退職交渉を経て、また自分を知る。
2024年8月末、約4年間お世話になった会社を退職し、なんちゃってフリーランス?への道を歩み出すことを決めました、れいちぇるです。
このnoteは、2024年8月末で一旦会社員生活に終止符を打つ、わたしの退職エントリでもあり、9月からフリーランスへのつま先を踏み入れる、入社エントリでもあります。
8月中に書き切りたいなぁと思っていたら、いつのまにか9月も半ばになりまして、人生なんてそんなもの。
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また、この退職・入社エントリを皮切りに、新しいマガジンを始めてみます。
定期購読型のマガジンで、全文無料記事もあったり、わたしの内面をどどんと出すときは有料にしたり。コーチとして、れいちぇるという一人の人間としていろんな人生歩んでいるなぁとぼんやり感じている、そんな記録を残していくマガジンです。
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退職に至った経緯とそのときの気持ち
不意に頭によぎった23年12月
「あ、わたし仕事辞めるな」と頭によぎったのは23年12月。
今思い返すと、新卒の会社をやめたいと決意したのも、辞める前年の12月なので、わたしの中の無意識下で、12月がターニングポイントなのかもしれない。
新卒の時とは違い、今回は特にこれといった辞める理由はない。けどその頃から頭の片隅には、自分は2024年中には仕事をやめて、次のステージに移っている像がありました。
そう思い始めたらジャーニーはもう走り出したわけで、じゃあ次の自分はどうしたい?と問う機会が増えてきた気がします。
問う機会の一つに、よく手帳で自分の1週間のスケジュールを考えることが増えており、そのスケジュールを考えていると、わたしはダンスの時間増やしたいんだ!という自分の欲求が見えてきました。
その時に、今の自分は、仕事よりも趣味に熱量を注ぎたい、と感じるようになり、そうなるとやっぱり仕事邪魔だよね、という思いが強くなって、対外的には立派な辞める理由ではないかもしれないけれども、自分の中では明確に辞める理由の1つになった気がしてます。
そこからは自分の有給の計算や、担当している業務の兼ね合いなどを確認し、節目にあたる24年7月がいいタイミングだ、と決めたため、2月末から直属の先輩に相談し、4月には部長に退職の意思を伝えました。
とはいえ、退職意思を伝えてからが長かった。
自分のポジション的にも、多少の引き留めはあることは理解していたし、次の後任が決まらないからもう少し残ってほしいと言われる可能性もわかってたし、退職理由が理由かつ次の仕事を決めていなかったため、引き止められることはわかってました。
でも想像以上にその引き留めが長かったし、精神的にもきた。
意味のない打ち合わせも何回もしたし、社長と面談もした。
社長はわたしの考えに対していいんじゃないと言ってくれても、部長が頷かなかった。会社の意向ももちろんわかる。けど常に平行線の会話を2ヶ月くらい続けたのは結構しんどかった。
退職交渉の中で揺れた選択肢もあった
といいつつも退職交渉の中で、自分の中で猛烈に揺れた選択肢がありました。それはシンガポールへの出向打診。
シンガポールに工場というか研究所というかグループ会社があり、そこが日本人の処方開発者を求めているから、そこに行かないか?という打診です。
この打診がされた経緯も、わたしが日本が嫌だから仕事を辞めたら海外に行くことも視野に入れているという発言をしたあとに、シンガポールに席があるから、会社を踏み台にしてシンガポールへ行ったらいいんじゃなか。自分の理想が叶うぞ?という提案でした。
この提案されたときは、めちゃくちゃ揺れて「まあそれもありですね」みたいな発言をしたら、翌日から急に話が進み出して、それはそれで焦ったので一旦止めにかかりました。
シンガポールの場合、処方開発者の扱いになるため、わたしの元々の夢である「化粧品の開発に携わる」という夢と「なんとなく住みたいと思っていたシンガポールに住める」という夢が叶えられるという点ですごく魅力的でした。
でも当たり前に、今すぐシンガポールへ行けるわけではない。
処方開発の経験も、新卒時代の3ヶ月くらいしかないため、鍛える期間が最低半年は必要だし、シンガポールでやっていくには英語も鍛える必要がある。だからもし最短で行けたとしても25年1月、もしくはキリよく4月。
また、出向という形になるのか、日本からの都度出張という形になるかはまだ未定という状況でした。
日本人がシンガポールで働くことはビザの関係上難しいことも聞いたことがあるため、出向という形で行けたら理想だと思っていました。
1回しか行ったことないけどなぜかわたしはシンガポールという国が好きで、また行きたい、住めそうだなと思っている国No.1だったためめちゃくちゃ揺れた。いろんな人とのセッションでも出した内容でした。
(あのときのコーチの皆様、この場を借りてありがとうございます…!)
めちゃくちゃ揺れてたときのツイートがこちら。
ちなみにプランAはすんなり辞める、プランBは業務委託で今の仕事を軽く引き受けつつ後任を育てる、でした。プランBが双方にとっていい案だと思っていたし、社長も納得してました。でも、部長の説得はなかなかうまく行かなかったものです。
いろいろと、揺れ動く気持ちがありつつも、5月末にはシンガポールは行かない決断をしました。理由はいろいろあるけど、いくなら未来というよりも今行きたい(それこそ8,9月とかに)という気持ちの方が強かったことと、わたしの中で、日本でやりたいことがあったのでそれを考えると、シンガポールへは今じゃないなという気持ちもありました。
と、プランCが出てくるものの、引き続き退職交渉も続き、部長との面談が続く中で、泣きながら訴えたのがこのセリフ。
後任がいないと辞められない日本の制度が嫌だ
これを訴えたあとに、じゃあシンガポールいったらええやんか!と言われて謎のループに陥ったのもいい思い出(?)
あとは、「わたしの意思ってどこにありますか?」っていうのもめちゃくちゃ連発してました。上司や会社の意思はもちろんわかるし、わたしも納得もする。
でも、わたしの人生はわたしのものだし、今は昭和じゃなくて令和だ。わたしの思いが上司に理解されなくたっていい。みたいなことを連発してました、たぶん。
いま思い返してこう文章にすると、クソめんどくさい部下だなと思います。でも昭和を生き抜いた部長と平成と令和を生きてるわたし()、価値観が違うもの、理解し合えるとは思ってない。理解して欲しいとも思わない。けど尊重はして欲しい。いや、ほんとわがままだわ。ちょっと冷静になりました。
あ、スレッズで平成一桁は昭和だよね?みたいなのをみて、結構、は?を抱いたんですが(平成一桁は昭和の魂・価値観を持ってるらしい)そんなことないと思うけど同世代のみなさまどう?
改めて気づく、自分が大事にしたいこと
と、ちょっと余談も挟んでしまいましたが、この退職の意を告げてから、自分の思いや意思を表現できないとこんなにもしんどい、ということをすごく実感できた気がして、自分の中でもすごく成長したと感じています。
退職交渉をする2ヶ月間で一番しんどかったのは、「わたしの思いが伝わってないと感じたこと」でした。
わたしはプランAかBを進めているのに部長は辞めない方向しか提示してこない。ずーっとそこの平行線で話が進んでいて、「あれ、わたしの思いって全然伝わってないのかな?伝え方、これじゃだめだったのかな?」と思うこともたたあり、そこから「わたしの意思はどこにありますか?」と発言したタイミングも増えた気がします。
やっぱり日本はめんどくさい
平行線が続きすぎて、もうわたしのHPも0に近づいていく中、新たな葛藤というか、シャドウと向き合う時間がやってきました。
退職願を出したいけど出せない自分がいたこと
え、普通に出したらいいじゃん?と思うと思いますが、わたしの中で「退職願(届)は、上司と退職日と最終出勤日を決めてから提出するもの」という固定観念が根強くあり、この平行線が続く中、勝手に退職日を決めて退職願をだしていいのか?という自分の中での戦いが6月中ば始まりました。
これまた日本のめんどくさい風習に毒されている自分もいたことの発見でもあります。
退職願自体は、すぐ書くことはかけました。本当は7月末退職にしたかったけど、引き継ぎ云々を考えると、8月末だなと自分の中でも整理がついていたので、8月末で書きずっと手元に置いておきました。
けど、やっぱり平行線が続く中、この退職願を出していいのか、自分のなかですごく葛藤があり、いろんなサブパーソナリティが顔を出しました。
ルールを守らないと行けない人、めんどくさいと思う人、自分の思いを止める人。
まためんどくさいのが、ここででてくる「めんどくさいと思う人」と「自分の思いを止める人」が、わたしのビジョンと対になる存在であり、いわば、シャドウがビジョンとして立ち現れている状態であったことに気づき、正直「やられた…(3ヶ月ぶり2度目)」なお気持ちでした。
インテグレーションコーチングを学んだ身としては、シャドウがビジョンとして立ち現れている瞬間のクライアント体験ができたのでいい経験ではありますが、自分のビジョンとしてはすごくむず痒くなってしまったと言いますか、悔しくなったと言いますか。
とはいえ、その後にビジョンが変わったわけでもないですが、この辺りの話はまたどこかで。
退職願の件についても、コーチや基礎31期の同期であるみりちゃん、あいりんに後押しをもらってやっと出し、7月頭に8月末退職で決着をつけることができました。
まあここでもトラブルはありましたが…、その件については割愛します。
会社員卒業を迎えたいま。
率直にいうと、周りから仕事やめてこれからどうするの?と聞かれるのが軽く嫌な自分がいます。笑
わたしの人生なんだからわたしがどうしようとほっといてくれー、とわたしの中の人が申しているようです。みなさま、すみません。笑
とはいえ、不安がいない、は嘘になる。
仕事を辞めて、業務委託の仕事はあるものの、貯金が潤沢にあるわけでもないため、家賃は払えるのだろうか、趣味にお金が使えるだろうか、とお金周りに関する不安が実は結構拭えず、今のこの状況、未来に対して不安がないというのは嘘になります。
この不安もセッションで何回か出させてもらったものの、「不安だけど顔は笑っているね」とフィードバックをもらい、わたし自身もこの事象を深刻な顔というよりも、フランクな感じで喋っていた自覚もあるため、そうなんだけどそうじゃないんだよな、という自分がいたのも事実です。
セッションをしてくださったコーチのみなさま、こんなクライアントですみません…。
でもまあこの不安に関しては、どう転がっても最終的には行動するしかないよね、にしか繋がらなさそうな気がするためもがいていこうかなと思います。
これからのわたしのMission / Vision / Value
退職交渉を経て、また一つ自分の大切な想いや願いに気づいた気がするし、自分がやりたいことが見えてきた気がする。
そんなわたしのMisson / Vison /Valueをまた考え、見直してみると結構変わったかもしれない。これがMVVなのかはさておき。
Mission:
Energy + Motion = Emotion 内なる感情を味わい尽くし、人生に煌めきを
Vision:
エモーショナルリテラシーを高め、自分の想いや感情を大切にして生きる
Value:
心踊りながら、人と繋がっていく
これを体現し、わたしは「生き方など、自分を表現することを伝え、まずは自分が人生を切り拓いていくこと。その上で、自分の想いや感情を大切にする人を増やすこと。」を叶えていきます。
わたしがなんで感情と向き合うようになったのか、向き合えるようになったのか。そこにも原体験があるし、あの体験があるからこそ、今の自分があるなということも実感しています。もちろん、今回の退職交渉も。笑
いろんな経験や想いを糧にして、今後も進んでいきたいなと思います。
仕事を辞めてこれからの仕事については、また別のnoteで。
お金をかけていい記事書いてもらいな!とフリーランスの先輩にいわれたので、そうしようかなと思います。
(書きたいよ〜編集したいよ〜なライターさんの自薦他薦もまってます!)
5000字越えのひさびさ自分語りnote、書いてて楽しかったので、お読みいただきありがとうございました!
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自分の感情を研ぎ澄ませる|わたしのジャーニーログ
時には心の底から「いま」を楽しんだり、時には過去に悩まされ、その事象の捉え直しをしたり。 コーチとして、一人の人間として。わりと泥臭く人間…
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