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人間付き合いが弾く、デカいウソ。

デカいウソほど人はあっさり飲み込むというが、どうもげんじつではそうではないらしい。少なくとも現代では質の悪すぎる雑なウソはマッハで論破されるし、だからこそ詐欺ウソでっち上げは巧妙になっている。それだけ雑なウソは看破されているってことでもある。

どうやらウソに限らず、じんるいには質の悪すぎる情報をフィルタリングして考慮外に落とす生理機能があるっぽいが、観察しているとそれはどうも必ずしも理知の働きによるものではなく、単に周囲の人が考慮外とか評価外に置いている場合は自分もそうするようだ。言うなれば、価値判断のアウトソーシングである。

周囲の人間の誰か、信頼がおけると思っている人が流した情報ならあっさり信じるし、よく知らない人が流した情報なら半信半疑になる。もちろん、感情的ストーリーテリングとか断言論法とかで説得力を増している場合は厄介だが、その情報をもってきた人への信頼度がそのまま情報の信頼になる。

また、周囲の人々がろくでもないと言っている事象については、特に論考もせずに自分もろくでもないと決めて、そういう捨てる箱にマッハで投げ捨てていることはないだろうか。俺もまあまあそういうアウトソーシング思考はしなくもない。1から10まで精査するのはこの忙しい現代では現実的ではないのもある。

ここに、昨今話題の陰謀論にはまり込むギミックの一つがあるのではなかろうか。例えば、標準値から外れて阻害された人生を送っている人は、常識や一般論に対して懐疑的になる。自分を迫害していると思っている連中の信仰だからだ。そうして常識の逆張りとか隠されたしんじつとかを信仰しはじめる。だが、冷静に鑑みるとそういう安易な逆張り思考は理知に基づいた論考とはいい難いし、事実に基づいた思考でもない。だが、人はなんか孤独になるとそういう方向になっていくので、周囲の人から得る情報と人間関係は健康に生きていくのにはだいじなのではないかと推測される。

まあ、まるごと検証するリソースはないのでいつもどおり推論止まりだ。
だが朱に交われば赤くなるというし、なんか偏った人付き合いではなくバランスの良い情報流入を心がけたいですね。じぶんと同じことを考えているヤツとの付き合いは心地よいが長期的にはあんまり心身にヘルシーではないっぽいので。

戦場へ

そう考えると、インターネット放流する文章も「まあ考慮に入れておこう」位の内容が一番誠実なのかもしれず、なんか信じ込ませようとしたり感情に押し流そうとしすぎるのはちょっとヘルシーではないかもしれない。ぜ。

今回はここまで、またな。

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