フツーの幸せ【#BL短編小説】
トーストの上にスクランブルエッグ、そしてベーコンとスライストマトをソテーしたものを載せ、胡椒をふる。加えて濃いブラックコーヒーがたっぷり入ったマグカップ。大地(だいち)の作る朝飯は美味い。
「もっと味わって食え。早食いはデブのもと」
大地はいつものように、俺に小言を言いながらゆっくりと朝食を摂る。その澄ました顔からは、昨夜のベッドでの痴態は微塵も感じられない。毎度のことながら、俺はそのギャップに内心、少しおかしくなる。
「別に太ってねえし。こう見えて脱いだら細マッチョだって、よおーく知ってるくせに」
俺はにやりと笑って見せ、下ネタが苦手な大地は顔をしかめた。耳たぶが赤くなっている。あそこは大地の“弱いとこ”だ。つまんで引っぱってみたくなるけど、時間がない事を思い出して朝飯に取りかかった。数十秒で平らげるとコーヒーで流し込む。食器をシンクに置いてせまい洗面所に入り、歯磨き、洗顔、髭剃りをすます。ちゃちゃっと髪を撫でつけ、ふとスケジュールを思い出して大地に呼びかけた。
「今日は奈美(なみ)が来る予定になってるから」
大地は無表情になり「了解」と返事をした。空気から昨夜の名残は完全に消え、ひやりとした風が吹き込んできたような沈黙がわだかまる。大地は俺と入れ替りで洗面所に入り、俺はシンクのフライパンと食器を手早く洗った。
大地の運転するバイクのケツに乗り、駅前で俺だけ降りると、駅の出入り口に赤いコートを着た奈美の姿が見えた。思わず大地の顔をうかがう。ヘルメットで表情は分からないけど、大地の目にも入っているのは明白だった。奈美はこちらに気づくと笑って手を振る。俺はいくらか気まずさを感じつつも何気ない風を装い、軽く手を振りかえした。バイクにまたがったままの大地はヘルメットを脱いだ。
「良太(りょうた)」
「ん?」
彼はいきなり俺の襟首をひっつかんで荒っぽく引き寄せ、強引にキスをしてきた。俺は驚き、大地を押しのけて数歩離れた。大地は唇を歪め、再びヘルメットをかぶると中指を突き出して
「チ○コもげろっ」
と大声で言い捨てた。そしてバイクをスタートさせ、その場を走り去る。
あとにはバカみたいにつったってる俺と、チラチラこちらを見ながら駅に向かうサラリーマンと、蒼白になって立ちすくむ奈美。
うっわ、こう来たか……いずれ来るとは思ってたけど、そうか、今日がその日か。
俺はため息をつき、奈美に向かって歩き出しながら修羅場を予期して腹に力を入れる。さあ優柔不断な二股男よ、いま選べ。奈美の花が咲いたような笑顔、甘い香り、暖かくて柔らかい身体。大地の辛そうに伏せられた目、キスの味わい、声を抑えてしがみついてくる腕の力が頭をよぎる。あと3m……2m……1m。
「さっきの何。どういうこと。良太、ホモだったの?」
奈美の硬い声を聞きながら、彼女のきつく握られた拳を見つめた。心が揺れそうになるが、しっかりしろ、と自分を叱咤する。
「俺はどっちも抱けるよ」
顔を上げると奈美の目をまっすぐに見て、笑みを浮かべ、言い放った。
「たっかが穴じゃん。たいして変わんねって」
奈美は俺の左頬を勢いよく平手で張り飛ばし、赤く彩られた爪が頬をかすめた。痛みと同時にチリチリと焦げる熱を感じて手を頬に当てると、わずかに血が付く。彼女は氷の目つきで俺を睨むと、改札を走り抜けていった。俺はしばらく立ち尽くしたあと、のろのろと改札に向かった。
奈美と俺は同じ会社で働いている。彼女はCG制作部、俺はプログラマー。俺の赤く腫れた頬と彼女にした仕打ちはセットになって、狭い社内をあっという間に伝播していった。女性社員は俺に冷たい視線を浴びせ、男性社員からは面白がられる。喫煙所での楽しい話題を提供したわけだ。
ひと仕事終わらせてディレクターの確認待ちをする間、休憩室の自販機でコーヒーを買うと、それを手に持ったまま、中庭が見渡せる大きなガラス窓から外を眺めた。どんより曇っていて雪が降りそうだ。中庭に置かれた灰皿のまわりで談笑する数人の男女のなかに奈美はいない。彼女はタバコを吸わないので当然といえば当然だった。奈美はいまどんな気持ちだろうと思うと胸が傷んだ。でも俺にはもう、彼女を心配することは許されていない。きっと当分の間は俺の顔を見たくないだろうな。ごめん、こんな形で伝えることになってごめん、と何度も心のなかで謝った。
奈美以外の他人からどう思われようと関係ない、そう自分に言い聞かせ、俺は揶揄まじりの言葉を適当にいなす。仕事に集中しようとするが、脳内に何度も、大地の中指と奈美の拳が再生される。
長かった一日もようやく終わりに近づいた。俺は大地にLINEを送った。
『今晩の予定がなくなった。これからも奈美とは会わない。話したい。コーヒーがもうすぐ切れるんで宜しく』
既読無視。……俺は帰り支度をする。
電車の窓の向こうは真っ暗で、ガラスの表面には流れる景色に車内の灯りが明るく重なって見える。俺は外と中が半透明に重なり合う様子を眺めながら、奈美の事を頭から追い出そうと務めた。大地に意識を向ける。彼は俺の選択をどう捉えるだろうか。手放しで喜ぶとは思えない。『俺のことなんか気にするな』があいつの口癖だ。
高校の時のクラスメイトに大人になってから再会し、偶然にも家が近い事が分かってから時々遊ぶようになり、互いのアパートに泊まり合うようになった。他人と話をしている時の彼は穏やかで明るく、そつがない。大地は薬剤師で料理が趣味だ。もし女に生まれていたら、妻に望む男はさぞかし多かっただろう。
大地と初めて寝た時、俺は奈美と交際2年目だった。倦怠期でも何でもない。彼女に不満はなかった。強いて言えば料理が苦手で、いちど大地に、奈美に料理を教えてくれない?と気楽に頼んでみたら、珍しく強い調子で断られた。
そういう違和感が積もっていって、彼が俺を友達とは見ていないことに気がついた。それからだ。あいつの『俺のことなんか』が妙に勘に触るようになったのは。事あるごとに大地はそうやって、自分より俺を、奈美を、他の人間を、優先しようとする。友達だった頃は、コイツいい奴だな、位にしか感じていなかった部分。
────そうやって、俺に外向きの澄ました顔を向けるな。もっとお前のナカを見せろ。
(お前のそういうとこマジで苛つくわ。“なんか”って何だ。エンリョすんな自分の欲しいものを正直に欲しがれ。俺とヤりたいの?ヤりたくないの?)
(……やりたい)
アパートに着くと、ドア前の暗がりから大地が立ち上がった。白い息が蛍光灯の光に浮かぶ。俺は彼の目の前で立ち止まる。沈黙の後、大地が口を開いた。声が震えている。
「今ならまだ間に合う。彼女に謝れ」
「無理……俺が彼女に出来ることは、もう恨まれることだけだよ」
「ごめん、今朝はどうかしてた。俺が悪かった。だから……」
「お前はさ。お前があんな風に言ったのはもうさ、限界だったんだろ。俺と奈美に挟まれて苦しかったよな。悪かった。俺がお前と始まった時に彼女を切れなかったから」
大地の顔が辛そうに歪む。
「違う、そうじゃない。お前は分かってない。俺を、男を選ぶってことは……嫁と子供とか、親の祝福とか、フツーの幸せな未来が無くなるってことなんだよ。お前はストレートなんだ。一時の気の迷いで、将来を棒に振る必要ないんだ」
「俺のフツーの幸せは、俺が決める」
俺は手を伸ばして、大地の冷えきって震える手を握りしめた。
「それはさ、美味い朝メシとか、お前の淹れるコーヒーなんだわ」
「バカっ!」
大地は俺の手を振り払った。
「そんなつもりないから俺は!嫌だよ、いつ女に戻るかもしれない奴なんて。……てゆーか本気の訳ないじゃん。お遊びだから。ゲイじゃない奴とやってみたいなって、それだけ……」
俺は大地の話を遮った。「お前がどう思うかは関係ない」そして言葉を続ける。
「俺がこの後、不幸になっても、彼女に刺されても、俺の選択の結果であって、お前のせいじゃないんだよ。だからさ、いいんだお前は。ここで俺を選ばなくても」
そして笑ってみせる。
「コーヒー買ってきてくれたなら、いま、金は払うからさ」
大地は俺を見つめ、俯く。目に溜まった涙が溢れて地面に落ちる。
「……ズリーよなぁ……無理に決まってんだ俺には。別れるとか……お前、絶対、後悔する……そんなん俺も辛いのに」
俺は立て続けに二回、くしゃみした。
「寒いんだけど。早く決めてくんね」
大地はゆっくり俺に歩み寄り、ギュッと抱きしめた。そして小さな声で言った。
「クリスマスブレンド。……あと、メープルシロップも買ってきた」
「え?」
「フレンチトースト作る。好きじゃん、お前」
「うわー腹減ってきた。いま食いてえ」
「いいけど、本当は一晩、ミルクに漬け込んでからの方が美味いよ」
大地は俺の左頬の傷にそっと手を触れ、俺はその掌にキスをした。
(完)
こちらの作品は#2000字ドラマ「コーヒーの湯気の向こう」の加筆修正版です。
【#才の祭】に参加しています。
続々と作品が集まって、かなり盛り上がってますよ〜!選ばれた方の作品は歌詞になるそうです!クリスマスラブな素敵感が満載です💖
才の祭 歌詞作成に触発されて、「フツーの幸せ」歌詞にチャレンジしてみましたw
初挑戦。おそらく歌詞として成り立ってません。
ついでに見てやろうかという優しい方お願いします😊↓