる範囲で立ち寄った。
京都は海外からの観光客も多く、バスもタクシーも簡単に乗れないと聞いていたが、有名な観光地を外したからか、まだ紅葉のシーズンではないからか、修学旅行生もまばらでどこも人が少ないと感じた。
これは嬉しい誤算だった。
メジャーな観光地でなくても、少し歩けば国宝級の建物、仏像がそこかしことある。
とにかく、どこか浮世離れした歴史と宗教色の色濃い土地だ。
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御本尊の千手観音坐像と千一体の千手観音立像が安置されている
どこを観光しようかなと探して、1日目に予定を入れていた寺院。
純粋にこれを見てみたいと思った。
約1000体の千手観音が並んでいる。
これでもかという感じである。
飽きないけど、物足りなさはない。
よく見ると色褪せたり錆びのようなものが目だったりする。
できた当初はもっと金ピカだったのだろうか、でもわたしはこれぐらいくすんだ感じが好きだ。
同じ仏像でも東南アジア系の派手な色彩より、控えめで、断然落ち着く。
仏教はこの世を苦しみの世界だと言い、人々を見守る概念を想定した。
それが仏閣、仏像という偶像を作り出すことになった。
そんな世界をわたしたちは想念している。
この世界にこのような仏像が存在する事は、この世界が実際に存在していると言われているような気がして、とても複雑な気持ちになる。
素晴らしい造形には違いないが、それらに仏性が備わっている事実はない。
なので特に有り難みを感じることはない。
ただ常識に倣って粗野に扱わないだけだ。
この空間に見えるものすべてに意味を与えているのは私自身である。
この内容に例外は何一つ無いのだ。
それにしてもこの二日間の京都旅行は特に喧嘩もなく(実際娘はママと喧嘩しなかったからイヤフォン使わなかったと言っていた。)、生麩の田楽は美味しかったし、お抹茶も三杯頂いたし、せせらぎの中で湯葉と蕎麦頂き、完璧な旅だった。
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初めて点てたお抹茶。
結構なお手前です♪
夢はただの夢であるから
夢を見ることを咎める必要はない。
楽しい夢は楽しめば良い。
辛い夢は嘆かなくても消えていくことを素直に喜べば良い。