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異世界遭難ライフ #AKBDC

「腹……減ったな……」

 アクヅメは遭難していた。それも人生で通算四度か五度目の異世界遭難である。ちなみにたいていの場合、チートはもらっていない。次の異世界に持ち越してもいない。
今、彼の視界の届く限り存在するのは、幼児でも描けそうな赤茶けた荒地にバカバカしくなるほど青い青い空。緑は申し訳程度のサボテン擬きと朽ちかけている雑草程度で、とても食用には見えない。そもそも、植物にさほど関心がないアクヅメでもわかるほど地球上の植物とは異なっている印象だ。

 意味もなく振り返ると、自身が刻んできた無意味な足跡が点々と続いている。断っておくが、アクヅメは従軍経験者でありタフな成人男性ではある。が、決して普段着を着の身着のままで、異世界に放り込まれる前提の訓練を受けたわけではない。その上、あろうことかスマホは手放したままに遭難してしまった。今時スマホも使える異世界もあるというのに、酷い仕打ちである。

 辺りを見回すも、家も水場も人も見当たらない。目の前を横切るのは、分厚い鱗を鎧同然に張り付けた子牛ほどのトカゲが三匹といったところだ。
当然、アクヅメは目の前のトカゲを狩れるような道具も銃もない。そんなものを常日頃から肌身離さず持ち歩いているのは、筋金入りの偏執者だろう。アクヅメには一人心当たりがいたが。

「あのカラス野郎がいてくれたらな……」

 アクヅメが頭に思い浮かべた対象は年がら年中黒づくめで、一体その服装のどこにしまっているのかと疑問に思わずにはいられないほどいつでも武器とサバイバル道具と水食糧を備えている、そういう倉庫のような男だ。一緒に遭難していれば、少なくとも目の前のトカゲを解体してステーキにはしてくれたかもしれない。ないものねだりではある。

「あー……クソッ……故郷のフルーツが山ほど食いてぇ、たらふく水飲んで辛い麺もだぜ……」

 悪態をついても、一人である。目の前のトカゲの一匹は、いかにもなんだコイツ、という視線を最後に振り返らず尻を向けた。肉食でなくて良かったというべきだろうか。アクヅメも、諦めてトカゲらとは別の道を行く。

 日差しが、熱い。この夏に訪れた東京の、人を狂わせる熱波地獄ほどではないが、人を死に至らしめるには十分な熱量だ。空気は乾いていて、香ばしい砂の匂いが絶え間なくアクヅメの鼻腔を満たす。これも、汗が発散しない日本の高湿度な気候よりはマシだが、発汗が続けば遠からず脱水症状を起こす。タフな男だろうと脱水症状には勝てないのは北斗の拳ですら語られているのだ。サボテンの影でナイフを舐めるダニー・トレホであっても、水筒は手放すまい。

「水……フルーツ……麺……」

 いよいよ、アクヅメの視界がぼやけ、意識は朦朧としてきた。なんてさえない最後だ。選べるなら究極の辛い麺で発狂死したいと思いつつも果たせないままここまで来たが、呑まず食わずで行き倒れとは。食い倒れの方が100倍マシだろうに。破れかぶれでさっきのトカゲに殴りかかれば良かっただろうか。

 そこで、アクヅメは覚悟を決めた。次に何とか食えそうな生き物を見つけたなら、襲い掛かると。そして、それは来た。アクヅメのぼやける視界の、すぐ目の前に。

「モチ……?」

 それは白くて、ふわふわのもちもちした物体で、おおよそ大型の馬くらいはありそうな塊であった。よくある上等な大福といったところだ。アクヅメは、覚悟をひるがえさずに目の前の巨大福にとびかかり、食らいついた。

「はひっ……!あひゃっ、あはははははははは!」

 とたん、目の前のモチがぶるぶる震えて笑い?出した。さしものアクヅメも面食らったが、空腹には勝てない。とにかく遮二無二食らいつくが目の前のモチはびよーんと伸びこそすれ一向に嚙み切れない。恐るべき柔軟性だ。

「うひひひひ、はひっはひっ、くすぐったいからやめてよう~」

 そこまで言われて、ようやくアクヅメは目の前のモチが、人語を話せる知的生命体だと理解し、ぽろりと剥がれ落ちた。辺りに舞い上がった土埃が舞う。卒倒したアクヅメを、モチ?が不思議そうにのぞき込んできた。

ーーーーー

「ぼくは、粘竜のキュー・T・ラカイネ。長いから呼んでくれる人はキューちゃんって呼ぶんだ」
「アクヅメ」
「アクヅメさん?漂流者だけあって変な名前だねー」
「うるへー」

 なんと、モチはドラゴンであるということらしい。今、アクヅメは一歩も歩けなくなり、この親切なモチドラゴンにゆさゆさ揺さぶられながら持ち運ばれているところだ。少なくともその場で捕食するタイプではないらしい。

「異世界からの漂流者が出ると、ぼくの肌とか、ピリピリーって痺れが出るんだよね。世界線が歪むから。いやー、早めに見つけられて良かった良かった」
「おれはなんも良くねぇ……」

 なんと、アクヅメのデッドエンドは行き倒れからこのドラゴンを自称するモチ相手のスライムプレイ死に昇格した。果たして屈強な成人男性のスライムねとねと死に需要があるかは定かではないが、世界は広いのできっとあることだろう、多様性だ。

「世界間漂流をした人が異世界の方で死んじゃうと、世界を隔てる境界線が歪みを残しちゃうんだってー。具体的に何がどう悪いかまでは勉強中だけど、余り良くはないんだよね」
「つまり、なんだ、助けてくれるってのか?」
「そうだよ?」
「なんだ、おれはてっきり」
「あはは、その気ならお兄さんとっくに骨になってない?」
「巣に持ち帰る派もいるだろ?」
「それもそっか、ぼくは栄養保持効率がいいから、大した違いはないけれど。着いたよー」
「着いたってどこに……なんだこりゃ」

 意識が朦朧としていたアクヅメは気づかなかったが、二人はいつの間にやら荒野から洞窟を通ってモチドラゴン氏の巣穴にたどり着いていた。
しかし、そこは巣穴、という表現からは程遠い、衛生的なキッチンである。基礎はレンガ造りではあるが、不衛生な様子はなく地球での飲食店にも劣らない。

「……って厨房じゃねえか!やっぱりお前おれを喰う気だろ!」
「ちがう、ちがうって。お兄さんも生のお肉とか食べられないでしょ?漂流者はおなか減ってることが多いから、ここでこうして料理を作ってるんだ」
「……マジで?」
「そうだよ~」

 モチは極めて丁寧な動作でアクヅメを下ろすと、モチボディから指?を伸ばして一振り。それだけでアクヅメの目の前にパッとキンキンに冷えたお冷が提供される。アクヅメは手のグラスと、目の前のモチの間を二三度視線を往復させたのちに思い切って水をあおった。心地よい冷水の感覚が喉を通り過ぎていく。人生で一番美味い水かもしれない。

「……うめぇ……」
「ふふ、よかった。何かリクエストある~?」
「リクエストって、なんのだよ」
「もちろん、料理の、だよ~」

 料理、どうやら目の前のモチは料理も作れるらしい。アクヅメは水分を取って少し冷静さは取り戻したが、それでも空腹には勝てる気がしなかったし、何よりドラゴンが作る料理とやらに興味はあった。最悪、飢え死にと猛毒料理で満腹死なら後者の方がマシ、とさえ思う。

「……じゃあ辛い味付けの麺料理で」
「は~い、うけたまわり~」

 言うが早いか、キューはまるで万能工作機械めいて、むにむに伸び縮みしては厨房の方々から食材を引っ張り込んで調理台の上に並べる。明々と光るキノコに、地球でいう赤いダイオウグソクムシみたいなエビ、サクランボのようでサイズは桃並みの果実に、トウモロコシめいた葉に包まれた実、さらにはとても見慣れない、分厚く丸い輪切りの骨付き肉にマキビシのような攻撃的な貝など、まったく見たこともない食材がずらずらと並んでいった。

「このランプルームは、光る成分が人間の人には辛味成分になるんだ。生で食べるとおなかを壊すから、削って炒めて毒性を飛ばすと安全になるよ」
「それ、大丈夫なのかよ」

 実のところ、生でかじれるキノコは養殖されたマッシュルームくらいなもので、地球上のキノコでも生食は基本できないのである。キューは一瞬でランプルームと呼ばれた光るキノコをみじん切りにしてフライパンで炒め始めた。その間も他の触腕が作業を平行する。

「アームシュリンプは丘で生活するエビの仲間で、こう見えて肉厚で旨味たっぷり。今回は殻を出汁取りにつかって、身は焼きエビにするよ」

 説明と同時に、盛大なクラック音と共にエビ……らしき甲殻類がバキバキと手際よく解体され、殻は寸胴鍋に、身は七輪に並べられていく。アクヅメは一瞬、この怪力でサバオリされたらひとたまりもない、と身を震わせたが、ダイオウグソクムシモドキの身が漂わせる実に香ばしい香りに思考がかき消された。

「ランプルームだけだと辛さにとげがあるから、ムンカの果実をスライスしてスープに加える。複数の辛味をバランス良く配合することで、辛味のとげとげしさが消えて旨辛に仕上がるんだね」

 三倍、いや、四倍どころではない速度で、調理が進んでいく。不定形の格闘家がいれば、人体の可動限界を超えた武道に到達しうるであろうが、今目の前のモチモチドラゴンはそのポテンシャルをすべて料理に費やしているのがアクヅメにも分かった。だが、その上で料理には圧縮できない工程もある。時間だ。

「なあ、作ってくれるのはうれしいんだけどおれ、出来上がる前に飢え死にすっかも」
「おっと、心配しないで、すぐできるから。すぐっていうのは、人間さんの感覚でね?」
「お、おう」

 エルフ感覚やドラゴン感覚であれば、飢え死に待ったなしであったがその辺も気をきかせてくれるらしい。会話の合間に、葉に包まれていた実が剝かれると、まるでゆで上げる前の麺そっくりの塊が露出する。キューはさも当然、と言わんばかりに、麺そっくりの身をほぐして別の鍋に放り込んだ。

「で、スープの方は、煮出しに6~7時間かかるんだけど……」
「やっぱダメじゃねーか!」
「えいっやーっとーっ!」

 なんと、キューが掛け声をかけた途端、動画の高速再生を思わせる事象と共に数瞬で寸胴鍋の中身がぐずぐずにほぐれていった。そのまま、自動麺料理調理マシンもかくやの速度でドンブリにスープが、麺が、具材が投入され、食卓で待機していたアクヅメの前に差し出された。

「はい完成!キュー式旨辛ドラゴン麺だよ!熱いうちに食べちゃって!」

 知らず、アクヅメは唾を飲む。見た目だけなら、立派な辛味系ラーメンである。表面に浮く油といい、紅蓮地獄めいた真っ赤なスープに、その色に染まる純白の中太麵に至るまで、異世界でだされた麺料理とは思えない。
もっとも、その赤さはキノコと果実由来で、麺らしきものは謎の実からできたものなのだが。

 だがしかし、しかしである。飢えに飢えて苦しんで死ぬのと、得体の知れない料理で満腹で死ぬのなら、アクヅメは後者を取ってしまう方の人間であった。恐る恐る箸を手に取り、震える手で麺をたぐり、すすった。

 次の瞬間、アクヅメは宇宙を観た。

 地球上の物質では体験しようもない、複雑怪奇かつ多種多様な辛味が一瞬でアクヅメのニューロンを焼き尽くして魂を因果地平の彼方まで弾き飛ばしたのだ。その間、彼は多くの故人と再会し、また別れた。肉体に魂が戻ってきたのだ。

「どう、かな?」

 アクヅメは答えなかった。それどころではなかったからだ。麺をひとすすりするたびに人知を超えた体験が波濤のようにアクヅメの全身を焼いては不死鳥めいてよみがえらせた。スープを味わい、具材をかみしめればそのたびに全く違う世界がその片鱗を見せ、至高の体験とはこういうものか、とアクヅメを完膚なきまでに叩きのめしたのだ。

「……なんか、もう、わけわかんねぇ……」

 とうとう、美味いの一言すら吐き出すことなくアクヅメはひっくり返って昏倒した。それほどまでに美味だったのである。

ーーーーー

「おい、アクヅメ!しっかりしろ!」
「……んがっ」

 ふと目を覚ますと、辺りは見慣れたいつものバー。そしてアクヅメを揺さぶる目の前の男は、いつもの腐れ縁の黒づくめのアイツだ。

「意識はあるか、正気は保っているか?」
「あれ、おれ一体どうして」
「俺が目を離した一瞬で、神隠しにあってたぞ」
「マジ?」
「ユーモアならもう少し無害なのか、気の利いたのにするが」
「マジ、かぁ……」
「今日たまたま来ていたMKが向こうから引っ張り戻してくれたから、運が良かったな」

 黒づくめの言葉に、身震いするアクヅメ。それにしてもバーで呑んでいる一瞬で異世界にさらわれて帰ってくるとは、胡蝶の夢と呼ぶにしてもせわしすぎるにもほどがある。そう、アクヅメは思ったのだった。

<終わり>

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