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[生汁日乗]われ-なんじ:2024年11月15日(金)

曇りの日。

息子氏は学校休み(休校日)。

今週は疲れ果てていた。脳みそが疲弊というか損傷している感じがするほど。だから今日は思い切って休みを取る。

午前は、洗濯したり。実家に電話したり、本読みしたり。

お昼に、どうしてもかつ丼が食べたくて、作って食べる。とんかつはもちろん買ってきたものだけど。

カツ丼が食べたくて

午後、本を読みながらうつらうつら。少し眠る度に、少しずつ脳みそが修復されている実感がある。睡眠は癒しである。

マルティン・ブーバー『我と汝・対話』をようやく読了。硬かった。付箋張りまくりで、正直、咀嚼しきれていないが、この薄さにして書かれていることの濃密さよ。『対話』は『我と汝』で語られてる概念が引かれている文脈が多くて、やはりセットで読むのが良いのだろう。『対話』の方が、文章の塊が細かくて、息継ぎがしやすく、読みやすかったけれど、書かれている概念の捕捉し難さは『我と汝』よりも上だった気がする。
制御可能、理解可能な対象としての「それ」ではなく、間主観性を排除した、唯一無二、代替不可能な統制不能な存在としての「汝」。「汝」との間に直接的な「われ―なんじ」の関係を取り結ぶことでのみ世界は現存する。という。「汝」とは人間に限らない。動物、植物、自然も「汝」として語られる。そして、「汝」との関係を取り結ぶものが「対話」であると。

世界はあなたの深い奥底に触れる。あなたがこれを〈わが魂の魂よ〉といっても、けっしていい過ぎではないであろう。しかし、世界をあなたの心に移しかえようとすることは慎 むがよい。その瞬間、あなたは世界を駄目にしてしまうであろう。世界はあなたの現存である。 あなたが世界をもつことによってのみ、あなたは現存的となる。またあなたは経験し利用するために世界を対象とすることができる。あなたはたえずそうせざるを得ない。しかし、そうするときは、もはや現存をもたなくなるのである。あなたと現存の間にはあたえ合う相互性がある。あなたはこの現存の世界に〈なんじ〉と語って、自己をあたえ、現存の世界はあなたに〈なんじ〉と語りかけて、あなたに自己をあたえる。こういった現存の世界をあなたは、他の人々に理解させることはできない。あなたは現存の世界とともに孤独である。しかし、この現存の世界は、他の存在者との出合いを、あなたに教え、その出合いを支えてくれる。この現存の世界の訪れを喜び、その別離を悲しみ、関係の平行線が交わり合う〈なんじ〉へと、あなたを導いてくれるのである。 出合いは生活を支える助けとはならない。ただ永遠なるものを予感するための助けとなるだけである。

マルティン・ブーバー『我と汝』

ーなんというか、やはり、根本的には仏教的な考え方や、世界が関係性であるという、量子力学の仮説ともとも通じている気がしてならない。

多分学生の頃に買ったのか、最早何十年履いていたのか覚えてないくらい長く履いていたジーンズの股に遂に穴が開いてしまった。ので、夕方、荻窪まで、新しいのを買いに行く。拘りの品とか、最早ないのでUNIQLOにて。寒くなってきたので、ついでに長袖の上着も買う。自分の衣類を買うのは実に久しぶりだ。というか、本以外に自分のモノを買うも久しぶりな気がする。そんなことも無いかもしれないのだが。ついでに晩御飯も買って帰る。

晩御飯は、私が荻窪から買って帰ったもの。あと、カミさんがトマトと玉ねぎのマリネと、キャベツのツナ和えサラダを作ってくれて、これがとても美味しかった。ありがとう。

寝床で、内田樹『困難な成熟』とか、プルーストとかをぱらぱら読むシヤワセ。

心に不死鳥みたいな火を灯し、鯨のような穏やかさで世界を泳ぎたい。

ーそう願いつつ、早めに就寝。

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