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伝説の日本刀:(二)『膝丸』改め『薄緑』の伝来刀

本エントリーは『河井正博氏』よりご寄稿いただきました。
河合正博氏プロフィール:随筆家、歴史と刀剣の愛好者
本編は以下からどうぞ。

 最初にご紹介したのが、源家重代の名刀二振の内、『髭切(ひげきり)』だったので、次は順番として『膝丸(ひざまる)』をご紹介することにしたい。

 『膝丸』も当初、髭切と共に清和源氏嫡流家で大切に相伝されている。満仲の子頼光から頼義、八幡太郎義家と引継がれ、為義、熊野別当の手を経て九郎義経に至るのだが、この太刀の場合、何度も名称が変わっているので、伝説の探求には注意が必要になりそうである。

 それでは、最初に「童子斬り安綱」で有名な源頼光の時代から伝説を紐解いてみたい。武勇の誉れ高かった頼光には酒呑童子退治の他に、土蜘蛛退治の伝説もあったのである。その折、見事土蜘蛛を斬った頼光によって膝丸は、「蜘蛛切」と名を改められている。

 次ぎの異称は、八幡太郎義家の子為義の代に付いた名前で、膝丸が暗夜に蛇の泣くような声で吠えたので、「吠丸」と名を改められたという。これなどの古代の不思議な伝説の一節で残念ながら蛇の泣声を聞いたという話を知らないのでなんとも言いようがない。

 途中省略するが、為義から熊野別当を経て為義の孫九郎義経に膝丸は贈られている。先祖が所持していた名刀を贈られて大層喜んだ義経は、自ら吉野山に因んで『薄緑』と命名して所持していたが、兄頼朝と仲違いした際、兄との関係修復を祈念して箱根権現に奉納したのだった。

 これ以降、膝丸よりもこの太刀は『薄緑』として有名になっていくが、異説もある。平治物語や源平盛衰記によると、一時、頼朝の兄朝長や畠山重忠の佩刀だった伝説も別に存在するようだ。

 義経によって『薄緑』と命名されたこの太刀が次ぎに有名になるのは、これも有名な「曾我兄弟の仇討ち」によってである。
箱根権現に収蔵されていた『薄緑』だったが、仇討ちに際して箱根別当から曾我兄弟の弟五郎時致に渡されて、仇である、工藤祐経を討つのに使用された後、再び、頼朝によって箱根権現に奉納されたという。

 このように、鎌倉時代、『薄緑』の太刀は悲劇の英雄義経所持と曾我兄弟の仇討ちに活躍した二つの来歴を加えて、益々宝刀として崇敬されるようになった経過は、上記の二つの物語に加えて「平家物語」や「曽我両社縁起」等に散見するが、古来、『薄緑』の太刀の作者を九州の刀鍛冶「長円」とし、長さを2尺7寸(約82cm)としているので、どうやら髭切と薄緑は、同じ長さの太刀だったようだ。

 所が、である。
源家伝来の名刀『薄緑』と称する太刀が数振、今日まで各所に伝えられているので、現代の古名刀愛好家が苦しむことになる。増して、勉強不足の我々素人には、どの物語が真実で、どちらに収蔵されている名刀が、本当の『薄緑』なのかハッキリしないのであるが、取り敢えず、二振のそれらしい太刀をピックアップしてみよう。

 第一に挙げてみたいのが、やはり伝説の箱根神社に現代まで収蔵されて来『薄緑』の太刀である。
幸いな事に今年の早春に國學院大學博物館で開催された特別展、『神に捧げた刀 ― 神と刀の2000年 ― 』で、展示されたので、ご覧になった方も多いと思う。

 同特別展の内容は、直刀から湾刀に変化する時代の太刀の実物と同大学らしい「古典籍」が交互に並んでいる大変好ましい内容の展示会であった。
その中の、第Ⅲ章「中世東国武士の神社信仰と刀剣」で展示された三振の太刀の内の一振が、源義経奉納の箱根権現所蔵の『薄緑丸(以下薄緑と略す)』だったのである。

 実際に現物の太刀を間近に拝見してみると、確かに『薄緑』は騎射戦が主流だった時代の太刀らしく腰反りも深く、刀身も想像していた以上に健全で、先身幅も相当残っていたが、全体に古風な印象の強い好ましい太刀姿だった。

 唯、気になったのが太刀の年代と作風で、時代は「鎌倉時代」とあり、作風が古い備前風の太刀に見えた点である。
もし、そうなると多田満仲の注文した「長円」の太刀では無い可能性も生じるが、いずれにしても古調な凜然とした品格の太刀であった。

 それでは、もう一つ『薄緑』の太刀として高名な、京の大覚寺所蔵の重要文化財の太刀を見てみよう。
大徳寺の『薄緑』の伝来は、曾我兄弟の仇討ち後、源頼朝から、大友能直に贈られ、大友家子孫から西園寺家、安井門跡、大覚寺と伝わったという伝説を持つという。

 残念ながらこちらの方の太刀は実見していないので伝聞で恐縮だが、反りの深い如何にも時代を感じさせる太刀姿で、生に近い茎(なかご)に目釘穴二個で、上の一字は不明ながら、下の字は「忠」とハッキリと読める在銘の備前伝の鎌倉時代の太刀と推定されるという。

 もし、「近忠」あたりであれば、健保頃の鎌倉前期の備前鍛冶であり、こちらの方の太刀も平安時代に活躍した満仲とは年代が相違する。

 このように、『薄緑』の伝説が付随する太刀が多い所を観ても、如何に源氏重代の宝刀が武士達にとって垂涎の的であったかが容易に想像出来よう。

 この文章を書きながら、本間薫山先生の「鑑刀日々抄 続二」を開いていると、件の『長円』の在銘の太刀の記述があったので、一部を記載して終わりにしたい。

『細身古切先、鎬やや高く、平肉つき、元来腰反りが高い。(中略)刃紋は直刃に小乱と足ごころ交じり、匂とみじんの沸深く、うるみごころあり、物打辺より上が下に比してやや締まる(後略)』
『河井正博氏』の寄稿マガジンは以下をご覧ください。

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