おばさんと電車と死体【リレー小説/①】
大昔の殺人事件の物語みたいだ。
一両編成の電車の車内に横たわる男の死体。窓の外の景色は抜けるような青空とどこまでも続く青い海で、さわやかな景色と死体の組み合わせはシュールなながめだった。
ぼくとおばさんはしばらく無言のまま、ぼくらのちょうど中間地点の床の上に横たわる死体を見下ろした。おばさんは思案顔で指をあごに当てた。
「推理小説みたいだよね」
ぼくは答えた。
「ぼくは頼んでない」
「私もそう」
「じゃあどうして……いや待って、私もって言った?」
「言ったけど」
「あなたはぼくの夢のひと、だよね?」
おばさんは、目をパチパチさせた。
「それ、私の台詞だよ」
──時間を10分前に戻そう。
ぼくは靴下の足の裏の、ふかふかした感触を楽しみながら歩いていた。
広々としたAIドリームダイブの睡眠導入室は、フロア全体が柔らかなベージュの色合いで統一されている。床はもちろん、壁から天井まで柔らかい布のような素材で覆われていて、かかとまで埋まるカーペットは歩いても全く音がしない。控えめな照明。さわやかな森の香り。隅から隅まで計算され演出されている、くつろいだ雰囲気。
ずらりと並んだ個室スペースの横に伸びる、まっすぐな通路を歩きながら、受付で割り当てられた番号を探した。ひとつのスペースのなかにひとつリクライニングチェアがしつらえてあって、その上に人が横たわっているのが見えた。首から上は黒いヘルメットに覆われていて見えない。そこらじゅうから寝息や小さないびきが聞こえてくる。
ざっと見たところ、平日の昼間だというのに八割は埋まっている。そこそこ高い値段にも関わらず予約困難な施設だけはあるなと思った。服装や体型から察するに、年齢も性別もバラバラのようだ。
パーテーションで隣と仕切られているスペースは、寝心地の良さそうな焦茶色のリクライニングチェアがギリギリ入るくらいの広さしかない。番号をたどって自分のスペースにたどり着いたぼくは中に踏み込んだ。上着を脱いでハンガーにかけ、その下の小さなテーブルに鞄を置いた。そばの壁には貴重品を入れる鍵付きのロッカーがあり、受付で教えられた通り、電源を切ったスマホと財布を小さなロッカーに入れた。ロッカーは自動的に施錠される。
各スペースの入り口にドアはなく、パーテーションは高さが大人の肘くらいなので、立ち上がって周囲を見回すと、両隣と通路を挟んだ向かいのスペースが見える。向かいは空いていて、左隣には黒っぽい色のスーツを着た男性が横たわっており、右隣は女性のようだ。二人とも首から上はヘルメットに覆われていて、ヘルメットが繋がった機械は電源が入った状態なので、ダイブ中だとわかる。ぼくは何気なく女性を観察した。地味なグレーの長いワンピースに黒い靴下、テーブルには荷物でふくれた安物のナイロンバッグ。どうやら主婦か。職場の意地悪なおばさんを思い出してちょっとだけ嫌な気分になった。いいご身分だよな、旦那の稼ぎで昼間っからAIドリームダイブを楽しんでいるなんて。
ぼくはチェアの上に腰を下ろした。適度に弾力があって高級な感触だ。視点が低くなったのでパーテーションと天井しか目に入らなくなる。受付で手渡されて飲んだマスカット味の飲み物……弱い睡眠導入剤入りジュース……が効き始めたのか、酒がまわった時のような酩酊感とリラックスした気分を感じた。
装置の電源ボタンを押した。小さな赤いランプが点灯する。枕元のメルメットを取り上げて、向きを確認するとそれを被った。視界に濃いグレーのフィルターがかかった。柔らかい素材が耳の周りにピッタリ吸い付くみたいにフィットしている。頭はひたいから後頭部、さらに首のうしろまで深く包み込まれる感覚。顔の周りは隙間があって、見た目ほどの圧迫感はない。消毒のかすかなレモンの香り。そのままチェアの上に身を横たえ、深呼吸をした。
身体がぐんにゃりとチェアに沈み込んでいくような感じがする。薬のせいか疲れているのか、たぶん両方だ。土日連続出勤し、やっととった休み……ここの施設は相場の五倍はする価格だが、これまでになく華やかでクリア、かつディープなドリームダイブが体験できると話題になっていた。ダイブのクオリティは一体どれほどのものなのか期待が高まる。
ぼくが登録したキーワードは「電車」「海」「晴れた空」「女の子」「休日」「幸せ」……だった。イメージとしては昔の映画で見たことがある、田舎のローカルな路線を、走る、電車に 女の子と ふたり…… ……で……
闇に目をこらした。
黒の中心からわずかに染み出した青と水色と白、そして抹茶色の絵の具が、ぐんぐん量を増やし混じりあいながらマーブル模様を描いた。模様はぐにゃぐにゃと動いて明るさを増しながらなにかの形をとり、ふいにピントがあったように、青い海とレトロな電車内のながめがはっきりと現れた。
気がつくとぼくは、昔の映画に出てくるみたいな、木製の手すりがあって、抹茶色の布が張られた電車の座席に座っている。窓枠も木製で、等間隔で並んだ丸い手すりの輪は年季の入った白いプラスチック製だ。
窓から真っ青な空と白い雲、空の下には青い海が見えた。空と海しかないので電車が移動しているのかどうか、景色からはよくわからないけれども、ガタンゴトンという振動をわずかに感じるので、移動はしてるんだろう。あと、ざーっという音もずっと聞こえている。
しかし実際のところ、それらはほとんど意識していなかった。まず見たのは、目の前の床にうつ伏せに横たわった人間の身体だった。中肉中背の男性、だろうか。濃紺色のスーツに黒い靴、薄い水色のシャツを身につけている。そして、その脇には中年の女性がしゃがんでいて、たった今ぼくに気がついてびっくり仰天している、という表情で、くりっとした丸い目をさらに丸くして、ぼくを見つめている。女性は薄いグレーのロングワンピースと黒い靴下、茶色い靴という服装で、ぼくは強い既視感のようなものを感じた。はて?女の子ってオーダーしたはずだけど。ちょっと、いやかなり、老けてないか?具体的に年齢まで指定するべきだったのかな……それにしても、このひとの服装には見覚えがあるぞ。わりと最近だ、どこだっけ。
しかしぼくの口からはこう言葉が漏れた。
「生きてるのかな、その人」
おばさんは眉をひそめて身体を見下ろすと、立ち上がって言った。
「死んでるみたい」
「死体……」
「そうなるよね」
しばし無言で、ぼくらは目の前の横たわる身体を見つめた。おばさんは思案顔で指をあごに当てた。
「推理小説みたいだよね」
ぼくは答えた。
「ぼくは頼んでない」
「私もそう」
「じゃあどうして……いや待って、私もって言った?」
「言ったけど」
「あなたはぼくの夢のひと、だよね?」
おばさんは、目をパチパチさせた。
「それ、私の台詞だよ」
(第①話/完)
※秋さん、大変遅くなりまして、申し訳ありません……
※ひよこ初心者さま、ありがとうございます!!!
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