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Noteに投稿する時の文字数問題

ざっくり述べると、ちゃんと自分が表現したい内容が乗っているかどうかが大事だ。

よう、兄弟。俺だ。今日も良く来てくれたな。
今日はちょっくら投稿作品の文字数について考えよう。

注意を払うべきは、自分が表現したい内容があるか

個人的な俺の結論は、まずこれだ。
何はなくともちゃんと自分が表現したい事が、作品上で表現されているかが大事なポイントになる。

100字未満の短文でも場合によっては作品と言えるし(キャッチコピーとかな)1万字書いても無味乾燥な文章になってしまっていては、作品としての質を問わなければならなくなってしまう。

特に中国では、単に文字数で金銭価値を図る風潮が根付いた結果、文字数ばかり伸びた作品が大量に増えてしまっているという話も小耳にはさんだことがある。

文章作品には適切な長さ、という物があり長ければエライ、と言う訳でないと俺は考えている。

文章の長短は作品のカラー

インターネッツが発展し、可処分時間が細切れになった結果、昔とは変わった点が短い文章であればそれはそれで価値が出る、という物だ。

例えば、俺が12時に投稿している自由律俳句は、字数だけなら100字に満たない場合がほとんどだ。内容も日々の出来事を書き留めていることが多い。

では作品としての付加価値がないか、というとそうでもない。
100字足らずという短さは、気軽に俺の作品世界観に触れられるというメリットにもなりうる。

実際の所、自由律俳句を優先してチェックしてくださる方も結構いらっしゃる。とてもありがたい。

もちろん、長文でなければ表現できない時は俺も長文を使う。
コラムなら1000字~2000字くらいが妥当だろうか。個人差はあるが、余り伸ばしすぎても伝えたい内容がぼんやりしがちだ。

小説の場合はさらに多彩で、掌か、ショートショート、短編、長編で変わってくる。その中でやはり長編は、ある程度作家への信頼度が求められるのか、やや敷居があがっている傾向にあるように感じられた。

文章は長い分敷居が上がる

読み手の立場に立って考えると、長文を読んでいただくのはかなり敷居が高くなる。

文章が長くなればその分読むのに時間がかかり、内容を消化するのにも負担が増していくからだ。不要なセンテンスは削らなければならない、という話が良く出るのは、文章における不純物が多いと雑味が増えて楽しさを損なうが故である。

時には短い文章に如何に必要な情報を盛り込むか、試してみるのも良いだろう。短編に必要な面白さを盛り込めたら、長編も当然面白く出来る。

戦場へ

文章の価値は長短よりも面白さを重点した方が良い、というのが俺の結論だ。特に作品に合った長さになっているかと言うのは、よくよく注意を払った方が良いだろう。

今回はここまでだ。またな。

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#コラム #毎日投稿 #創作論 #長短

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