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愛されたいのに愛さない人が多すぎる
私たちは、愛されたい生き物だ。
自分が社会から必要とされないと、他人を妬み、心が窮屈で孤独に苛まれる。
自分で自分を満たせないので、他人に愛を求めてしまう。
あなたは、他人に関心があるか?
他人の喜びや悲しみを自分のことのように感じられるか?
他人は自分の承認を満たすための道具ではないと言えるか?
相手もまた自分という他人に承認を求めていることに気がついているか?
もしそうであったなら、私はあなたに呼びかけたい。
終わりにしよう。
他人を羨んだり足を引っ張り合ったり、傷つけたり、本当にもううんざりだ。
だから。
今日ここで、希望を持って一石を投じよう。
愛される前に愛し方を知る必要がある
私は、自分を愛してくれる家族と、夫がいる。
そして、自分を大切にして、自分のことを愛すことができる。
他人を思いやり、愛することができる。
今、マウントを取られただとか、自慢話かと私と距離を取ろうとする人は、少し待ってほしい。
誰かは愛されていて自分は愛されていないだとか、良いとか悪いとか、そういう次元の話をしたいわけではないからだ。
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私が伝えたいのは、愛される努力をする前に愛す努力が必要なんだということだ。
このままでは、いつまで経っても他人と搾取し合い、それでも満たされない、誰も幸せになれない世界になってしまう。
そうならないために、他人を搾取する側だった私がどのように自分を満たせるようになったのか、その過程をシンプルに語ろうと思う。
はじめから愛し方を知っている人間などいない
私は最初から愛される人間ではなかったし、他人を愛する余裕もなかった。
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そんな私が変わったのは、見返りを求めない相手の存在に気がつけたことだ。
あなたの身近にいないだろうか。誰でもいい。
家族でも恋人でも、友人でも見知らぬ他人でも。
たった一人でも、損得勘定を抜きにして、
相手のためだけに自分を惜しまず尽くせる存在はいるだろうか。
それは無償の愛なんだ。
気づくか気づかないかだけなんだ。
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粉骨砕身して、それで相手から感謝も何も得られなかったとしても、
それでも与えたい、支えたいと思える相手がたった一人でもいれば、もうそれだけで充分なんだ。
今はまだその時でなくても、いつか必ず来る
今はまだいないと思うなら、それでもいい。
一番近い人間。家族からでもいい。
家族に気を許せなければペットでも、身近な友人でも、好きな人でも、架空の人物でも、液晶の中の存在でも、誰でもいい。
希望を持って、心を砕ける相手を見つけようとしてほしい。
そして、私からこの記事を読んでくれているあなたにメッセージを送りたい。
あなたはこうして生きているだけで素晴らしい。
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誰もあなたのことを見ようとしなくても、私はあなたのことを認めたい。
愛されようと努力することは意地汚いことじゃない。
ただ、一生懸命生きているのはあなただけではない。
世界中誰もが、あなたのように多くの人に愛され、大切にされたいと願っている。
世界中が愛されたい人しかいなければ、世の中は機能しなくなってしまう。
他人に心を許すのは難しいかもしれない。
だけど、みんな同じなんだ。
みんな誰かが自分を愛してくれると、幸せにしてくれると願っている。
おわりに
あなたはひとりじゃない。
どこかに絶対あなたを必要としている人がいる。
あなたの助けを待っている人がいる。
それと同じように、
どこかに絶対あなたが何に代えても守りたい、支えたいと思う人がいる。
あなたが手を差し出して助けたいと思える人がいる。
その時まで、少しでいいから他人の心の声に耳を傾けてみてほしい。
このメッセージが誰かに届いてくれることを祈る。
おわり