失敗を組み込んだゲームデザイン
ごきげんよう。
失敗、人生にはつきものなんですけど、あんまやりたくない。そういうポジションの概念。でも、人間不思議なモノで全く失敗しないゲームって言うのは単調でつまらなく感じる物で。これは人間の快感がいわゆるジェットコースター的ギャップで生じているものなので、平坦になると面白みにかけるんですよね。
なので、いいゲームはむしろゲームを投げ出したくならない程度に失敗させるのが上手いと言えると思います。これはいわゆるフロムソフトウェアのゲームもそうだし、ニンテンドーのやつもそう。
特にそう、冒険って失敗がつきものじゃないですか。何もかも上手くいく、予定通りに進むんだとそれはもう観光旅行であって、冒険とは言い難い。もちろん、世の中には観光旅行めいたゲームの需要もあるので、一概に悪いデザインってわけではないです。見慣れぬ世界をあるく、というだけで基本面白い物なので、散策に見合ったインタラクティブ性が確保されていればそういうのもあり。
しかし、やっぱり失敗することを前提としたゲームデザインというのは制作の難易度もあがるんじゃないかと。いかんせん今どきはちょっと失敗すると投げ出してしまうことが結構あると思います。まあ、統計取ってないので実数はどうかわからないですけど。
で、ゼルダの伝説。
ようやく中盤ちょっと超えたくらいまで進んだんですが(50時間近くかかってまだストーリーは中盤ちょっと、やりこみ要素はもりもり残っている魔のゲーム)、このゲームは上記に書いた通り、プレイヤーがある程度失敗することを織り込んだデザインになっているんじゃないかと。
事前情報無しだと、目的地まで遠回りしたり、必要なアイテムを取るのが遅くなったり、次の目的地が見つからなかったり、そういう多大な障害ではないけどちょっとした失敗とかその他諸々。と、それら失敗を乗り越えた時のカタルシス効果。
こう書くといかにも死にゲーっぽい印象を受けるかもしれないですが、多分人の話を聞いて素直に進めればつまるところは実はそんな多くないです。
祠は大部分がちょっと頭ひねれば答えが出てくるし、必須アイテムは序盤にイベントが起こるのでソレに従って進めばスムーズに手に入る。
その上で、ちょっとしたつまずきポイントを細かく配置しているわけで、やっぱスゲーゲームなんですよティアキン。まあ、遠回りした挙げ句行き止まりでションボリした時に、NPCにここは行き止まりだぜ!ってわざわざ煽られた時はどこまで読まれてるねんってなりましたけど。
戦場へ
しかし、いつまでたっても終わりが見えない。あと40時間はかかりそうです。寄り道で。
今回はここまで、またな。
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