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ノーブックス、ノーライフ

「吾輩は猫である、は当店では取り扱っておりません」

 まただ。もう五回目となる回答を背に、綴文緒は夕空の下で書店を出た。
電子残高は、既に文庫本の値段よりも交通費が上回っている。その事実に、文緒はため息をついた。

 もう行ける範囲の書店は回ってしまった。とぼとぼと家路に着く少女の影を夕日が長く伸ばす。車のライト、街灯、スマホの明かりが街の暗がりを装飾していく。それらは、発電所が回したタービンで支えられている、らしい。文緒のスマホも例外ではない。

「図書館ならあるのかな……」

 苦し紛れにネットを検索するも、結果はノーヒット。そこで、意識をスマホから景色に戻した時、自分がまるで城壁みたいな影に取り囲まれていることに気づいた。影の連なりは、探照灯めいた視線を文緒に集めている。

「あの、何か御用でしょうか」
『吾輩は猫である、を知っているか』
「えっ」
『吾輩は猫である、を知っているか』

 不意に、正面の影が両腕を伸ばす。華奢な文緒からすれば、丸太のようだ。文緒はフリーズした。そして、見た。

 影の囲いの中に、あたかも彗星のごとく白い少女が星空の髪をなびかせて飛び込んでくるのが。彗星の少女は、突き出された影の腕をつかみ、水車を回すように振り回した。紙の力士よりもあっさり吹き散らされて、路上に舞う影の集団。そして乱入者は、文緒の手を取った。

「……一緒に、来てくれますか……」
「は、はい」

 とっさに肯定したのは、助けられたからではなかった。文緒にとって、夏の陽炎のような少女の誘いは、抗いがたい魅力があったからだ。返事を聞くやいなや、彗星の少女は稀覯本を抱くように文緒を抱き上げて、跳躍した。
夕焼けが、迫る。影が遠ざかる。

 景色が流れるのに身を任せ、文緒は古めかしい図書館の前に運ばれていた。既に夜の帳は降りている。先を行く彗星の少女は、ふと文緒へ向き直ると、こう問うた。

「……吾輩は猫である、を覚えていますか」

<続く>

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