攻殻機動隊 SAC_2045 Season 1 作品評

満を持しての「続編」

 およそ5ヶ月という壮大な前フリキャンペーンを経て、満を持してのStand Alone Complex(SAC)シリーズ続編の登場です。声優陣を徹底して揃えてきたこと、特に英語版の声優までオリジナルメンバーをきっちり揃えてきているところに、神山・荒牧両監督やNetflixの気合いの入り方が見て取れます。直前のPR番組でも語られていましたが、声優陣を揃えるのに相当労力を割かれたようです。

 また、このSACシリーズはケーブルテレビで放映されたアメリカから世界的な人気に火が付いた作品で、日本のアニメファンのみならずアメリカをはじめとする世界中のアニメファン、SFファンにも相当高い評価を受けている作品です。その後の多くの作品に引用され、また多くの作品の下敷きになっている作品でもあります。

ストーリー構成について

 サスティナブル・ウォー(持続可能戦争)とポスト・ヒューマンを巡るメインストリームの物語と、単話完結のショート・エピソードを織り交ぜる構成は初作「Stand Alone Complex」から引き継がれるお家芸とも言える構成。物語にいくつものレイヤーを作って重層的に物語が進行していくのは神山監督作品の真骨頂です。
 
 構成は前半6話でサスティナブル・ウォーをベースとした世界観の描写と公安9課再結成までの道筋を、後半6話でポスト・ヒューマンをめぐる争いへと突入していく構成になっています。起承転結の「起」と「承」、三幕構成の第二幕前半が12話で完了したと見て良いのではないでしょうか。

 今作のメインテーマとして真ん中に置かれているのが「サスティナブル・ウォー」です。これは昨今世界中で話題となっているSDGs(持続可能な開発目標)等に代表される「サスティナブル」というキーワードと、産業化する戦争という、アンビバレントな現代の社会課題をSF的解釈によって見事に合体させて見せた、実に面白い命題が物語の下層流として流れています。

 そしてシリーズタイトルにもあるように、この物語はレイ・カーツワイルが提唱したシンギュラリティ(技術的特異点)の到来予測年(2045年)に物語がスタートしており、昨今のハードSF作品のメインストリームに乗ってきた意欲作でもあります。
 AIによってコントロールすべきサスティナブル・ウォーが既にコントロール不可能になっている等というあたりに既にシンギュラリティの予兆を感じますし、ポスト・ヒューマンや超知性の可能性は数多くのシンギュラリティ作品のメインテーマとなっている題材です。

 また、今回の12話では語られませんでしたが、今後語られることが期待される「S.A.C. 2nd GIG」の終盤で明かされた「APPLESEED」シリーズとの共通点(バイオロイド=プロトの存在)と物語の接続についてもどのように物語が紡がれていくのか、大いに期待が膨らみます。
 ちなみに原作者、士郎正宗のWebサイト上でも、APPLESEEDの想定年表上に攻殻機動隊の年表が重ねて表記されています。

 つまりこの物語では「持続可能戦争+シンギュラリティ」「攻殻SACシリーズの行く末+荒牧作品APPLESEEDへの接続」という4つのブロック、2つのレイヤーで物語が構成されています。
 こうやって俯瞰してみるとかなり大掛かりな建て付けですし、構成を纏め上げるだけでも一苦労です。ここまで複雑な構成にチャレンジしているという事だけでも称賛に値するものではないでしょうか。

キャラクターデザインとモーション演出

 神山・荒牧コンビでのCGアニメーションは実は初めてではなく、同じくNetflixから配信された「ULTRAMAN」も同様にフルCGアニメーションでの制作でした。しかし今回の攻殻SAC2045と比較してみると今回は特にキャラクターの頭身が、デザイン画の段階でより現実の人間の頭身に近いものになっています。
 これは恐らくモーションアクターの演技演出を演出の中心に据えて制作されていることから、モーションの迫力やリアリティを向上させるために、現実のアクターの身体サイズと極力あわせる必要があったのではないかと推測しています。

 細部のモデリングについては賛否両論あるようですが、はっきり言えば神山・荒牧コンビの過渡期の作品であるからだという事でしょう。また技術の進歩待ちという面も否めないと思います。
 モーションがリアルになれば、首や肩の微妙な動きまでモデルがトレースします。そうなればモデルに付帯するパーティクルの動作を物理シミュレーションするのか、コマ毎に緻密な演出をするのか、と考えていくと、ああいったモデリングに帰着するのだろうなという想像はできます。
 その代わり少佐のモデルだけは他のキャラクターよりも明らかにアイディアも労力も多く入っている印象ですが、神山監督のストーリーや演出上、むしろ違和感を助長している面が否めません。この辺りのバランスは後半作品で修正をしてくれる事を期待しましょう。
 
 また、モーションと併せてULTRAMANからレベルが上がったと言えるのはカメラアングルとカット割りの演出です。ULTRAMANも同じアクションアニメだったこともありますが、ULTRAMANと比較すると明らかに演出面の向上が見て取れます。ULTRAMANの制作を通じてスタッフや両監督(特に荒巻監督)にノウハウが蓄積された結果とも言えるでしょう。

 もう一つ、モーションの演出ポリシーとして、機械や自動車の動きを観察することで判りますが、明らかに意識、というよりも参照しているのはピクサー/ディズニーのモーション演出です。
 兎角これまでの日本のCGアニメーションの多くはモーションのイージングが緩慢なものが多く、リアリティを物理演算等に頼りがちな面が否めませんでしたが、今作での物体はただの物理演算で動作しているのではなくて、アニメーションのロジックでクイックで溜めの効いてかつキレの良いモーションが随所にあり、それが緻密に演出されています。

本作のテーマについて

 SACではJ.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」、SAC 2nd GIGでは三島由紀夫の「近代能楽集」を引用・ベースとしており、今作もその例に倣い、ジョージ・オーウェル「1984」を引用しています。11話の劇中でサトシが宣う「戦争は平和であり、自由は屈従である」とは1984の作中に出てくる全体主義の専制政治のスローガンの一部です。
 
 「1984」は産業維持やプロパガンダの名目としての戦争が常に行われる世界の物語で、今作のサスティナブル・ウォーとオーバーラップします。また、「1984」に出てくる謎の指導者ビッグ・ブラザーも、サスティナブル・ウォーを主導する「コード1A84」というAIにもオーバーラップしています。また、この「コード1A84」は原作および押井守監督の「GHOST IN THE SHELL」に登場する人形遣いの種となった「コード2501」を彷彿とさせます。
 
 これまでのSACシリーズは、引用作品をストーリーの前面に押し出しながらも、物語を紐解くと引用作品のストーリーを殊更にオーバーラップさせることはしていません。むしろそうした過去の名作についての読者や観客として観たり感じたりしたものに対するオピニオンを提示しようとする向きがあります。
 SACではアオイ自身が青臭い正義感に駆られた過去の自分をどこか冷めた目で俯瞰していたり、2nd GIGではかつて市谷で自決前に大演説を打った三島由紀夫のように自己陶酔しきったゴーダに向かって、バトーが三島の論法を借りながらもう一つの結論、人間が向き合うべき現実をぶつけています。
 
 そこで今作、オーウェルの「1984」が提示し、SACシリーズがオピニオンを投げるテーマとは何でしょうか。「1984」が投げかけるものは、ナチズムへの反省とスターリニズムへの痛烈なニヒリズムであり、ある種の諦観にも似た自己消失の陶酔に満ちて物語が終わっています。恐らく終盤にはこの陶酔に対して、大きな楔を打ち込むメッセージが込められると思います。それは僕らがあれこれ複雑に想像するよりも、至極シンプルなものではないかと僕個人としては想像しています。

神山・荒牧コンビへの期待

 我々日本のアニメファンにとっては攻殻機動隊は本丸中の本丸であることは変わりありませんが、実はこの神山・荒牧コンビへの期待は僕らの想像以上に高いといえます。そのひとつに、ブレードランナーの前日譚を描く新作アニメーションが既に決定しています。(何とNetflix配信ではない!日本の配信・放映も未定!)
 
 ストーリー・テラーとしての神山監督、日本CGアニメーションの旗手としての荒巻監督というこのコンビは、まだ多くの課題を残していますが、今後の日本のアニメーション業界では間違いなく世界に一番近い場所にいる二人であるといえるでしょう。僕は勝手にアニメーション界のウォシャウスキー兄弟になるのではないかと思ってます。

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