おばさんと電車と死体【リレー小説/⑭】
井上吐夢は突然、音もなく地面に吸い込まれた。CATはとっさに手を伸ばしたが、穴のなかの暗闇に彼の驚いた顔をみた次の瞬間、砂浜は元に戻っていた。
CATは立ち上がり、大場千鳥を睨みつけた。
「彼になにをする気だ」
大場は肩をすくめた。
「ちょっとだけ悪あがきしてみようかなと思って。特に意味はないけど、しいて言うならあなたへの嫌がらせ」
「ふざけたことを。あなたと中嶋がしていたことのせいで、実際に被害者が出ているのに反省はゼロか」
「三人が起こした事件の原因が、ドリーム・アリスだけと決めつけるのは早くない?赤シャツがどう言ったか知らないけど、あの三人は混線でまぎれ込んで来て、私と中嶋が遊んでいるのを見て、自分も参加したいと向こうから頼んできたんだよ。私が仲間に引き込んだわけじゃない」
「それはどうかな。井上くんを説得していた感じをみると、あなたがまず彼らの夢に侵入して、働きかけたとみるべきだろう。井上くんは一方的に、自分が殺戮される様子を見せつけられてひどく混乱していた。わざと言葉で翻弄して衝撃を与えてから、優しく懐柔するのが手口だったんじゃないですか?あなたのやっていることは個人への悪質な暴力だ。あなたは犯罪の加害者なんだ」
「加害者……」
大場はショックを受けたような表情をし、眉間に皺を寄せて目を閉じた。すると大場の像が半透明にぶれた。分裂したように左右に分かれて、それぞれが不安定に揺れたり明滅したりする。彼女たちの像は様々な表情をみせていた。泣いているもの、怒っているもの、嘲っているもの、笑っているもの。左右にぶれた像は重なったり別れたりを繰り返し、ついには中心にいる大場の右と左にひとりずつ、三人で像が固定した。CATから見て右の像は凶悪な顔をして叫んだ。
「加害者だなんて人聞きの悪いこと言わないで!あなたも見たでしょ、あの三人もマイメロちゃんも、中嶋も、楽しんでいたでしょ。楽しいし気持ちいいんだよ死は!世間は誤解してる、死をタブー視しすぎるの。みんな無理にでも生きようとしすぎるし、より良い人生を送ろうと頑張りすぎなの。キリがないんだよ、辛くなるだけなのに」
左の像は沈痛な表情をしている。
「ほんとは分かってる。これは間違ってる。中嶋に立ち直ってほしくて始めたことなのに、いつからか手段そのものが目的になってた……この世界を好きに操れることが楽しかった。これこそ自由だと思った。他人を踏みつける自由なんてあっていい筈ないのに」
右の像が左の像を睨みつけ、噛みつくように言った。「私と中嶋がしてきたことは間違ってなかった!彼も最近は食べるようになってきたし、ダイブの回数も減って眠れるようになってきたよね。もうドリーム・アリスを止めたってよかった。けど仲間とマイメロちゃんは、まだ私を必要としてる」
左の像は険しい顔で反論した。
「必要とされてるって思いたかっただけじゃない。クイーンなんて持ち上げられて、いい気になってただけ。はたから見たらただのイタイ迷惑おばさんだから。私のせいで人が傷つけられたなら、責任取らなくちゃ」
CATはそれを眺めて分析した。自己正当化したい自分と、それを批判する自分か。事態を打開するために、左の大場に協力を仰ぐのも手かもしれない。CATは左の像のほうに向かって身を乗り出し、呼びかけた。
「その通り、井上くんは一方的に巻き込まれた被害者だからね。彼をあなたのコントロール下から解放してほしい。そのあと、彼には念のために病院で検査と、必要ならカウンセリングを受けてもらう。精神にダメージを受けていることは確かだから」
右の大場は怒りの表情を見せ、左の大場は辛そうに顔を歪めた。左の大場は真ん中の、眼を閉じている大場に向かって「私にできることやらなくちゃ」といい、右の大場は「彼を解放したらすぐに捕まって、ぜーんぶおしまいだよ、いいの!?」と叫んだ。
真ん中の大場が目を開けた。左右の大場の像がふっと消える。開けた目のなかに光がともり、強く輝きはじめた。CATは応えを待った。
真紅の蝶の残像が闇に溶けてゆく。
無数に空中を舞っていた紙吹雪もまた闇に消えてゆき、眼を閉じるとまぶたの裏に見える模様みたいに、なにものかが蠢く闇のなかにぼくは浮かんでいる。いや落ちているのかな。すっかり冷えきった両手をこすり合わせた。
手に息を吹きかけながら、見たもののことを考えた。ハートのお城と白ウサギ。大場さんの記憶なんだろうな。あれ以来、彼女と中嶋はずっと夢の中で、お互いに殺しあったり、他人の夢の中に勝手にふみ込んで、誰かを殺したりしていたんだろうか。どう考えても迷惑千万だし、まともじゃない。まともじゃないけど……あれほど大事な人を突然亡くしたら、まともでいられなくなっても仕方ないのかもしれない。
別れた彼女のことを思い出した。半年つき合ってふられた。たった半年だし、最後の1ヵ月はLINEの交流もほぼ無くなっていたけれど、別れた直後は『もう立ち直れないかも』と思うくらい辛かった。中嶋が喪ったのは、一生にいちど会えるかどうかっていう運命の相手だったんだ。彼女はもう、この世のどこにもいないんだ。
「井上くん」
声が聞こえた。CATだろうか。ぼくは体勢の許す限り、あたりを見回した。ざわざわしたなにかが広がる闇のほかは何も見えない。
「井上くーん!」
今度はおばさんの声が聞こえた。ふたりの姿らしいものはさっぱり見えない。ぼくはため息をついた。ダイブ中のはずなのに、この、どうにもできなさ加減、マジでうんざりなんですけど。
突然、暖かい水色の空気に包まれた。目の覚めるような鮮やかな青い海が頭上のはるか先に広がっている。足元に真っ黒い雲のようなもやもやが渦巻いていて、距離感は判然としないが、すごいスピードで遠ざかっているのが分かる。あの黒雲を抜けてきたのか。ふたたび激しい風切り音が耳を覆い、髪が激しくかき乱される。そうか、ぼくは今、飛行機が飛ぶような高度から海へ落下しているんだ。雲が白いもやになって、そばを次々と通り過ぎてゆく。
このイメージはどっかで見たことある。そうだ「天空の島」っていう大昔のアニメだ。序盤でヒロインが飛行機から落ちるあの場面、けどぼくは浮遊石を持っていない。海面まではまだ距離があるけど、夢の中とはいえ水面に激突したら無事で済むとは思えない。パニックになってきたところで、また大場さんの声が聞こえた。
「い の う え くうん、叫んで!世界のぉー中心で、アイを叫んで」
は?なに世界の中心って?っていうか、アイ?愛?え、英語のI?私はここって叫べばいいのか?すごいスピードで落ちているせいか、空気を吸い込んで大声を出すことが難しいけど、できる限り大声で叫んだ。
「おおーーい、ぼくはぁーー……ごほっ、ごほ……ここにいるうーー!げほっ、ここだよお、井上吐夢はあぁーここにいるぞおーー」
唐突に、視界に大きなものが入ってきた。接近するとそれは、四角くて平たいものの上にCATとおばさんが乗っているんだとわかった。彼らはぼくの落ちるスピードに合わせて降下し、ぼくに追いつくと、ふんわりすくい取るようにして受け止めた。そして落ちるスピードを緩めてゆく。CATとおばさんがぼくを覗き込んでいる。大場さんが尋ねた。
「どこか痛むところはある?」
ぼくは答えた。「……特に、なさそう……」
彼女は微笑んだ。「よかった」
返事をしようとして言葉につまる。さっきの情景をみた後だと、どういう顔をして応対すればいいのか分からない。ぼくは起き上がると、自分が座っている乗り物を触ってみた。厚みのある毛足の長い布地だ。
「これもしかしてラグ?え、なんでラグが飛んでるの」
ぼくが思わず口にすると、CATは大場さんのほうをちらりと見た。
「空飛ぶじゅうたん、らしい」
「じゅうたん……?」
大場さんが言い訳するようにいった。「空飛ぶといえばじゅうたんでしょ」
「えー?そうかな。飛ぶといえば飛行機とかドローンとか」と、ぼくが言うと、CATも同意した。「おばさんおじさん世代の思考って謎だよね」
そして彼は、そのまま話を続けた。
「さっきの世界の中心でどうたらっていうのも。一刻を争う時に伝わりやすさよりユーモアや洒落を入れたがるとか。非効率的だったり理不尽だったりを、面白いか面白くないかで評価する傾向とか、中年世代特有だよね、理解に苦しむな」
大場さんは渋い顔をした。CATはさらに続けた。「この夢もねえ。殺戮ゲームとか、不思議の国のアリスとか。いちいち発想が幼稚というか子供じみてるよね。拗らせとガキっぽさが混在してるのも中年特有だな」
ぼくが後をひきとった。「厨二っぽい」
大場さんは膨れっ面をして、バシンとCATの背中をはたいた。
「すいませんねえ、おばさんの発想で!」
CATは顔をしかめて(多分しかめた。猫なのでよく分からない)ぼそりと「余計なボディタッチが多いのも中年特有……」といい、大場さんは声をはりあげた。「ひどい!さっきから中年中年って、すごく嫌な感じ。なにさ、あんたたちだってぼやっとしてたらあっという間におじさんだからね!」
「私はおじさんにならない。AIだから」
「きーっ!なにこいつ、いちいちムカつく!」
ぼくは笑い出した。ふたりのやり取りがボケツッコミみたいでおかしかったのだ。大場さんも、半分くらい苦笑だったけど笑った。CATも(たぶん)笑った。
場の空気がゆるんだところで、大場さんはじゅうたんの上に正座するとぼくに向き合い、指をついて深く頭を下げた。
「井上くん。私の身勝手で巻き込んで、迷惑をかけてしまってごめんなさい。現実的なアレコレはここを出てからになるけど。謝っておきたくて」
「いやえっと。……あの、顔あげてください。びっくりしたけど、なんか貴重な体験っていうか……いいですもう。ぼくはイジェクトさえできればいいです」
CATがわって入ってきた。
「井上くん。君はここを出たら病院に行って検査を受けてもらいます。他の捜査員と救急車が施設前にもう来てるからね」
「え、そうなんだ。じゃあ」ぼくは大場さんの顔を見た。彼女はうなずいた。
「私は手を離したから。もういつでも大丈夫」
ぼくはまわりを見回した。どこまでも続く海と空。その世界の真ん中を滑るように飛行するじゅうたん……ひたすら広くて明るくて、深呼吸したくなるような、せいせいする景色だ。
そしてふたりに向き合った。白いシャツを着た黒猫と、グレイのワンピースを着たおばさん。大場さんは現実では違う顔をしているかもしれない。CATは現実の身体が存在しない。なんだか不思議な気分だ。ぼくはCATに左手を差し出した。
「握手してくれない?手のひら、肉球かどうか気になっててさ」
CATは自分の手のひらを一瞬、眺めてからぼくの手を握った。手のひらも滑らかな毛で覆われていて手袋みたいな感触だった。彼の金色の瞳を見つめながら、ぼくは言った。
「イジェクト」
──いつもの闇。
ピッ、と小さく電子音が鳴って、ぼくは急に自分の頭を覆ったヘルメットを意識する。固定具を外してヘルメットを脱ぐと、息をつく。
「いやあ!きゃああああっ」
とたんに悲鳴が聞こえた。フロアの向こうから大勢の人間のわめき声、どたばたいう音と混乱の気配。パーテーションに仕切られた個室の前の通路を走る数名の姿が見えた。なにかから逃げているみたいに。
なんだ?なにが起こってるんだ?
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