[生汁日乗]「世界」を千切る:2024年10月25日(金)
曇り空の一日。日中、少し陽が射したような記憶も。
朝、柿内正午の『ポイエティークRADIO』を少しずつ聴いている。「寅さん」の「分からなさ」などについて。
そもそも、「分かる」というのは「分節する」ということであるともいう。うまく「分節できない」ということは世界からの切り離しが難しい、つまりは「彼岸」の存在に近い。なんらかの理解をして(もしくは、「したつもり」になって)、認識の一部となっている「此岸」の存在とは「異なるもの」なのかもしれない。とかとか。こうして、テキストでどうでも良いことを記録するという行為だって、「いちにち」というものを、私の勝手な解釈で、「世界」から千切って「分節」している事になるのだろう。おもしろ。
ガジュマルに水をあげて、お茶を飲んで、子供達を送り出し、軽く朝食を摂って、少し早めに仕事を始める。
カミさんは休暇を取って、通院やらで隣町まで出かけた。日中、家に独り。静かだ。
昼休み、実家に電話し、両親と話す。
仕事は打ち合わせ少ない日。漏れていた事務作業があったり、四方からやいのやいの問い合わせがあったりで何かとバタバタしつつも、日頃手が回らない作業も少しだけ進められた。
夜、簡単な夕食をサーブして、自分も食べ終わった後、川活のミーティングに少し参加。日曜日の推進会議のことなど。
ようやくの週末。今週も草臥れ果てた。本は読めず。
明日は「ごとうにんシアター」対話のオンラインイベント。気負わずに楽しめたなら、きっと、目にうつるすべてのことはメッセージ。「世界」を千切ってみよう。