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燕市吉田地区4|職人の虚像、実像

(「燕市吉田地区3」から続く)

 それから数日は、私以外の宿泊者はいなかったこともあり、静かに過ぎていった。仕事をして、たまに町に出ては商店街をぶらつき、夜はこたつに入って本を読んだ。この生活にも、しだいに慣れてきてしまっている自分がいた。

 見慣れてきたもののひとつに、道の色があった。多くの道が赤茶けた色をしているのだ。夕暮れどきの閑散とした商店街などを歩いていると、下ろされたシャッターに広がる錆が道にまで侵食してきてしまったのかと思えてきて、寂寥の念が増してくる。もちろんそんな訳はなく、道が赤茶色であるのは地下水に含まれた鉄分によるものらしい。地下水が消雪に使われたのち、鉄分が酸化するということである。

 これも世界に誇る金属産業の町ならではということなのだろうか。特にここ燕は、江戸時代は元禄の頃、西部に広がる弥彦山で銅が採掘されて以来、銅器生産で名を馳せた町である。そして、その技術の粋こそが、田中さんがつくるという燕鎚起銅器である。

 実物はいくつか拠点に置いてあった。台所にはビールグラスが数個、布団などの置き場になっている和室の座卓にはやかんが一個。多角形状の鱗をまとったような紋様で、ひとつひとつの鱗はそれぞれに煌めいている。まるで液晶画面上の映像がピクセルへと崩れ散っていくときのように、幾何学的で儚げである。この紋様は、銅板を鎚で打ち起こすことで浮かび上がらせるのだという。

 鎚で打ち起こすのは、紋様だけではない。そもそもの全体の形状が、一枚の銅板から打ち起こされている。銅を叩き、縮めることで、器の形状へと仕上げていくのだ。縁に寄るしわが重ならないようにするところに、高い技術を要するという。

 一層凄まじいのは、やかんである。正確に言えば、やかんの注ぎ口である。湯を沸かす器部分は、通常の器の延長にあるのかもしれないが、やかん足るためにはその側面に空洞の突起が不可欠だ。鎚起銅器においては、注ぎ口を個別に制作して溶接することはしない。一枚の銅板から打ち起こす。この技は「口打出」と呼ばれ、修めている職人はほんのひと握りだという。

 そういったことを、自らが鎚起銅器職人でもある田中さんは丁寧に教えてくれた。その日も相変わらず田中さんの帰りは夜遅かったが、いくらか話す時間があったのだ。

 私は職人という存在に興味があった。縁遠い存在へ向けるもの珍しさも混じっているが、それだけではない積極的な興味があった。憧れているところがあったのだ。

 ただし、その憧れははっきりとした像を結んでおらず、漠としたものだった。憧れたきっかけとなる人物や出来事はこれといってない。あるのは、聞きかじった断片のイメージを空想によって繋げたばかりの職人像だった。

 その像の人となりを挙げれば、こういう風になる。還暦を超え、孔子言うところの、不惑・知命、そして耳順の域に達す。所作に無駄なく、つくりだすものもまた同じく。すべては人生を賭した厳しい修練の成せる業であり、その日々は顔や手に深い皺として刻まれている。

 もちろん、ただの虚像に過ぎないかもしれない。しかし、その人物の、ただ一点を極めた先の超然とした様が、私を惹きつけていた。

 そしていま燕にて、実像に初めて面している。田中さんである。彼の三十代前半という年齢や、それ以上に若々しい外見によって、我が貧弱な虚像にはさっそくひびが入っていたわけだが、話を聞くにつれて、それはあっけなく崩れ落ちていった。

 例えば、来歴を訊くと、都内にある私立の総合大学を出て、旅行業界で数年間はサラリーマンをしていたという。

 例えば、日々の生活を訊くと、先日は工場で職人仲間と鍋をつつき、今夜は近所の中華料理屋でひとりビールを胃に流し込んできたという。

 あれ。なんとも身近ではないか。一気に親近感が湧いてくる。

 さらに職人になるまでの身の上を訊くと、彼は衒うところなく語ってくれた。その話によれば、前職の旅行会社に勤めている時間が、深く考えもせずに就職したせいか、苦痛でしかなかった。耐えて忍んだが、ついに二年で退職した。その後、アメリカなどであてどなく旅をした。大学時代に抱いていたものづくりへの興味に素直になることにした彼は、帰国後、鎚起銅器をつくる「玉川堂」の門を叩いた。

 すでに三十歳を目前に控えていた。周りに遅れての入門であった。職人歴は今年で二年目という。

「まだ駆け出しも駆け出しですよ」

 ふと、時間の流れ方の差を思う。私が勤めるインターネット広告代理店では、そのベンチャー気質ゆえか二年目というとすでに一人前の扱いである。もちろん分からないことはごまんとあるが、特に私の属する部署では、二、三年目が現場の主力な感があった。

「帰りが遅いのは、やっぱり残業とかあるんですか?」

 ときに夜遅くまで仕事に追われる自らとの比較で、そんなことが気になった。

「残業はあんまり。いまはね、居残って自主制作してるんです」

 訊けば、近々「叩き場展」という玉川堂の職人による展覧会があるとのことで、そこへ出品する作品の制作に追われているのだという。

 それはぜひとも観たい。しかし、行程の都合で、展覧会に行くことはできなさそうだった。

「土日も何人か工場で自主練してますよ。見学もできます」

 自主練。俄然、興味が湧いた。より本物の職人像をつかむための何かがそこにある気がした。

「ぜひ伺います」

 もとより週末に予定はなく、迷う余地などあるはずもなかった。


(「燕市吉田地区5」へ続く)

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