冥竜探偵かく語りき~生体迷宮停滞事件~ おまとめ版 第三話 #DDDVM
私の杞憂を吹き払うしなやかな強さを持って、リューノ殿とシャンティカ君の二人は襲い来る脅威を打倒していた。
どうやら当初遭遇した三角錐を張り合わせたタイプだけではないようで、正方形のブロックを見えざる傀儡糸でつないだ奇妙な人型のゴーレムに始まり、これまた宙に浮遊する玉を真珠の首飾りのように散りばめ天球軌道を周回させる個体。あるいは三角形の鋭角の素材をハチを模したかのように組み合わさった個体など、バリエーション豊かな防衛機構達が彼らを出迎えていたのだ。
だが、そのいずれの相手も、リューノ殿の実直ながらも洗練されているのが竜である私にも分かる太刀筋の前に流れるようにきりさばかれていった。
シャンティカ君の援護もまた、森の民である以上生活ときってはきれない弓の冴えにより、脆弱な部位を的確に射抜き、敵対者を排除していく。
「一般の迷宮にいるような種族は見当たらないのだね」
「私見ですが、公の内部は生態系を持つのには余りにも足りないものが多いのだと思います。例えば……水ですね」
「そういえば、この中……全然水が見当たらないけれど」
「死者を元とするアンデッド系統や、そもそも生命活動を必要としない魔法生物を除けば、魔物といえど水を完全に必要としない種族は非常に限られています。そして水がなければ、土は乾ききってしまい苔や菌類といった被食物も生じません」
彼の説明には、私も黙って聞き入ってしまった。この辺りは、本の虫である引きこもりの私よりも、幾度となく数多の土地を踏破したであろう彼の経験の豊富さが物を言うところだ。
「魔物も生き物である以上、生態系が維持できない場所には生息出来ない、というわけだね」
「ええ。アンデッドについては、かつて存在していたにしても王国と公の間に盟約が交わされた際に一掃されたでしょうし、魔法生物は公専属の使い魔が徘徊している以上、別途投入する意義は薄いのではないでしょうか」
「確かに。であれば、ここは人工の施設と同様に、人の手の行き届かない場所にはびこる種は存在し得ないということだね」
「おそらくは。ですが往々にしてこちらの想定を覆す存在は何処にでもいるものです。シャンティカさん、ワトリアさん、引き続き慎重に探索しましょう」
「ええ」
代わり映えのない黒灰色の通路を進んだ彼らの視界に、近づく前までは壁の様にしか見えなかった扉が入り込んできた。その扉は彼らの接近に応じて一定のパターンに従って光点を明滅させた後、一切継ぎ目の見当たらなかった壁面の中央から分割。それぞれ左右に別れて壁の内側へと飲み込まれていった。
「罠……でしょうか」
「その可能性は低いと思います。ですが私が先頭に中を探りますので、お二人はそこでお待ち下さい」
「わかったわ」
盾を前面に押し出し、ネコ族にも劣らぬしなやかな足取りで大きな広間に踏み込むリューノ殿。彼が周囲を見渡すも、一向にトラップが起動する様子はなかった。彼の合図に従い、続いて二人も謎めいた大広間の内側へと入り込む。
その大広間は端的に言えば、神殿の類の深奥に存在する祭壇のような印象を受けた。私がくつろげるほどの空間には、そこかしこに謎めいた祭器が翠緑の命脈を伴いちかちかと光を放っている。
「ここは一体……」
「わかりません、でも重要な場所ではありそうです」
「ちょっと待っていてくれたまえ」
何か歴代の門番達がこの場所について書き記しているかも知れない。
その可能性に思い当たった私は、持参した資料を宙に開く。
複数冊をまとめてページを流していた中から、それらしき記述はすぐに見つかった。
―――――『グラス公が冗談めかして語るところに寄ると、あの物々しい祭壇は彼の臓腑であるとのことだ。人間と同様、そのお体の維持と制御にまつわる内臓が集約されており、害されるのは少々困ったことになるという。もっとも、そのいずれも公の肉体と同じ石で作られており、私達のような凡百の兵に与えられた武器では傷一つつけられる事はないだろう。竜種素材を使った英雄のための武器でもなんとかなるかどうか。つまるところ彼の地に再びたどり着けたとして、我々に公を害する手段などない訳で……』―――――
「ふむ……」
「先生、何か手がかりが?」
「推測の段階だが、ここはともするとグラス公の内臓に当たる部位を収めた部屋かもしれない」
「であれば、ここにある祭器が破損していたとすれば公の死因として結び付けられるのでは?」
「それよ。経年劣化で壊れたなら自然死って主張できるんじゃない?」
「ですね、手分けして調査しましょう」
「わかりました。ですが重要な場所ということは使い魔達が集まってくるかもしれません。お二人とも余り私からは離れないでください」
「了解です」
それぞれ散らばって不整脈のように瞬くトロフィーや樽形状の器官を順に見定めている面々。そのいずれも目に見えた破損はなく、我々の理解を越えた壊れ方なのでは……そんな事を思った直後に、ワトリア君の眼鏡を通して私にも明らかな異常が飛び込んできた。
それは人間族が手を清めるのにつかうボウルを竜種向けに拡大したような器で中には元は真球だったとおぼしき玉が収まっている。元は、というのは、その玉は頂点からドロドロと溶かされ破損した事が明らかな痕跡が残っていたからである。駆け寄ってきた二人に対して、ワトリア君の制止の声がかかる。
「あまり近寄らない方が良いと思います。直感ですが、この液体はとても危険な匂いがしますから」
「うん、まあそうよね……この石を溶かせるのがただの酸だなんて思えないもの」
「この強度の物体を侵食する液体、もしや侵さざる領域のベラカクトラ由来の物では?」
「なるほど……ベラカクトラ君の雨か」
雨竜ベラカクトラ君は、私よりも少々若輩の竜だが、その名は竜にとどまらずあらゆる種族に畏怖と共に知られている。理由は簡単で、彼女の意志とは無関係にその身から分泌され、雲と交わって降りしきる『雨』がありとあらゆる物質をとかし尽くすからだ。
故に彼女は生ける者のいない荒廃した砂漠の中央でたった一人ひっそりと暮らしているという。彼女と唯一交流ができる岩竜によれば、砂漠の砂でさえ溶解し、彼女の住処は液溜まりの湖のようになっているという。
これでグラス公の死が他殺であることが明確になった。だがそれは同時に、犯人は如何にして万物溶解の雨垂れをここまで持ち込んだのか、という厄介極まりない謎を提示したのであった。
「はい、私の方はお手上げ。ワトリアはどう?」
「もうさっぱりさっぱりです……魔術専攻であればまたもっとアイデアが浮かぶかもしれないですが、私医学科でして」
「お気になさらず。我々調査隊だけで解決できるのであれば、シャール殿にはお声がけされていなかったでしょうから」
「そうそう、考えるのはシャールにまかせて、私達はちょっとでも手がかりを見つけることに専念しましょう」
彼らのやり取りに思わず声を伏せて苦笑してしまう。謎を解き明かせないことで気落ちされてしまうよりも、気持ちを切り替えて調査に専念してもらった方が良いのは間違いないのだが。
「そうしてほしい。不可能犯罪に見えても、こうして実現された結果がある以上はいかでかして可能にするトリックがあったということだから」
「はい、はい、私が謎解き担当じゃなくてよかったってことにしとくわ」
軽口を返しながらも、彼女は熱心に内臓器官室の臓腑……といっても無機質な物体の連なりを丹念に調べていく。レンジャー要員の面目躍如となるだろうか。一方、ワトリア君を通してリューノ殿が私に問いかける。
「しかし、魔術魔法も、神秘に機械も万能ではありません。この謎をとき明かすのは骨が折れそうですね」
「確かに、実にやっかいな問題だとも。だが、私が考えるに、厄介で難解な状況だからこそ、殺害方法も絞られてくるはずだ」
「それは複雑な知恵の輪が、複雑であるからこそ解き方も一つに絞られるようなものでしょうか」
「うん、その通り。けれど推理にはやはり情報が必要なので……シャンティカ君の判断が実に頼もしいことだね」
「であれば、私もわずかながらご助力できるよう頑張りましょう」
「あ、私もがんばります!私も!」
「ありがとう、二人共。だが身の安全が第一だ、くれぐれも気をつけてくれたまえ」
「ええ。そこは必ず」
それぞれ分担した三人を気にかけつつ、私もやるべきことをやる。まずは王家に対して追加調査の伝書鳩。内容は噂話の収集である。
竜である私にも把握できるほど、人間族は噂、ゴシップというものが大好きだ。錠前は口にはつかぬ、などという表現さえある。そして公が殺害された動機はおおよそ、彼が秘匿していた遺物である可能性が高い。
「それはつまり……」
犯人は、善行であれ悪行であれ、回収した遺物を使って何らかの行動を起こす。そしてその兆候は、大なり小なり、隠蔽しきるのは難しいだろう。遺物に頼らざるを得ない以上、起こす事象もまた異常性が強いものとなる。
「宣戦布告など起きていない以上、悪行でない事を期待したいものだが、ね」
羊皮紙を折り曲げてかたどった鳩に術とメッセージを預け、空へと放つ。
「シャール、ちょっと良いかしら?」
「もちろん、いつでも、なんなりと」
モノクル越しにかけられた声に、応答する。やはり彼女は優秀な斥候力を保持している。シャンティカ君に依頼して正解だった。
「ほらあれ、見えないかしら」
「み、見えません」
「溝……かね?」
シャンティカ君が指差す方向は天井。そこにはネズミの掘った水路の様な溝が見受けられる。私はワトリア君の眼鏡にひと工夫かけて彼女にも溝が視認できるようにしてみた。
「あっ、見えます見えました。確かに天井にちっちゃな溝が……」
「まずね、あの玉……多分心臓なんだろうけど、あれって真正面から酸をかけられた溶け方じゃないのよね」
「というと……?」
「真上から、中心部を狙って正確に注がれないとああいう溶け方にはならないと思うの」
「つまり君は、犯人が桶の様な入れ物ではなく、管でもってここまで液を通したと」
「そういうことね」
「ふむ……」
天井に刻まれた溝だが、確かにこの迷宮の壁材には溝どころかわずかなへこみさえ見当たらない。恐ろしく精緻で平らな造形には、どれほどの職人がたずさわったのか私にも想像が難しいほどだ。
そして件の溝だが、確かになにかに溶かされた様な形状も見受けられる。これが迷宮における建設意図に沿った造形ではない可能性は高いだろう。
「でも、私達が肩車しても届かないくらい高い天井に、管……何故でしょう」
「理由付はまあ、後でも出来るさ。大切なのは運搬方法の目処がたったかもしれない、というところだとも。シャンティカ君、この溝だが入り口の方にも?」
「ええ、この部屋の中から外までは続いてたわ。でも通路の途中からは途切れてて」
「それはおそらくは、先程の構造改変の影響だろうね。でもエントランスには痕があるんじゃ無いかな」
「なら、戻るときは確認する」
これで一歩前進、といった所か。
少なくとも空間転移といった未だ基礎理論の研究レベルに留まっている魔術が運用されてないのは幸いな所だが(もちろん、異世界間の跳躍転送は文字通り神の御技である)また一つ解かなければならない謎がある。
「次は何を持って万物を溶かす雨粒を運んだかだが……」
「それ、証拠として残りそう?」
「物品その物は残念ながら、見ての通り回収されたか放棄された後で消滅したか……そのどちらかだと思う」
「流石に犯人もそこまで間抜けじゃないか。じゃあ天井の跡は……」
「不可抗力でついてしまった物だろう、迷宮公ご自身が気付かなかったのは」
「それは、この迷宮の壁面には神経が通っていない、いわゆる不随意な部分ではないかと」
「なるほど、私の鱗の表面が削れても、そこには神経が通っていないから痛くない様に、この壁面にも公の神経は通っていなかったんだ」
「さっすが医学生!ヨシヨシしてあげる!」
多分、ワトリア君の髪をワシワシ撫でているシャンティカ君はさておき、もう一つ手がかりになり得る物はまだ残っている。それは、公の中に未だ遺されている遺物の在庫状況……である。
調査の方向性が定まれば、自ずとやることも増える。
私は追加の伝書鳩をあてにできる相手へとを送り出すと、続けて公の体内に秘匿された遺物のリスト、その写しを宙に広げた。
「名前だけでは中々どの様な物品なのか想像しにくいものだが……」
分厚い書籍の一枚一枚に、名称、形状と特徴を捉えた写実画に、保管されているべき在庫量から取り扱いに際して注意すべき点など、歴代の担当者達が綿密に記載した情報が紙上ところ狭しと踊っていた。財宝的な価値は関心がないものの、遺物のたどってきた歴史的価値、あるいは来歴については大いに私の好奇心を刺激するに足るものだ。
「こんな時でなければ一つ一つじっくりと見分したいのだがね」
独りごちると、目当ての物があるかざっとページを流してゆく。私の視線を、とても実用性があるとは思えないいびつに曲がった剣やら、際限なく入れ子型になっている箱、金属にガラス張りした薄い板などの情報が矢継ぎ早に通り過ぎていく。
「林檎と月の魔剣オルトラントもここに行き着いていたとは……とと、いけないいけない」
遺物の歴史に思いを馳せるのは謎を解き明かした後でも出来るだろう。さらなる遺物を求めてページをゆらゆら使役すると、本の半ばほどで目当ての物はでてきた。
「甘竜ラ・クラリカの黄金酒……おとぎ話だとばかり思っていたよ」
竜という種は、後天的に親とは大きく異なる能力を獲得する性質がある。たとえば、雨竜ベラカクトラの破滅の雨も後天的に発現した生理機能だ。
では、甘竜ラ・クラリカはどうであったかというと、伝承に聞くところによれば……極上の飴細工を竜にした様な、そんな存在と言い伝えられている。いわく、その身体に実った黄金飴をひとかじりすれば短命の種ですら10年は天命が伸びると言われたそうだ。
当初、ラ・クラリカは求められるままにおのが身の豊穣を分け与えていたものの、あまりの評判に供給が追いつかなくなり、ほとほと困って当代の賢竜に救いを求めたとか。
結果、賢竜はラ・クラリカの飴と同じ味の果実を生らせる木を作り出す。それが、今幅広く普及している桃の始祖……ということらしい。同様の味を他の手段で得られる様になった結果、かの竜は無事天寿を全うしたと言われている。
伝承はともかく、問題は先達の甘露でもって作られた薬酒の方である。端的に言えば、この遺物の特性とは万能薬と伝わっている、いるのだがいかんせん実物で癒やされた者もとうの昔に亡くなっており、その効果を保証する物も、肝心の実物も行方知れずとされていた。
「しかし、ここに秘匿されていた……と。もっともこれだけが候補とは限らないが」
他にも、私が想定している条件に合う遺物がないとも限らない。まずは全て洗い出すべきだろう。
瞳を皿のようにして、複数宙に並べた資料をくまなく読み込む。
視界の端で門番の方達が私の振る舞い、一挙一動が気になるのかこちらに視線を送ってきているけれども、今は資料あさりのほうが優先だ。
「シャール殿、この部屋には他にこれといった証拠は残っていないようです」
「わかりました。天井の跡が犯行の証拠であれば、他に証拠が残っていないのも道理かと」
「入り口からあの犯行現場まで、床をたどってみたけど酸による溶解跡は残ってなかったわ。犯人さんは一滴もこぼさず有効活用したみたいね」
「シャンティカ君もありがとう。次は遺物の現状確認についてお願いしたいのだが、三人ともよろしいかな?」
私の提案に、護衛の二人は揃ってうなずく。ついでに視界も上下に揺れたのでワトリア君も 同意してくれたようだ。
「あ、先生ひとつ疑問に感じた事があるのですが」
「なんだい?」
「これほどの溶解効果がある雨竜のしずくがあれば、宝物庫の扉を開けることも不可能ではない気がするんです。でも、犯人は迷宮公の心臓部を直接攻撃した……何かそうしなければならない理由があったのではないかと」
「うん、良い観点だ。そしてワトリア君が疑問に思ったように、犯人にはそうしなければならない理由があったんだ。それは先程資料に記録されていた公の口述から確認出来たよ」
「それはもしや、迷宮の宝物庫が開く条件は、公の死に紐付けられていたのでは?」
「うん、その通り。流石リューノ殿だ」
さらりと答えにたどり着いたベテランの冒険者を褒め称えつつ、その内容を肯定する。剣士の横で、弓手はなんとも言えない、味わい深い表情を見せていた。
「ちょっとまって欲しいんだけど、ここの宝物庫って、宝物庫とは名ばかりの厄ネタの集積場じゃない?」
「危険物だけ、という訳ではないけれど、まあそうだね」
「その……故人に失礼になっちゃうかもだけど、閉じたままにしておいた方が良かったんじゃないかしら……」
「かもしれない。だが、故人の意向によって死後には開放される様になっていたようだ。理由は二つ。一つは危険物といって使い方次第では良い結果を得られもする物品があること。もう一つは」
「もう一つは?」
「迷宮なのだから、制覇されたのならば栄光を勝ち得た英雄には腹の財宝を開放せねばならない、という故人の強いこだわりだそうだよ」
「う、うーん……申しわけないけれど私は迷宮になったことはないから、そのこだわりはちょっと理解できないかも」
「私なら、死後においては蔵書は腐らせるよりも心ある読書家の方に持っていってもらいたいから、そういう意味では彼の気持ちはわからなくもない、ね」
「先生の蔵書と公の遺物だと危険度が違いすぎちゃうかと……それと、やはり物理的にも、宝物庫を破壊して開放するのは難しかったのでしょうか」
「おそらくはね。今はもう安全になっているはずだから、私達の目で実物を拝見するとしようか」
「わかりました」
そうして、一行が退出すると示しを合わせたかのように祭壇、心臓部の門は厳かに閉じていった。
一行の道行きを見守ると同時に、私は送られた伝書鳩の返信を紐解いた。天高くさす陽の元にて、幻の鳩の姿がひもが解けるようにほどけ、一人のステテコパンツだけをはいた老人の姿へと変わる。私が、人間種の魔術について知見を求めた相手だ。
「ごきげんよう、シャール君。なおこの幻像はわしがテキトーに記録したものだから、受け応えはできん。ので、質問があれば返信を送ってくれたまえ」
一字一句聞き漏らさぬよう、聴覚に集中するも、門番達の今度は何がはじまったんだという風情の困惑顔についつい苦笑してしまう。
竜の前にほぼ半裸の老人が立っているのだから、奇妙な光景であることは異論ない。
「端的に回答すると、おヌシの質問については理論上は可能じゃろう。もっともその長距離を間断なく維持出来たなら、ソヤツは一等優れた才能の持ち主と言えるな」
伸びた白ひげをしごきながら、王国随一の魔術の使徒はのんびりとした口調で私の推論に対して答えをくれた。
「もちろんいくつか解決すべき問題はあるがの、重要なのはすでに実現されているっちゅーこっちゃ。であればその術者は優れた発想をもって解決策をこしらえたんじゃろー。うん、ウチの学部にぜひとも欲しい逸材じゃの。何をやらかしたか知らんが、みっかったらワシのとこに来るよう口添えしてくれたまえよ?」
「善処しましょう」
「うん、おヌシならそう答えると思っとった。まあワシ、聞こえておらんがな!カッカッカ!」
つい口をついて出た言葉に、合わせられてしまった。このご老公は魔術の見識以外にもすこぶる聡い。
幻の像は宙を指先でなぞると、平易な陣が描かれた魔術式をその場へとうつす。
「これが問題の魔術の基本式じゃて。ま、おヌシほどの優れた魔術師に講義する事はさしてなかろーもん。聞かれた要件を満たす仕組みはすでに入れてあるから、後は自分でいじって確認してくれたまえ」
映し出された陣を脳裏に貼り付けると、自らの爪で再現してみる。虚空に浮かび上がった魔術の陣模様は、竜の私でもすんなり起動する事が出来た。これで、トリックの再現が私の手でもある程度可能になったといえる。
「わしからは以上。礼の返信はわしに、追加の質問はわしでなくても済むから、コヤツにでも送っといて、と。ほいじゃまたの」
陽の光に融ける様に、幻の像は溶け消えていった。すぐさま、お礼の一言を添えた伝書鳩を編み上げて宙へ放つ。
「先生?」
「ああ、失礼。知見を伺った相手からの返信が届いてね」
「ふうん、マメなのね貴方。やっぱり」
「調査には地道な情報集めが欠かせないものだよ。推論はあくまでも推論でしかないのだから。それで、君たちの方は順調かい?」
「順調、怖いくらい。使い魔も出てこないし、今のところ一本道で脇道も無くなってる。これって大丈夫かしら」
「その可能性は低いと考えている、リューノ殿はいかがかな?」
「私も同意見です。もっとも確証はありませんが……」
「なーによ二人して。これじゃ私がアホの子みたいじゃない」
むくれるシャンティカ君。
私が講義に意識を割り振っていた間に、一行は長い長い蛇行回廊を抜けて、途方も無い広さの半球空間へとたどり着いていた。この聖堂を思わせる空間の天井にはやはり葉脈めいてほのかな光のラインが走り、地の奥底にもかかわらず見通すのに支障のない光量がもたらされている。
「ここは……?」
「おそらく最深部、公の体内でもっとも空間を割いている場所……つまり宝物庫さ」
「でも、なにもないわよ?」
「しまわれているんだ、今はね」
「しまわれている、ねぇ……」
一見無意味に開いた空間の中央へと、一面に張り巡らされた光葉脈のラインは集約されており、一帯の中では目に見えて強い光を放っている。ワトリア君の眼鏡にかけた術式を調整して眼をこらすと、そこにはワトリア君の腰の高さほどの円柱があり、その頂点から光が漏れている事が視認出来た。
「リューノ殿、あの中央の円柱に王家より預かった品をかざしていただきたい。罠は今の段階ではないと考えているから」
「ええ、わかりました」
「えっ、罠とか……あるんじゃない?」
「いえ、大丈夫です。仮に万が一の事があっても、対処してみせますので」
仮面の放浪者は、その帳の奥で笑顔を見せた様な気がした。
彼は言葉通りに迷うことなく円柱へと王家より託された精緻な紋章盤をかざす。すると、円柱頂点にはめ込まれた球体より、かざされた紋章へと光が走りその表面をなぞっていった。瞬間、伽藍の堂であった空間がにわかに騒がしくなった。
「二人とも、私の側へ!」
「は、はい!」
中央より距離を取っていた二人がリューノ殿の側へ駆け寄る合間にも、宝物庫の変化は続いていた。空っぽだった空間には、今や壁面から組木細工を取り外すかのようにいくつものブロックが開放され、床からは無数の幾何学形状の壁材がせり出していく。
「すごい……」
ワトリア君のつぶやきを合図にでもしたかのように、宝物庫に整然と並んだ物品を収めた箱達はぴたりと止まる。完全に内容物を提示したのだろう。
「すごいけど、これって亡くなってる方が出来る事なの?」
「それについては道すがら説明しようか。この宝物庫の展示物についてはどこに何があるのかの目録も託されている、君たちには私が目処をつけた物品の確認をしてほしい」
「りょーかい、それじゃ指定して?」
私はシャンティカ君の求めに答えて、今いる地点の直ぐ側に現れた階段をおり、今の階から三階層降りた先へ向かうように案内する。
「それにしてもやっぱり不思議というか……今、教えてくれるっていったけど、亡くなってるのにこうも整然と動けるものなの?」
「公が亡くなられているのは、間違いないと思うよ。彼はやはり私達のような一般的な生物とはことわりを異とする存在なのだろうね」
「亡くなられてはいても、身体機能としては今も維持されている……ですか?」
「その通り、我ら竜でも死を越えて身体機能の維持を継続するのは難しい行いだ。彼の来歴がますます気になるところだとも」
一行は、開かれたさらなる地下への道筋をたどる。
「公の現状について、私が考えられる可能性は二通りあるんだ」
私の案内通り、一行は階段を降りて三階層下の宝物庫を目指す。たった今、一階めを通り過ぎたところだ。
「二通り、ですか?」
「そう。一つは、知性、精神を司る器官と身体機能の維持を司る器官は完全に分割されていて、知性が損なわれても今こうして迷宮としての身体機能を維持し続けているのではないか、というパターン。だがこちらは可能性が低いと考えている」
「どうして?何かそれを裏付ける様な要素が有ったかしら」
「それは、今もこの迷宮の動きには知性が感じられるからではないでしょうか。いかがでしょうシャール殿」
「うん、その通り。少し振り返ってみようか」
三者とも、硬質な迷宮の壁材と澄んだ音を奏でながら、より深層へと潜っている。その間も、彼らは私の説明に耳を傾けていた。
「私達がここに侵入した当初、内部は迷宮の通り名にふさわしい入り組んだ構造で、公の使い魔と思しき巡回兵も多数存在していたね」
「ええ」
「だが、あるタイミングから内部の様相は一変した。内部構造はほとんど脇道がない一本道になり、巡回兵との遭遇戦こそまばらに有ったものの、探索そのものは当初想定していたよりも大幅に難易度が下がったんじゃないかな?」
「確かに……振り返って鑑みるとほとんど一本道だったわ。それ、地図を書き留めているワトリアとしてはどう?」
「はい、地形については構造改変後から再度マッピングしていたんですが、先生のおっしゃるとおりです」
「それと、もう一つ重要な点があるんだ」
「重要設備のある部屋にあっさり入れたことですね?」
「うん、正解だ」
カツン、と甲高い音を立てて先頭を進んでいたリューノ殿が立ち止まる。そこは既に三階層降りた先の階だ。私は彼に、螺旋階段から出て目の前の突き当りを右に進むように提示する。後に続く女性陣。
「迷宮公の実質的な内臓である祭壇は、私達が訪れた時にさも当然という様に開いただろう?あの時の門は公の堅牢極まりない壁材の分厚い塊で出来ていたものだった。あのタイミングですんなり自分からあいてくれなかったら、私達は部屋に入ることもおぼつかなかったんじゃないかな」
「確かに……でも、どんな事をすれば、死んでるのに生きてる、みたいな事が出来るの?」
「その条件を満たす2つ目のパターン、それは命を分けることだ。通常の生物であれば、子孫を残すのが最も近いといえる。でも、公のそれはどちらかといえば神霊や魔族が実行するそれに近いね」
「存在の分割、保存ですね。人間族やアルヴァ族などとは異なり、彼らは自分の命を分割し、並列で存在させることが出来る。限りある生命であることはかわりませんが、片方が死亡してももう片方が残っていれば生き残ったといえるのです」
「それ、本当?」
シャンティカ君の疑問に、リューノ殿は仮面の奥で苦笑した様に感じた。
「長きに渡る戦いで、それほどの命と力を備えた存在は神霊、魔族を問わず数を減らしていったそうです。それに、命を分ける、ということはその分脆弱化することも意味しています。同じ量の水を半分に分けたら、当然半分の量になるのと同じ事ですね」
「ふうん、どっちにしても厄介そうだから遭遇しないことを祈るけど……」
一行が通路を曲がった先は、両側がホテルの客室のようにドアが立ち並んでいて、この迷宮に収められた遺物が途方も無い数であることを間接的に指し示していた。もちろん、ホテルという例えについては、私は人間族の宿泊施設には色々な意味で入れないので、知識として知っているに過ぎないのだが。
「そのまま真っすぐ進んで、君たちから見て左側の十五個目のドアが目的の部屋だ。部屋の目印として……ううむ、説明するのが実に難しいな。ワトリア君の眼鏡を通して壁に表示しよう。合わせて手近なドアの同様の、おそらくは部屋番号を示している板を見て欲しい」
「はい」
「これは……」
「ちょっと、こんな文字見たこと無いんだけど」
彼らが観察しているのは、左方にある部屋番号……もっとも、縦5セーチ横20セーチほど(訳者注:1セーチ=1センチメートル)の文字盤の上でほのかに光っているのは、私達の公用語とは全く異なる言語、いや記号といった方が適切であろうか。私の知るよしもない古語である可能性も十二分にあるが、それを考慮しても異質な形状の記号である。
「まるでヒモを湾曲させたかのような図形ですね」
「そうね、まるでツタみたいな……」
「実に興味深いが、今回は先達の知識をありがたく活用して目的の場所を特定することにしようか」
「はーい」
私は彼らの視線の先へと、遺物目録に記された図形を幻像描画する。
それをワトリア君が素早く書き留めると、彼らは探索を再開した。
「罠とかは、やっぱり無いわ。いくらこの壁材が強固といっても、遺物のひしめく場所で下手な事はしないって思うんだけどね」
「火薬タルの側で火花を散らすようなものですから」
「そーそー。遺物だらけなら下手な罠より危険じゃないかしら、ここって」
「はわ……そ、そうなんですか?」
「そうよ?遺物っていってもピンきりだから、詳しい内訳を聞かないとわからないけど」
「そうだね、今君達が通り過ぎた右側の部屋に、ちょうど『ハルカバルカの旅行記』が収められている。厳重に封印された箱の中に、だけれども」
私の、そう、実に余計な一言にシャンティカ君は身を縮こまらせ、こわばらせた。
「ちょっと、それ有名な人食い本じゃない!よりにもよってそんな厄ネタ振らなくても良いのに!」
「失礼、ちょっと今のは我ながら空気が読めなかったのを認めるよ」
「そんなに怖い本なんですか……?」
「開かなければ大丈夫ですよ。旅行記と称されていますが、その実『ハルカバルカの旅行記』は、開いた人間を取り込み……その人生を書き記すと言われています。発見された時に題字に描かれていたのが、有名な冒険者ハルカバルカだったのですが……」
リューノ殿の解説に、ワトリア君は怯えた小動物の様な、としか例えようがない表情を見せる。
「その、寄り道せずに目的の部屋に入りませんか……?」
「さんせーい。変なものに手を出して無駄死にしたくないもの」
「同意します。興味本位でのぞくには、少々危険物が多いようですから」
「お願いするよ、他の遺物については私は口を慎むことにしよう」
軽い気持ちで例えに出したのは、正直失敗だったと私は反省する。死を恐れるのは人も竜も変わらないが、物事に対する恐怖感はやはり、種族が異なれば耐性も大きく異なるのだろう。
【冥竜探偵かく語りき~生体迷宮停滞事件~ おまとめ版 第三話:終わり|第四話へと続く|第一話リンク|マガジンリンク】
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