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世界が終わるとき【#あざとごはん】

 暮れなずむ街の一角で、お葬式を見かけた。

 白いマスクをつけ喪服を着た人たちが、大きな提灯の間を出入りしていた。室内に黒と白の縞模様がちらりと見えた。
 旅先で通りすがりの私は、提灯が灯る入口側の歩道から、車道を挟んだ向かいの歩道へ足早に渡ると、そこでしばらくの間、式場を行き交う人々を眺めた。写真を撮ろうか、と思ったけど、不謹慎な気がしてやめた。

 故人はお年寄りらしく、お客は年配の人が多い。泣いている人の姿はみられない。人々は淡々としていて静かな表情で、入口付近で談笑している三人のおじさんたちは楽しそうですらある。冠婚葬祭は、離れて暮らす親戚や友人達が久しぶりに顔を合わせる貴重な機会でもある。

 そこが一番違うな、と思った。 絢香あやかの葬儀とは。


 聞き慣れない鳥の声で目覚めた。窓から弱い光が差しこんでいるものの、まだ薄暗い。私はゲストハウスのベッドに腰かけたまま軽く髪を整え、スマホと財布、出先で買っておいた食材を小さなバッグに放り込み、周りに何人かまだ寝ている人がいる中を、そうっと通り抜けた。

 早朝の食堂には、人が居た気配があった。きっと宿の人だろう。流しの横にはガラス製の大きなウォーターサーバーがあって、水の中に緑色の水草のようなものが見える。その下の、クリップに挟まったメモにはこうあった。

“ローズマリーウォーター 無料”

 へえ、なんかオシャレ。
 私はスマホで、うっすら汗をかいた瓶を撮影した。食器棚から透明なグラスを取り出して、サーバーの蛇口をひねった。鼻を近づけて水の匂いを嗅いでみても、よく分からない。グラスに口をつける。冷たい喉越しと、心なしかほんのり爽やかな香り。ひと息に飲み干して、ホッと息をついた。
 もう一杯、グラスに注ぐと、窓際の席まで移動した。優しい風がカーテンを揺らす。グラスを通った柔らかな光が、繊細なレース模様をテーブルの表面に描きだした。

 私は椅子に腰かけて、バッグから食材を取り出した。ビニールで包装された食パンと、携帯チューブの蜂蜜、フレーク状のカッテージチーズ。食器棚からスプーンと青いお皿を選んで取ってくると、パンを包装から取り出して皿に載せた。次にチーズの容器を開けて、スプーンで中身を掬い上げ、パンの表面に塗りひろげる。蜂蜜のチューブの先っぽを千切ると、白いチーズの上に金色のハートを描いた。

『ハートは二重にしよう』

 笑う絢香の顔が頭をよぎる。
 容器を脇に退け、光の具合を見ながら皿とグラスを撮影した。LINEに写真をアップして、文字を打ち込む。

「ゲストハウスの食堂。グラスはローズマリーウォーターだよ。味はしないけどいい香り。ハニーチーズオープンサンド。絢香に教わったやつ」

 既読はつかない。

 画面には、私がこれまで撮影した画像と、入力した文字がずっと並んでいて、どれも既読がついていない。送信先は「ayaka」。




 絢香は先月、新型コロナに罹患した。入院した途端に重篤になって、あっという間に亡くなった。

「コロナめちゃキツイこれから病院」

 というLINEが最後になった。

 若い人でも重篤になることがある、と聞いてはいたけど、それが身近な人に起こるとは思わず、ただ信じられなかった。でも透明アクリル板越しの、棺の中に横たわっているのは確かに、いつもより白い彼女の顔だ。
 葬儀でわたしたちは、訳がわからないという顔を互いに見合わせて涙を流した。彼女の身体はここにあるのに、魂はもう、どこか遠くにいるのだ……たぶん。

 旅行は、絢香と女二人旅の予定だった。

 キャンセルはせず、予約を二人から一人に変更した。そして旅行先を巡り、行く先々で撮った写真をLINEにアップし、書き込み続けた。既読がつかない書き込みはかなりの量になった。

 これは絢香を悼むための儀式だ。

 柔らかいオープンサンドを慎重に持ち上げる。白い粒が、青い皿に少しこぼれる。パンの柔らかな食感と、チーズの香りと、蜂蜜の甘さ。咀嚼すると色んな食感が混じり合って唾液に溶ける。これが飲み込まれて、消化されて、体に吸収される過程を想像してみる。

 私の体を作る何十兆という細胞が吸収した成分をそれぞれ取り込んでゆく。今こうしている間にも、ひとつひとつの細胞がやるべき仕事をして、私という「世界」を維持する。細胞レベルでは「世界」は活気があって賑やかなのかもしれない。そして寿命を迎えて死んでゆく。
 絢香の細胞は「世界」が終わったことが分かったかな。慌てているうちに辺りが暗くなって静かになって……全部が止まる。みたいな感じかもしれない。

 ふと思い立ち、ローズマリーの花言葉を調べてみた。

“私を想って”

「うん、想ってるよ、これからもずっと。ねえ絢香、寂しい」

 ……寂しい……寂しいよ……

 ため息で水面が揺れて、とうめいな世界を漂う、小さな緑色のかけらがふわりと舞った。

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