全生命の大敵たる魔王より、親愛なる勇者さんへ

「いくら魔王だって、深夜に男の寝室に上がり込むことはないでしょう?」
「あ……ハイ……勇者さんのおっしゃる通りです」

ユウキは説教せざるを得なかった。八畳一部屋の安アパートの一室である自宅に上がり込んだ異形に向かってである。

魔王を名乗る二本の突き出したる大角を頭部に備えた影、壁面に伸びては天井を覆うそれは狭い部屋に縮こまってユウキの前で恐縮している。

「まあ、それは反省したみたいだから良いです」
「良かった……!」
「なのでさっさと帰って下さい」
「ええ……」

魔王とやらの影がふるふる震える。

「あの……相談をですね」
「寝かせてください」

ユウキの断固たる要求に魔王はしくしくメソメソすすり泣きはじめた。天井の影からぽたぽたとしずくがユウキの顔に垂れ落ちる。変に甘い。

「わかった、わかりました。相談に乗りますから、気がすんだら帰って下さい」
「はい、はい……ありがとござます!」

泣いた魔王がもう笑った。一方ユウキはすこぶる不機嫌である、この男は飯風呂寝るを邪魔されるのはデジタルオーディン相手でも許さないのだ。怒り出さないのは、ひとえに相手が自分を頼っているからであった。

「じつはですね……お耳を拝借」
「はあ」

立ち上がって天井の影に耳を向ける。ボソボソ声。

「魔王としてどんな主義主張をすれば良いかわからないだとぉっ!?」
「勇者さんっ、声、声が大きいです……!」
「……コホン」

目の前のこのヘタレ異形はそもそも、何を持って魔王を名乗っているのだ?そんな疑問は捨て置き、さっさと追い返すため適当に相手をしなければならない。ユウキはそう決意した。

「別に、なんで良いのではないか?魔王なのだから。『人類は惰弱で愚か!滅ぶべし!』とか」
「あの……そゆの時代遅れだってSNSで」
「魔王たるもの!SNSの評判とか気にするな!」
「そ、そう言われましてもぉ……」

影が壁の隅に納まるほど縮こまる。魔王どころか幼子をいじめているようでクソデカため息に転化するユウキ。

「つまりアレか、今時の魔王として流行のさらにその先をひた走りたいと」
「……!そうです!ソレです!流石勇者さん!私の運命の人!」
「そこは宿命の相手とか宿敵ではないのか……?」

大体何故安アパート住まいの社畜である自分が勇者なのだ?そんな疑問も安らかな睡眠の前に投げ捨てると思考を巡らせる。

「人類を滅ぼすのは通過点として扱い、カリスマ感を出すとか」
「大魔王バ○ン様ですね!大ファンです!」
「既出か……」

大体今時の魔王が主義主張すべきことってなんだ、シーライフとかナチュラルバランスを訴えるべきなのか?そんな疑問も眠気の前にはどうでも良くなっていく。

「合法的に人間社会の政権を奪取して悪しき社会をカイゼンしていくなど」
「あ、あのワタシ日本の戸籍が……」
「捏造してしまえッ!魔王なんだから!」
「日本の戸籍管理厳しいから難しいんです……」
「魔王でも無理なのか……魔王とは……」

魔王とはいったいなんなのだろうか。これがわからない。

「いっそシンギュラリティAIをラスボスにして人類と共闘」
「あの、その、しんきゅらりて?さんはもういらっしゃいます?」
「まだだ、AIは我々人間が社畜をしている横で優雅にゲー厶とか小説執筆とかしている……!」
「じゃあ実現出来ないですね、でもでも、勇者さんの運命の相手はこの魔王ですから!」
「俺に運命の相手などおらんわ!恋人すら出来た事がないぞ!」
「ソレはこのワタシが日夜問わず勇者さんに近づく子をそれとなく遠ざけてですね……」
「お前のせいかぁ!?」
「あっ、あっ、ヤブヘビ……」

何故この自称・魔王は自分にこだわるのか、ユウキはさっぱり思い当たらなかった。なにより、眠かった。眠さがテキトーな一言を吐き出させた。

「もう魔王として勇者と結婚を前提に同棲するとかで良いんじゃないか……斬新だぞ……?」
「……ッ!それっ、それです!採用します!」
「おおそうか、それはなにより」

義理堅いユウキは自称魔王が眼?を輝かせて感嘆したのを見届けると、投げ槍な一言を添えてもぞもぞと寝床に戻った。明日は休日出勤、こんな幻覚にかまって睡眠時間をけずりたくない。

幻覚が盛り上がっている様な気がしたが、ユウキの方はするすると睡魔の虜となっていった。人類には魔王より睡魔の方が強敵なのだ。

―――――

久しぶりに夢を見た。
朝起きると、寝床の横におざなりに放置していたちゃぶ台の上につややかにお米粒がたった白飯、味噌の香りが香ばしい分葱のお味噌汁、そしてあぶらののった焼き鮭の三点セット。まともな朝食を食べるのは何年ぶりだろう。ユウキはメガネをとって涙をぬぐった。

「これは夢だ、俺の夢なんだから食べてもバチは当たらない。俺の夢の主は俺だからだ!」

支離滅裂な宣言と共に漆塗りの箸を掴み鮭に箸を入れて白飯をかっこむ。流石夢だ、触ったこともない漆塗り箸の触感はぴたりと吸い付く様で、口の中に放り込んだ鮭の味加減たるや白米と合わせて日本人の本能をこれでもかと掴む魅惑の至福であった。

「夢よ、せめて味噌汁に手を出すまではさめないでくれ……俺は起きたら底冷えする職場に行かねばならないのだ……」

夢うつつの時まで仕事を忘れられない自分に辟易しつつも、夜の底の様に深い色合いのお椀を傾ける。出汁のきいた白味噌と分葱の甘みがユウキの世界を満たした。

「む……夢じゃない?」

完食、深々とごちそうさましてようやく夢ではないことを実感する。だがそれはもっと恐ろしい現実を意味していた。実際、ユウキの理解は当たったのだ。

ギギギ、とキッチンに向けた視界に、夜が映る。星空の髪に三日月の角、楽園の白浜よりも透明な肌を鎧よりも分厚い黒ずくめで覆ってなお有り余る丘陵の生き物は、ユウキと目が合うと引き攣ったとしか言いようがない笑みを浮かべた。

「おはようござます、勇者……さん。ふへ、へ」
「ハッ……?」

【全生命の大敵たる魔王より、親愛なる勇者さんへ:終わり】

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