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着慣れない言葉を脱ぐ

ごきげんよう。

文体のコントロールを取れ、の逆で、身についていない文体を普段は無理にやらないってとこに思い至りました。特に日記で。小説は逆に不格好でもトレーニングとしてやる意義があるんですけどね。

言葉も不思議な物で、服のように着慣れてなくて不格好に見えるパートが多々あり。特に無理して華美や優美をアピールしようとすると返って身について不自然で不格好な物に写ることがあります。
これはよりよく見せよう、という意識が強すぎるとなんか不自然で仰々しいかんじになり、まるで素人のコスプレみたいになってしまうアレです。

自然体の言い回しが整っていないのに、無理して仰々しい言い方をしたり胡乱な表現を使うのは良くない。それはいうなれば、自然な振る舞いがすでに洗練されているトップモデルが最先端のトンチキにも見える服を着こなして見せるようなハイレベルな技巧で、自然体の表現も覚束ない人間が深く考えずにやるべきではないんじゃないか、と思い至ったわけですよ。

後は個人的な美意識と好みで、インターネットとかSNSとかでとにかく自分を良く見せようと意識しすぎている文章を読み過ぎて少々辟易してるんですよね。良く見られることがお金になる時代なので致し方ないですが、サイバーパンクの毒々しい蛍光看板のようで正直毎日見たいものではない。

あるいはトップクラスの人は、良く見せようとしている姿勢を感じさせないほど研ぎ澄まされた表現をしているともいえ、もうただ漠然と書き散らしてきた過去を振り返ってもう少し自分の表現というものを真剣に研いでいいのではないかと。

これはね、本当に難しい。
ただ読みやすければいいというわけでもないし、何故同じ140字の差で同じ内容でも品が良い内容とダメな内容になるのか、ほんの1字のレベルで雰囲気に違いが出てしまう。

インターネットは公共の場なので、最低限お外で見せても恥ずかしくない程度の振る舞いはする必要があるんですが、これの度が過ぎるとイベントでもないのになんかずれた感じの服装している上に服に着られていて見ているこっちが恥ずかしくなる、とでもいう感じでしょうか。それの言語文章版。

アラがあっても情熱がカバーしてくれることもまあまああっても、今の自分にそんな情熱はちょっと足りないのでもう少し精緻さを考える方向でやりたいところです。

戦場へ

大なり小なり、インターネットに置かれている文章はちょっと余所行きの振る舞いなので良く見せようとするのはだれしもあるんですが、まあそれが行き過ぎると個人的に気になるってことですね。
経緯を払っている相手はそんなの感じさせたこともないのですごいなーと思うのでした。

今回はここまで、またな。

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