イノーガニック・パッション【短編小説/BL/#うたスト参加作品】
夢だな、と分かった。
俺は二十歳の男だけど、そこでは幼い女の子だったから。
彼女は自分の家から出られないようだった。彼女が日々を過ごすお屋敷は、いま俺が泊まっている曽祖父の屋敷と、同じ場所のようだ。
俺は大学の冬休みに友人のA彦を誘って、スキー場に近いここに、泊まりがけの旅行に来ている。長らく閉ざされていたこの屋敷を業者が買ってホテルにするらしく、改築される前に一度、タダで利用しておこうと思ったことが、全ての始まりだったかもしれない。
ここが現役だった頃の風景だろうか。彼女は病気らしく、一日の大半を二階の自室で過ごし、ベッドの上で本を読んだり刺繍をしたり、古めかしい人形で遊んだり、窓から外を眺めたりして過ごしていた。
高台にあるこの場所は、二階の窓から下の街を一望できる。窓の下は庭園になっていて、父親らしき壮年の男性や、彼女の兄らしき男の子が、そこから彼女に手を振ったり、出かけて行くのが見えた。
夢の中では猛スピードで時間が経過しているのか、小さかった男の子はどんどん大きくなり、中学生くらいになった。夢の中で覗き込む鏡の中の彼女(=俺)の姿は、兄貴より二つか三つ下、という感じ。
やがて彼女は、兄貴の友達を熱い眼差しで見つめるようになる。彼は明らかに、今で言うイケメンで、時々この部屋まで兄貴と一緒に来ては、お菓子や千代紙を俺(=妹)にくれた。彼女はそれを大切に仕舞って、時々取り出して眺めた。そして、紫色の和服を身につけた市松人形の瞳を覗き込み、話しかけた。
『今は無理でも、来世があるなら、私はいつか、あの方の恋人になれるかな? ねえ、すみれ。あなたはどう思う?』
すみれ……
人形の名前はすみれか……
そして今。
夢からさめて最初に見たのは、暗闇に浮かぶ古い市松人形だった。その姿はこの上なく恐ろしく、俺はベッドの上で悲鳴を上げ、隣の床に布団を敷いて寝ていたA彦が飛び起きた。
「どした、B斗」
そして、俺たちのちょうど真ん中、俺の頭上1メートルの空間に浮かぶ人形を見て驚く。
「え。寝る前に、こんなんあったっけ? 浮いてるじゃん、どういう仕掛け?」
俺は泣きそうになりながら
「違っ、お、お化けだよお化けっ、呪いの人形! やば、ヤバいっ」
「ええ?」
A彦は立ち上がり、人形を間近で観察し始めた。そして人形を指先でつついた。
『やめて下さい』
女の子の声がして、A彦と俺は周りを見回した。
『お話しているのは私です。すみれです』
「すみれ?」
俺は人形を指さした。「この人形の名前、てゆーか、喋った! 人形が!」
A彦は特に表情も変えずに、俺と人形を見比べた。「なんで名前知ってんの?」
『B斗さんは、私の主人の家系なのです。主人の兄上様の曾孫です』
「ええと……」
A彦は突然の情報に混乱している。俺は驚き過ぎてなんだか麻痺してきた。そして、どこかで納得もしていた。夢の女の子。やっぱりうちの先祖だったんだ。曽祖父に妹が居たと、そういえば聞いた気がする。病気で亡くなったとか何とか。
俺は夢の女の子のことを、つっかえながらもA彦に話した。その間も人形は宙に浮いたままで、俺たちはこの異様な状況に少しづつ慣れてきた。A彦は事情を飲み込むと、普通に人形に話しかけた。
「じゃあ、すみれちゃん……何か俺らに言いたいことがあるわけ?」
『A彦さんは、主人の想い人の家系です』
「えっ!」
俺はA彦の顔をまじまじ観察した。言われてみれば、あのイケメンの面影がある気もする。悔しいが、A彦は俺より頭も顔も良い。陰ではかなりモテているらしく、色々噂も聞くけれど、何故かまだフリーだ。
『お二人が一緒に、この家に入ったので、その波動で私は目覚めました。私は、主人の想いを叶えて差し上げたい。あなた方がここに来たのは、きっと運命です』
「想いを叶える……」
俺は呟いた。女の子はなんて言ってたっけ?恋人になりたいとか何とか。
『主人の家系のB斗さんと、想い人の家系のA彦さんが、今生で結ばれて恋人になれば、主人の願いは時を越えて果たされます』
「…………え」
俺たちは顔を見合わせた。A彦は俺を指さして「おれがこいつと結ばれればいいの?」と言い、俺は慌てた。
「いやいやいや男同士なんだけど!」
『嫌ですか?』
「嫌ですっ」「別にいいけど」
俺はギョッとした。「しれっとなに言ってんだお前は」
A彦はキョトンとした顔で
「俺、バイだから。どっちも経験あるし」
「はあっ!? キモいこと言うなや」
「俺は性的指向が既存の枠に囚われないだけ。お前こそ今時、バイをキモいとか。それ差別だから」
「うぅ」
俺がやり込められて口籠もると、すみれちゃんはがっかりした口調で
『そうですか……』と言った。俺たちは人形を見つめたが、人形は相変わらず、暗闇に浮かんだままで、消えも移動もしなかった。寒くなってきたので、俺たちはスウェットの上に上着を着込んだ。
「眠い。寝ていい?」
A彦は布団の上に座ると、欠伸をしながら俺に訊いてきた。
「眠れる? この状況で」
「だって、明日は朝からスキー場だし、寝ておいた方がいいし」
「……」
俺はベッドに座って、空中に静止している人形を眺めた。朝になったら、人形は消えてくれるだろうか。俺の曽祖父の妹らしい、夢の女の子を思い出す。夢の中で人形に話しかけていたっけ。
「……あの子にとっては、この人形が唯一の友達だったんだ。あの子さ、すみれちゃんに言ってた。私も人形になりたいって。そうしたら、病気の辛さも感じないし、部屋を出れない自分の身体が苦しい気持ちもなくなるのにって」
「ずっとここから出られなかったの?」
「たぶん……よくは知らない」
「可哀想だな」
「うん……」
『妥協することにします』
唐突にすみれちゃんの声がして、布団の上に座ったままウトウトしかけた俺たちはハッとした。
『接吻だけでいいです』
すみれちゃんの爆弾発言に俺は絶句したが、A彦は人形に尋ねた。
「舌有り? 無し?」
『舌?』
「わかんないか。えーと、大人用キスにする? それとも子供用?』
『お、大人の方で、お願いします』
「いっ!?」
A彦はのそりとベッドに上がって来て、俺を押し倒した。俺は慌てふためき暴れようとするが、A彦にマウントを取られ、両手首を掴まれてベッドに押しつけられた。
「やっやめっ、寝ぼけんなっテメエ」
「眠いんだよ。せっかく妥協してくれたんだから、さっさと済まそーぜ」
「いやだああああ」
俺はぎゅっと目を瞑った。こんな形でファーストキスを失うことになるなら、のんびりしてないで、もっと真剣に彼女探しておけばよかった。あああー俺のバカ!!じわりと涙が込み上げてくる。
……十秒たっても何も起こらず、俺は薄目を開けてみた。至近距離にA彦の真面目な顔が見える。吐息がかかるのを感じる。
「そんなに嫌? ……傷つくな、んな顔されっと」
そして体勢を変えずに、人形の方を見た。
「ねえ、すみれちゃん。やっぱさ形だけキスしても、無理矢理ってのはさ……ご主人様も嫌なんじゃないかなあ。身体だけ接触しても、お互い想い合わないと、結ばれた事にはならないでしょ……で、提案なんだけど。あのさあ、時間欲しいんだわ。しばらく時間あればさ、俺とこいつ、ガチで恋人同士になれっから。俺に任せてくれない?」
『……それは本当ですか?』
「うん。約束する」
俺は反論しようとしたが、A彦に片手で口を塞がれた。
すみれちゃんは小さい声で『約束しました』と言い、布団とベッドの間の床に、ぽとりと落ちた。
A彦は俺から手を離して、上体を起こした。俺はすかさず、奴の腹にパンチを見舞った。「いてっ」A彦は腹を押さえたが、顔は笑っている。たぶん、俺の顔は真っ赤になってるだろう。周囲の暗さに、心密かに感謝した。
「降りろっ!」
「暴れんな、降りるから」
A彦は足を動かした。と思いきや、不意に俺の顔を両手で挟むと強引にキスをしてきた。
「!!!!」
そして素早くベッドから飛び降りて「ファーストキス、もーらいっ」と笑った。俺はA彦に枕を投げつけ、何か喚き散らしたと思うけど、よく覚えていない。
一年後。
俺とA彦は、二人で墓の前の立っていた。親戚に場所を尋ね、曽祖父の妹のお墓に墓参りに来たのだ。所用を済ませてから来たので、既に夜になっている。俺たちは墓を綺麗にして、花を備えた。彼女が好きだったという白い薔薇。花は月光を跳ね返し、闇夜にほの白く浮かんでいる。
A彦はしゃがんで、すみれちゃんを墓の前に掲げた。
「寿美さん。すみれちゃんと俺、頑張ったよ。ちょっと手こずったけど、めでたく俺たち付き合うことになったんで、ご報告」
そして立ち上がり、人形を俺に渡した。俺は手元の人形に話しかけた。
「何でこういう事になったのか、正直、自分でもよくわかんないけど。まあ今は、そんな感じなんで。すみれちゃん、寿美さんに言っといてくれない?」
「なに照れてんの」
A彦に小突かれて、俺は顔をしかめた。
「うるせえ」
「結ばれるってのはさ、身体じゃなくて、気持ちのことだから。ちゃんと、いま幸せですってお前から寿美さんに宣言して貰わないと報告になんねーじゃん」
A彦はニヤニヤ笑い、俺は向こうを指さした。
「お前、ちょっとアッチ行ってろ」
「へえへえ」
A彦はゆっくりと、墓地の入り口に向かって歩いて行った。俺はすみれちゃんを抱えて、墓の前にしゃがみ、ため息をついた。
「寿美さん、約束守ったから、あいつ……だからその、ちゃんと恋人になって、ちゃんと幸せなんで。これで寿美さんの想いは叶った、ことになんのかな?」
そして立ち上がると、すみれちゃんに呟いた。
「あの時、すみれちゃんと話さなければ、こういう事態にはならなかったのかな。それとも、どの道こうなったのか……どっちでもいいけどさ、もう」
俺は人形を抱えて、墓地の入り口に向かった。
空が暗さを深めて行くにつれて、星は輝きを増してゆく。いつの間にか、頭上には満天の星空が広がっていた。
俺は空を見上げた。白い息は一瞬で空気に溶けてゆく。ぼんやり光る天の川の拡がり。そこを抜けて、手を繋いだ女の子が二人、宇宙の彼方へと走ってゆく後ろ姿を想像してみる。
すみれちゃんが話すことは、二度と、なかった。
♬Ending music イノーガニック・パッション♬
※こちらはpjさんのプロジェクト『#うたスト』企画に参加しています!
<課題曲B>