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レトワール・ブランシェ・ドゥ・ラ・ニュイ・サンテ #パルプアドベントカレンダー2021

 その白い、もこもことした実にふわふわな毛玉は今、ことのほか不機嫌だった。
 白い毛玉は大小さまざまな蔵書が詰め込まれた壁張りの本棚、猫犬人間鳥そして竜などの小型骨格模型に度の違う眼鏡に人には大きすぎる聴診器などが、所せましと並べ立てられた大部屋の真ん中でオブシディアンを思わせる黒いつぶらな瞳をパチパチと瞬かせる。

 外見だけでいえば実に愛らしい、毛足の長い小動物のようだが実のところ彼はそれなりに大きい。なにせ目の前に立っている侍従服の黒髪の淑女は人間の女性としては背の高い方だったが、白毛玉の縦サイズといえばその彼女をゆうゆうと上回る。立ち上がれば女性の二倍程度にはなっただろう。もっとも、彼の種族から言えば……ちまっこい小動物などといわれるのも仕方のないことであった。

 医龍アスン・ラートという、どうにも不釣り合いな仰々しい名前が、かの白毛玉の本来の呼称である。付け加えるなら、今彼の虫の居所は非常に悪かった。

「おい、人間。今の話をもう一度言ってみろ」
「貴方様にぜひとも、深夜のプレゼント配達にご協力していただきたく存じます」
「なぁぜだ!」

 アスンのふわふわな見た目に不釣り合いな、深い男性の声を伴った疑問の叫びが部屋に響き渡る。そのまま彼はひっくり返ってじたばたし始めた。

「お前たち人間が俺に治療を受けに来るのはわかる。俺は医龍で、医術は分け隔てをしないものだからだ。猫だろうと犬だろうと竜だろうと診てやるし治療もしてやる。だ!が!!なぜ俺が配達人の真似事などをせねばならん! 俺は暇ではないのだぞーッ!」

 声色だけでいえば実に威厳があるのだが、いかんせん彼のふわっふわな愛くるしい見た目が何もかも台無しにしていた。ついでにいえば瞳はくりくりとしたつぶらさで、竜の威厳などあったものではない。サイズを差し引いても、彼が機嫌を損ねている姿は愛くるしい小動物が駄々をこねて拗ねている印象がぬぐえなかった。

 ひっくり返ってじたばたちまっこい手足を振りたくっているアスンを前にし、淑女はブロンズ像めいて微動だにせず彼のかんしゃくがひと段落するのを待った。ふわふわの毛玉とはいえ真龍を前にして驚くべき豪胆さ、といえなくもない。

「貴方様が適任であると判断しましたので」
「迷惑だッ!」
「もちろん、無償奉仕とは申しません。お受けいただきました際にはこちらを贈呈いたします」

 奥ゆかしくたたずんでいた淑女の手のうちに、分厚く大きな書がこつ然と生じた。アスンの瞳は彼女が足元のカバンからそれとなく取り出したことを捉えていたが、常人にはまるで彼女の動きは捉えられなかったであろう。だが、そんなことは彼にとってさしたる問題ではない。問題なのは取り出された書の内容の方だ。彼はつぶらな瞳を一層まん丸にして書のタイトルを凝視した。

「『万生解体詳録』……ッ!?」
「レプリカですが、内容については原版と寸分たがわぬ内容であることは保証いたします」
「オリジナルはほんの少数しか製本されておらず、とっくの昔に散逸しているはずだぞ、何故写し取れた」
「それはもちろん、原版も今も存在し、保管されているからです」

 アスンは鼻掛け眼鏡をかけてマジマジと目の前の書を覗き込んだ。確かに造りは真新しく、オリジナルそれそのものではない。だが内容が原版通りの正確な内容であれば、そんなことは些末なことである。

「1、2ページでいい、見せてみろ」
「どうぞ」

 淑女が開いて見せたその内容は、まさしく伝承されていた通りの生体解体の詳述であった。一般的な生物のみならず、半ば伝説、あるいは伝承と化した生物にまつわる記述まで確認できた。

「どうも、本物らしい。これを一晩の日雇い労働をすれば、俺に譲ると?」
「はい」
「誰の入れ知恵だ……いやまて、ここまで俺のことを踏まえた話が出来る奴なんてシャールのやつくらいのものだ。あいつめ、俺のことをベラベラと軽率にッ!」
「お受けいただけませんか?」
「やらんとはまだ言っていないだろう、だが実に不愉快だッ!」

 アスンはてしてしと地団駄を踏んで(彼にとっては不満なことに、その所作がまた実に愛らしい印象を周囲に与えるのであった)いらだちを紛らわせたあと、長い長い間をおいてから重苦しくうなづいた。

「いいだろう」
「ありがとうございます」
「ただしこの事は他言無用だ、口外したらお前を俺の毛でぐるぐる巻きにして、一晩トネリコの木の先に吊るすからな!」
「お約束いたします」

 了承を取り付けると、恐るべき淑女は現れた時と同様に影に溶けるようにして姿を消した。先ほどと同様、それはおおよそ常人離れした俊足によるものだったが……アスンにとってはどうでもいいし、それだけであればさしたる脅威とも言えないものだった。フンと鼻を鳴らすアスン。

――――――

 竜の爪よりも鋭くほそまった月が、薄く広がった雲の奥底から広大な王都を照らし出した。王都の周囲は強固な城塞で取り囲まれ、外敵を阻んでいたが有効なのはせいぜい同じ人間同士か大型の魔物程度のもの。竜種を阻むにはあまりにも脆弱といって差し支えない。もっとも、竜種にしてもわざわざ人間の縄張りに足を踏み込むのは、相当な暇で物好きなやからの行いであり……要するにこの程度の城塞で現実的には十分な備えなのである。

 王都を囲む城壁からほど離れた林の暗がりに、アスンは自身の夜闇に紛れるにも無理があるふわふわな姿を潜ませていた。ほどなくして、あの依頼を持ってきた淑女が彼の元に合流する。ただしその姿は昼の侍従服ではない。彼女の背の高い均整の取れた肉体を覆い隠すのは紅の忍者装束……そう、東方の恐るべき戦士、忍者である。

「来たか。時間制限は夜が明けるまで、事前の手筈通りいくぞ……ところで人間」
「なんでしょう」
「名をまだ聞いていないぞ、人間が多数いる場所でおまえの呼び名も知らんのは少々不都合だ。名乗るがいい」
「リジス・フェルエールです。どうぞリジスとお呼びください」
「よし、リジス。さっさと乗れ。お前は速いが、俺に並走するには少々心もとないからな」
「はい」

 ためらわず、リジスはアスンの背にまたがって油断なくしがみついた。恐るべき紅色の女忍者が、ふわふわの愛らしい真っ白な毛玉にまたがっている姿はなんともいいがたい違和感を醸し出すが、幸か不幸か彼らを視認できるものはここにはいない。

 そのまま、不意にアスンの身体がふわりと宙に浮くと滑るようにスライド走行を開始する。驚くべきことに、その速さは一般的な馬の瞬発力と速度を大きく上回るもので、夜闇を切り裂くさまはまるで大ゴーストの滑空のようにも見える。

 あろうことか、彼はそのままうず高く石の積まれた城壁に取りつくとするすると上り始めた。速さでいえば地上を走行している時とほとんど差がなく、巡回する見張りがそこに居合わせるには難しいほどにスムーズに王都内へと滑り込む。どうか、見張りを責めないでいただきたい。忍者の足を二回りほども勝る機動力でもって、音も影もなく忍び込む者など到底捉えられるものではないのだから。

 どうにも、彼の見た目にそぐわない高速機動を可能にしているのは魔術魔法のたぐいではない。彼のふわふわな毛並みである。彼の長い毛足が地面を支え、高速で大地を蹴ることで本来の短い四肢では到底不可能な静音高速な移動を可能にしているのだ。

 彼は王都に立ち並ぶ背の高い建築物の屋根をふわふわと飛び渡り、ゆうゆうと目的地に突き進んでいく。目指すは王都外縁部に存在する倉庫群の一帯だ。月明かりとまばらな街灯わずかばかりの光源の夜の中では、屋上を飛び渡る毛玉に気づく者などいるはずもない。ほどなくして、彼らは倉庫の一角へと滑り込んで何事もなくその中へともぐりこんだ。

「これか」
「はい」
「多いな、まあいい、急ぐぞ」

 倉庫の中には、箱詰めされた贈答品が所せましと眠っていて、本来の務めを果たす時を待っていた。アスンは自身の長いふわふわを伸ばすとその身に負えるだけしょい込む。ふわふわの毛玉は、一面プレゼント箱のブロック塊になった。そんな有様でもなんら機動力を損なうことなくと、彼は入ってきたときと同様に音もなく透け出た。

 仮に夜散歩に出ている者がいたとしても、およそ認識できない速度でするりと都市の影の内を縫うようにかけると、彼らは王都住宅区へと突き進む。四角いプレゼント塊となっているため一層不気味ではあったが、ほどなく目的地に到着する。アスンは集合住宅の屋根側からプレゼント箱をつかむふわ毛を伸ばすと、窓を次々あけ放ってプレゼント箱を放り込み元通りに窓を閉じていく。瞬く間にアスンはプレゼント箱のゴーレムからもとのふわふわ小動物に戻る。

「これでいいな?」
「はい、見込んだ通りお見事です」
「見え透いた世辞はいい、次に行くぞ次に」

 アスンは不愛想に答えると、再び住宅区から倉庫へと一糸乱れぬ走行にて夜の王都を踏破する。ふわふわ毛玉から再びプレゼント箱のゴーレムになるまでさして時間はかからなかった。そして、初回と変わらぬルーチンで作業をこなしていく。

「まったく、実にくだらん。なぜ俺がこんな事を……荒事より余程ましだが」
「その割には触診まで済ませているようですが」
「ついでだ!ついで!面白い症状の個体がいれば診てやろうと思ったが全くの空振り、風邪をひいているのすらおらん!全員健康で何よりなことだな!」

 二度目の郵送が終わって、このまま何事もなく終わるかと思いきや、そうは問屋が卸さなかった。もはや完全に流れ作業と化した倉庫への潜入の直前、振動と共に二人の視界がブレていままでおとなしかった夜空が一瞬だけ一面のオレンジに染まりあがった。すぐさま倉庫の屋根へと駆け上がるアスンの影が大きく伸びあがる。

「おい、なんだあの爆発は!?」
「あの一帯は産業区、おそらく保管されていた可燃性の物資に引火したのではないかと……」
「まったくもって雑な保管を!これだから人間は困る!」

 不満たらたらながら、アスンは迷わず爆発炎上する区画へと飛び上がった。紅蓮の炎が、今だ深い眠りにある都市の影を赤く染める。

「一体何をなさるのですか?」
「消火活動だよ!あれをほおっておけば起きだす人間が増えるだろうが!」
「しかし、貴方様が、消火を?」
「つくづく俺は過小評価されているな、まあ見ていろ!」

 ふわふわもこもこの毛玉は誰よりも早く火事の災禍舞い上がる現場に駆け付けると、ぶわりと自身のふわふわを拡大した。それは彼の輪郭が二倍三倍にとどまらないほど大きく膨れ上がるほどで、しかも驚くべき勢いと精度でもって緻密に編み上げられ、一枚の大布に変わっていく。

「せーえーのーッ!」

 竜のふわ毛で編み上げられた巨大な布は、あたかもクラゲのように立ち上る円柱に取りつき、覆いかぶさった。布がかけられてから物の数秒で、炎はあっさりととどめを刺され、後にはわずかばかりの熱がくすぶる程度まで抑え込まれる。

「お見事です」
「フフン、この程度のボヤで俺がどうにかなるわけがない。それよりリジス、一度降りろ」
「御意に」

 彼の意を察したリジスは風のごとく黒ずんだ火災現場を駆け抜けた。一方のアスンもふわ毛を駆使して生存者の探索を行う。ふわふわの毛足が四方八方をうごめき舐める光景は正気を疑うような恐ろしさだが、すぐにそれらも引っ込められた。

「やはり誰もいない、ただの事故だったのか?」
「アスン様、生存者を発見しました」
「すぐに行く!」

 人が集まり姿を見咎められるのは実際面倒だった。アスンはすぐにリジスともうひとりの生存者を背中に抱えあげ、注意深くほかの生存者がいないことを確認してから空へふわりと浮き上がる。生存者の男性は、衣服の大部分が焼け焦げ、露出した肌は眼を覆うほどの火傷を負っていた。年格好がわかりにくかったが、おおよそ中年ほどと思われた。

「現場に居た人間はこいつだけだな?」
「はい、他の気配は感じられませんでした」
「気配、気配か。まあお前がそういうなら確かなんだろう。それよりこれはなかなか酷い。このまま並行して配りながら治療を行うぞ、いいな?」
「はい、構いません。応急処置が済んだら、意識を取り戻す前に私が病院へ運び込みます」
「フン、応急処置なんかで済ませるものかよ」

 アスンに背負われた生存者は見る間にふわふわにくるまれてまるで繭めいて保護されたのち、アスンの背にしっかりと固定される。

「この中で治療を行う、この程度の並行作業は屁でもないから配達に戻るぞ」
「はい」

 リジスのナビの元、アスンは火災現場にようやく集まってきた消防員、野次馬などを尻目に夜空を駆ける。深夜にも関わらず置きだした人間がいたのは誤算だが、宅配の障害になるほどでもない。プレゼントの塊となっては、ほうぼうを駆け回って逐一プレゼントを投下して回る。巨大な毛玉がプレゼントを山程まとって夜を駆ける姿は、きっと目撃されていたらさぞかし目撃者の正気を試したであろう。

「しかし、何故救助を?」
「フン、ちょっとした拘りよ。たとえ希少物資の横流ししているせこい野郎でも、命は命。死に向かうのを黙って流したとあれば俺の能力に疑義が付く。だったら生かして返してやったほうが俺の実績になるというものだ」
「遠回しなツンデレというものでしょうか」
「それは感情と行動論理の有り様を簡便化、形式化し過ぎだろう!」

 静かな夜に響き渡らないよう抑えた声で、おおらかにも程がある捉え方にしっかりと抗議しながら、アスンは背中におっていた繭を解いた。火災被害者の表情は穏やかになり、呼吸も落ち着いていた。火傷後にはそれぞれ適切な処置が施されたあとが見えうけられる。

「ほら、処置は済んだから後は病院内で経過観察をさせておけ。俺の処置は完璧だから放っておいてもなおるが、念には念を入れ、だ」
「かしこまりました」

 そのまま、二人は手分けしてそれぞれの役目を果たす。王国の冬の夜明けはまだ、遠い。

―――――

 翌朝、いや、陽がもう中天にも達する頃。トリンケル・シュツタフは見知らぬベッドの上で眼を覚ました。全身が気だるく、まだらにじんわりとした傷みが絡みついてくる。しばし彼は自分の置かれた状況に困惑していたが、ベッド脇のスツールに差し入れられていた新聞を見てようやく合点がいった。自分は事故に巻き込まれたのだろう、希少物資のちょろまかしをしている最中に、自分のミスか単なる偶然かによって。

「イタッ」

 自分の体を見下ろすと、すでにびっしりと治療が施された後だった。ろくろく金もない自分に、何者がこうも執拗なまでの偏執的な治療を施したのかはまるで検討がつかない。

 わかっているのは、どうしようもない不運と類まれな幸運が一緒くたに訪れた結果、こうして生きながらえたということだけであった。

「お父さん!」

 トリンケルの起床とタイミングをおなじくして、彼の娘が病室に駆け込んできた。クシャクシャに涙ぐむ彼女に、トリンケルはなんとも我ながら愚かなことをしたものだ、と頭の片隅で思う。

「大丈夫だよワイーシャ。見ての通り確かに酷い目にあったけど、今はちょっと痛むくらいさ。きっと……神様が助けてくれたんだ」

 そういうトリンケル自身、ケチでセコい横領に手を出そうとした自分を本当に神性が助けてくれたとは本気で信じているわけではなかった。それでも、死に瀕した哀れな小悪党を救ってくれた誰かに感謝し、もう少しまっとうに生きてみよう、などと思うだった。

【終わり】

後書き

どーもみなさん。おれです。
いっぱい書いているのでなんか大丈夫だろうと思いきや、いっぱい書いているとネタが枯渇してくるし2021年後半は生活がグダグダになりどうもにんげんをやるのが大変だったりしたうえにタスクがいっぱい降ってきたのでうわーッ!死!とかなるところでした。
最初のお題を絞り出したときも内容が決まっておらず、数日スパ銭に通ったりベッドで死んだようになったりして内容を練った結果。まったく当初の予定とはことなる内容になりました。まことにごめんなさい。
ちょっとでも楽しんでいただけたら幸いです。

そしてお次のパルプアドベントカレンダー2021は!

城戸圭一郎=サンの
『ジジンと紫色のなみだ』!
これはもう間違いないですね!おたのしみに!

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パルプスリンガー、遊行剣禅のパルプ小説個人誌です。 ほぼ一日一回、1200字程度の小説かコラムが届きます。 気分に寄っておやすみするので、…

ドネートは基本おれのせいかつに使われる。 生計以上のドネートはほかのパルプ・スリンガーにドネートされたり恵まれぬ人々に寄付したりする、つもりだ。 amazonのドネートまどぐちはこちらから。 https://bit.ly/2ULpdyL