雑記:創作におけるうろんの取り扱い #Brmxic
うろんとは創作における花椒の様なもの、病み付きになるが取り扱い注意だ。
よう、兄弟。俺だ。今日も良く来てくれたな。
今日は創作における「うろん」の取り扱いについて考えよう。
そもそもうろんとは何なのか
まずは、コトバンクよりうろんの意味を引用しよう
【胡乱】
[名・形動]《唐音》
1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。「胡乱な者がうろついている」
2 確かでないこと。真実かどうか疑わしいこと。また、そのさま。
「誤を正したり、―な所は字書を引いて見たりして」〈風葉・恋ざめ〉
3 乱雑であること。また、そのさま。
「かき本は字が―ですぢない字どもをかきをけども」〈史記抄・高祖本紀〉
[補説]「胡」は、でたらめの意。また胡(えびす)が中国を乱したとき、住民があわてふためいて逃れたところからという説もある。
[派生]うろんげ[形動]
いかにも怪しい、つかみどころのないというニュアンスにつながってることがわかるな。なのでここでもうろんの厳密な定義は定めずにおく。
創作における「うろん」の実例とか
創作におけるうろん要素とはどんな感じなのか、実例をあげてみた方が分かりやすいと思うので列挙してみよう。
・現代によみがえったジャンヌダルクにひたすらウスイ=ホンを書かせる
・大空をカツオやサメが舞踊る
・ソドムはニンジャが滅ぼしたと主張する
・ブッダ像を七色レインボーに輝かせる
・ハトが物作りの真理を教授する
列挙された内容をみると脳ミソがざわざわしてきて、なんとも言えない感じにならないだろうか。
これが俺が創作におけるうろん要素だと感じる一例だ。(明確な定義はないので細かいとこは人によってことなる)
こういう常識を揺さぶってくるのが創作におけるうろんの役割だと俺は考えている。ではうろんとは創作に必要な要素なのだろうか?
感動、共感とは異なる情動軸で人間を揺さぶるのがうろんの強み
エンターテイメントの王道は感動であり、そして共感だ。そこに異なる角度から情動を揺さぶれるのがうろんの強みではなかろうか。
人間は自分の常識を揺るがされるととても不安になる。ホラー的な感覚に近い、うろんのルーツを求めるならクトゥルフ神話のような根底的常識が覆される冒涜感と言えるだろうか。
このうろんが与える情動インパクトは共感ではあり得ないし、感動ではあるが一般的な感動の枠組みにも入らないと思う。うろんはうろんに立脚しているのだ。
かといって恐怖から派生してるがホラーでもない。面白いような怖いようなふわふわした感情がうろんだと俺は考えている。
うろんは一味唐辛子の様なもの、入れすぎには注意
うろん要素はえもしれぬ不安を掻き立てるので人によっては「コワッ、帰ってパラッパラッパーしよ…」みたいにブラウザバックさせてしまったり、本を閉じてしまったりさせてしまう。
その一方でうろんがないと物足りなくなってしまったりする、作品にピリッとした刺激を与える辛味やしびれの様なものだ。取り扱い一つで味わい深くもなるし、インパクトが強すぎて消化できないといった事態も起こりうる。さじ加減が大事だな。
うろんはアクが強いのでちょっと入れただけでも作品の味わいを大きく変えてしまうので注意が必要だ。場合によっては物語性をぶち壊しにしてしまうため、いれどころがわからないのであればむやみやたらには入れないのも懸命といえる。
余談だがどうも俺はうろんのさじ加減がヘッタクソで牽制のストレート位のうろんがことのほか読者に深く刺さってしまったりする。
作品に盛り込む要素のバランスはことのほか、難しい物だな。
戦場へ
実は人間の情動の揺さぶりかたは一様ではないと言うことだな。様々な責め手を覚えておく事でワンパターンに陥らないような工夫が出来るだろう
今回はここまでだ。またな。
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